第02話 いらだち・b
「相変わらず、部屋はそれなりに片づけてるのですね」
そう言って、ドアの前で仁王立ちしている少女の名前は水無瀬幸。
かつて――つい一か月前まで住んでいた地域の同級生であり、腐れ縁のような存在である。そんな手錠をかけたような関係はここを去った七年前にできた第三の幼馴染み。チカ、ミサとは真逆の立ち位置とも言える。
そんな彼女もまた、冷え切ったような表情を見せてもなお顔は整っており、日本古来からある静かな美しさを体現しているようだった。黒髪の利発そうなショートカットで、銀で薄く縁どられた眼鏡をかけている。同年代にしては結構小さ目な背丈とむ……スレンダーな体躯で、白地のシャツに空色の薄手のパーカー、ホットパンツのスタイリッシュな服装はとても良く似合っていた。クール過ぎる雰囲気もまたそれを助長させているかのようだ。
ちなみにクールなのは外見だけではない。そんなものは彼女の毒舌さに比べれば、単なる余波でしかない。そう、尋常ではないくらいの毒舌家なのだった。人間、こいつはこういう感じのヤツだよなーというのはいると思うが、コイツの場合は『ような』じゃない。断定できるレベルの毒舌家だ。
…………それも俺だけに。なんでさ。
「……存外、何か失礼な事でも考えているようですね」
…………それと、滅茶苦茶鋭いのも彼女の特徴のひとつだった。
図星(?)過ぎて、うぐっ!? と条件反射で見てみれば、そこには相も変わらずな冷たい表情と眼差しを向ける彼女がいた。これが引っ越し前では日常なのだから、俺が一ヶ月でもいいから変わってはくれないものかと心から切に願ってしまうのは仕方がないというものなはずだ。「まぁ、元からあなたは存在自体が失礼に値するのだけれど」と言ってるのに限っては無視だ無視。
「で、なんだってお前がウチにいるんだよ」
疑問というより最早諦めの境地で彼女に言ってみる。
「あなたの母親に頼まれましてね」
返ってきたのは予想の斜め先を行く解答だった。斜め過ぎて俺は思わずベッドの上から落ちそうになった。
「き、急展開過ぎるだろ! いくらなんでも!!」
「急展開も何も、ただの事実なんですが」
「だからって! 何も、こんな話があってたまるか!!」
あれだけヒロインがいる二セコイだってちゃんと物語ありきで登場してるんだぞ、ふざけろっ!
「……まずヒロインとかいう発言がドン引きなんですが」
まるで腐敗した生ゴミか黒光りするGでも見るような温度にまで視線に晒される。しかし、今の俺はそんな事は気にしてられない。
「もうちょっと、こう、さぁ! せめて『転校生として来た当初はツンツンしてたけど、徐々に一緒に行動したりしていく内にデレていく』とかテンプレに突っ込んでもらった方が、まだいいし、正直そっちのが書きやすいんじゃね? とか思ったりしちゃうわけですよ!」
「…………なぜ作者視点で語り出したのかもさておいて、そろそろ本題に入っても構いませんかね?」
「あっ、はい」
サチの底冷えするようなオーラがとうとう絶対零度まで下がったので、流石に自重する。……視界の端の妹までもが距離を置きたい雰囲気を醸し出している辺りで、もう遅い気がしなくもないが。
「とにかく、私はあなたの母親からの要請で来たようなものです」
「ようせい?」
「今、一瞬ファンタジーな方の妖精を思い浮かべたでしょう。違いますからね」
……こいつ能力者なの?
「あなたの母親に『何かに困っているというか、悩んでいるようだから――折角だからサっちゃん、ウチの息子の事、看てあげてもらえない?』という内容の、いわば救難要請です」
「お前、母さんの声真似上手過ぎだろ」
「……コホン。とにかく、」
隅っこで「……なら来なければ良かったのに」と唇を尖らせる妹にはこの時ばかりは激しく同意なのだが、今それをこの雪女状態なサチの前で言ったら明日どころか一寸先も闇になりそうなので呑み込んでおく。俺は強い子、我慢の子。
「…………って、ちょっと待った」
「はい、なんでしょうか」
「なんだって俺が、そんな可哀想な人って扱いになってるのかね?」
「鏡を見てくればすぐに解りますよ」
「思春期男子にその発言は厳し過ぎるっ!」
それは遊戯王的にはエクゾディア揃っちゃった☆級の発言だ。結果という、もうどうしようもないところを突いて来てる辺りが最高にエグい。
良いよなぁ美少女は! 言っても言い返されないから!! 人によってはご褒美になっちゃうから!!!
「ま、まぁ、その……その美少女云々は気にしないとして」
「褒めてないからね!?」
なんでちょっと顔紅くなってるの?
「コホン」
物凄くわざとらしい咳払いがひとつ。
思わず俺達明日葉兄弟がジト目で見つめてしまう中、彼女は口を開いた。
「――――で、何があったんですか?」
それは、さっきまでのおちゃらけた空気を凍てつかせるのには十二分過ぎる発言だった。当然の如く、俺の表情も硬直してしまう。
「な、何って…………何が?」
「どうしてあなたが私に訊いてくるんですか」
「どうしてって……」
解らないから――そう言おうとした。
その時だった。
「さっきからずっと思ってましたが――――ひょっとして、ふざけてます?」
ゾ――――ッッッッ!!
その瞬間、吹雪が吹きつけたかと錯覚した。
彼女の声以外の全ての音が停止した気がした。全身に鳥肌が立つような底冷えした声が俺の耳へと届き、鼓膜を揺さぶって脳にまで伝わってくるそれは、まるで俺の心にアイスピックのような鋭さをもって突き刺してくるようだった。
「は…………だから何を――」
「流石に……ああ、こういうのを苛立ちって言うんですかね」
「流石にそこまで深刻だとは思いもしませんでしたよ」
さて、もう一度尋ね直しますが――そう言って、こちらを貫くように睨んでから。
「ここ一ヶ月で、そんな悲惨な状態になっているのはどうしてですか?」
そう、尋ねてきた。
――――今更ながらに気付く。
顔が紅かったのは、ただ照れや羞恥によるものではなかったのだと。
それは。
母親に心配され、自分でさえも呼ばれてるのにも関わらず、いまだヘラヘラとふざけているかのような言動を繰り広げている明日葉透に対する苛立ちだったのだと。




