逆転(卅と一夜の短篇第11回)
夜、ある一室で研究が行われている。そこでは隔離ボックスに生物を入れ、ロボットアームで解剖している。ここはロック付きの立ち入り規制区域、夜間の入室はできない……はずである。
「篠崎くん。取り出しはもう終わったかい?」
「いや、まだです。制限時間は何分ですか」
「あと10分だ」
篠崎が解剖を続ける中、リーダーは背後にある試作品を見つめている。そこにはある生物の脳が三つ並んでいる。それらはケーブルで連結され、信号がやり取りされる予定である。垂れ下がったケーブルにその脳が連結されるまで、予定が現実のものになるかは分からない。
「篠崎くん、まだかね。クアッドコアNPUは君の手にかかっているのだぞ」
篠崎はリーダーの言葉に答えることなく、器用な脚の操作で生物の脊髄と脳を分割する。そしてケーブルコネクタを埋め込んでいった。これが終わればクアッドコアNPUが完成する。リーダーは作業を見守り続ける。
クアッドコアNPU(Neuron Processing Unit)は脳を四つ連結して作られる演算装置の一形態である。演算装置といっても処理能力は非常に低い。加減乗除しかできない電卓のマイコンにも劣る。量子回路式CPUが主流の現代に、クアッドコアNPUは演算装置としての価値はない。なぜこのような装置を研究するかといえば、その生物の思考形態が明るみになるからだ。
これまでの生物の研究は、個体ごとに脳を取り出し思考実験させてきた。だがこの方法では集団での心理は把握できない。なら生かして檻の中で観察すればいいと思うかもしれない。それはダメだ。この肌色の野獣を解き放てば暴走し、被害を受ける可能性がある。それはなんとしても避けたい。
それで生み出された構想がクアッドコアNPUだ。脳同士をつなぎ合わせることで強制的に集団化できる。集団化した脳は自動的にコミュニケーションを始める。その速度は直接的に信号伝達する分、放し飼いの比ではない。太陽が一周するほどかかっていた実験が、水を飲んでいる間に終わるのだ。
それに脳は決して動かない。野獣を安全に扱えるのは最大のメリットだ。
「リーダー、接続終わりました」
篠崎がそう叫ぶとロボットアームはコネクタだらけの脳をつかみ上げ、リーダーの前にある別のボックスに投入する。リーダーはロボットアームを操作して三つの脳から垂れ下がるケーブルを接続した。その後クアッドコアNPUは緑色の酸素入り培養液に投入された。
「クアッドコアNPU、生存確認したぞ」
その声に篠崎は長い息を吐いた。
「それでは、さっそく実験しようか」
「リーダー、ちょっとくらい休憩させてください」
「どうせすぐ終わる。ケーブルを接続して待つだけだ。接続が終われば後は飯食って寝てればいい。あと一息だ、篠崎くん」
篠崎はしぶしぶNPUにケーブルをつないでいく。入力信号を与える装置に応答を調べる様々な機器。それを一つずつ接続する。リーダーはただ見ているだけだ。
この研究室では面倒なことは全て篠崎が担当する。リーダーが動くのは実験が成功する直前の誰でもできるような部分だけだ。そうして手柄と名声はリーダーが手にする。篠崎はそんなリーダーをにらみつけながらロボットアームを操作し、計器を起動した。
その瞬間、研究室が真っ赤に染まった。赤い回転灯が点くと同時に警報のブザーが鳴り響く。計器のグラフは画面から飛び出している。
「篠崎、しくじったな」
「いえ、僕はちゃんと接続しましたよ。確認してください」
リーダーはNPUのもとに駆け寄り、入力装置や計器の設定を確認していく。
「うむ、設定に問題はない」
「では何が原因ですか」
「喧嘩だ。アドレナリンが大量に放出されている」
「では僕らはどうすればいいのですか」
「何もできない。ただ放置するだけだ」
過剰な神経伝達物質により、脳細胞が破壊されていく様子を計器が示している。
「すごい勢いで崩壊していますね」
「それだけ争っているのだ。画面を見よ、神なるものが映っている」
「お腹が空いたわけでもないのに……」
「女でもない」
「なのに喧嘩するんですか」
「篠崎くん、これがこの生物の性だ。奴らは何十世紀も妄想の縄張り争いを繰り返してきたのだ。そして核遊戯に興じて自滅した。このNPUのように」
培養液に浮かぶNPUは萎縮し、容積の減少が目に見えて確認できた。二匹にできることは一つしか残されていない。
リーダーはコネクタを外し、ロボットアームでNPUを取り出した。ロボットアームはそれを持ったまま食品工場へと消えていった。
「しかし篠崎くん。ここの設備は奴らが作ったのだ。我々にない英知が彼らにはある。それを我々は研究せねばならん」
リーダーは空になった培養液を見つめていた。
「またクアッドコアNPUを作るのですか」
「そうだ。我々は奴らの遊戯により進化し、わずかながらも知能を得た。しかし同時に依存することになった。我々の生活を守り、繁栄するためには、奴らの遺産を維持しなければならない。そのためには、奴らから英知の源を抽出しなければならないのだ」
そう言ってリーダーは篠崎の方を向いた。
「試験管を取りたまえ。実験を続ける」
「え~。まだやるのですか」
篠崎はしぶしぶ茶色い羽根を動かし、天井を這う装置用のケーブルにしがみついた。そして配線用の孔を通って隣の培養室に消えていった。
しばらくすると実験室に、培養液で満たされた栓のない試験管が流れてきた。そこには毛のない肌色の生物が入っている。その生物はリーダーの姿を見るなり叫んでいるが、声はあぶくとなり消えていく。
「我々は君らがしてきた遊戯を真似ているだけだ」
リーダーの言葉は生物には届かない。だが中身は徐々に培養液を浮上していく。液面は口と同じ高さにある。ついにその手は試験管の縁をつかんだ。
「お前に殺されてたまるか、このゴキブリ野郎!」
生物はロボットアームへと飛び移った。
アームは生物を乗せたまま、ゆっくりと床へ降下した。
全国の篠崎さん、ごめんなさい。