第02話 いらだち・a
ハロー どうも 僕は ここ
『扉開けば、捻じれた昼の夜』――まるで休日に不規則な生活を送る自分を指差されているようで、思わず「うぐっ」って言ってしまいそうな今日この頃です。
……だから倒れたり病院に担ぎ込まれたりするんだろうね!
みなさんもお身体は大切に。
いやホント、マジで。
「――――今朝、」
その夕方は、いつものように右から左へ聞き流したくなるような、退屈ながらも安定した『いつも』があるはずだった。
「明日葉から報告があったから言うが……」
その担任は、そんな『いつも』のように苦々しく厳しい顔つきで話し出した。
そう。
そんな『いつも』を引き裂いた原因は、かく言う俺だった。
「――――明日葉は今年度を以ってして転校するそうだ」
『――――、』
担任の決まり文句みたいな発表で、教室中がまるで波のようにざわつき始めたのを俺は覚えている。カイジのように緊張感を張り詰めたそれではなく、まるでそれは歩行者天国の雑踏のようだった。そんな喧噪へ向けて、これまた定型のように静寂を促す担任。本当に『いつも』通りな、全校集会の直前でで度々見かける光景だが、映る色合いは少々違った。
「…………、」
渋顔な担任の隣――壇上からそれら一切を俯瞰して、俺はふと、ある事を思ってしまっていた。
そんな驚くものだろうか? ――――と。
俺は好き嫌いが激しいと評価された事があった。評価と言うか注意か。なにせ「好きなものにはまるで薬物のように依存するくせに、嫌いなものには親の仇のように拒絶しますからね」という一筆つきだったのだから。しかしそれは違うと思った。好きの反対は無関心……こちらのが俺こと明日葉透を指すのに適した言葉の気がするのだ。
そんな俺だからこそだろうか。
ハッキリ冷たい事を言ってしまえば、このクラスに限っただけでも関わりのある人間――所謂『知り合い』の類なんて少数だ。学年全体に検索範囲を広げてみても、高校一年では大差どころか類似値しか示さない……そんな人達の空気に晒されるこの場が、この場にいる事が非常に居た堪れなかったのだ。
一つは前述した希薄な繋がりでしかないのに、こういう時にはマスコミの如く根掘り葉掘りと訊いて来ようとする図々しさ。もう一つはそんな事しか考えられない自分への嫌気からだった。
幸い、帰りのホームルームで発表してほしいという旨を担任に伝えていたので、すぐにこの壇上から立ち去れる……と良いのだが。
「…………、はぁ」
こんな下らない事しか能書けない自分に辟易する。なんて自分はこんなにささくれ立っているのだろうか。まるで俺らしく、明日葉透らしくな――――。
「――――ぁ」
「? どうした明日葉」
「……いや、なんでもないですよ」
手を振ってから視線だけで「どうぞ」とホームルームの続行を促すと、「そうか」と言って担任が再びみんなへと向き合って他の連絡を告げ始める。その声を軽く聞き流しながら席へと向かう。
椅子に手をつき、重そうに腰を下ろそうとした戸頃で改めて思う。
(……やってしまった)
溜め息をしてしまったた事自体もそうだが。偽善と好奇に満ち満ちた雰囲気に圧迫され、息苦しくて吐き出してしまったそれで――。
「……」
一人からの視線がより厳しいものになった気がしたからだ。その視線にはチリッと――まるで熱した金属に指で触れた際のような、火花のような感情が織り込まれていた気もした。
もう一度言うが、原因は他ならぬ俺だ。
ならば。
正体は、勿論――――。
「――――っ!?」
――――目が、醒めた。
最初に目に映ったのは天井――透けた白色のカーテンを突きぬけて茜色に染め上げられた天井だった。
「…………………………ここは、どこだ?」
カラカラと、乾燥した喉を震わるようにして呟く。
寝起き特有のボンヤリとしてそうな顔で窓を見やれば、隅を混ぜたような青が拡がる空が窺え、地平線から差し込む夕日が微かな日照りを感じさせるのみだった。そんな日照りのおかげで視認できるここは、どうやら俺の部屋のようだった。
……どうでもいい話だが、やや薄暗めに明るい自分の部屋は、まるで今の俺の心情を模写しているような気がしてならなかった。
「――――っ、…………はぁ、っ……はぁ」
気持ちの悪い汗が背中に滲むのを肌で感じる。
「…………もうあれから二ヶ月発つのか」
まるで熱帯夜に魘されたように汗が伝う額を押さえながら、呻くように呟く。
この戸頃、ずっとこんな感じだ。
悪夢……そういうワケではない、そのはずだ。しかし最近は眠りが浅く、突然に跳び起きては後味の悪い気怠さに全身を包まれるような感覚に陥る。
そんな自分の日々に嘆息している、その時だった。
「――――あ、」
キィ――――。
そんな扉が開く時特有の小さな音と共に、薄暗い部屋に橙色の灯りが射しこむ。眩しさに目を顰めていると、すっと近寄ってくる気配があった。突き刺すような光の刺激に小慣れた辺りで目を開けると、
「……どうですか?」
そこにいたのは、妹だった。
何かを乗せているのかお盆を両手で大切そうに持ってきた妹は、日頃のダウナーな表情を貼り付けている顔にはどこか安堵したように目を細めた微笑みが表れていた。それはまるで俺が幼い頃、夜中に魘されると水の入ったコップを持って駆けつけて来てくれた母さんを思い出した。
「?」
「お目覚め具合は如何ですか、兄さん?」
「ん……あー、別に悪くはないかな」
戸惑っていると
「体調の方は?」
「……たい、ちょう?」
タイチョウ、たいちょう…………………………隊長?
「たいちょう」の意味が解らず訊き返した戸頃で、額から布地がずり落ちる感覚と共にパサッという何かが落ちた音が耳に入る。暗がりの中、見れば布団に真っ白に綺麗な布巾――いや、おしぼりか。おしぼりが落ちていた。触ってみると、
「……冷たい」
じんわりと、水気が感じられる。背中の汗のような気持ち悪さではなく、ひんやりとして心地良い感じだった。まるで熱さまシートみたいな。
…………………………『熱さまシートみたいな』?
「はぁ……、」
「!?」
「そんな呆けたような顔を見る限りじゃ、それなりに大丈夫そうね」
現状も理解できないままの俺に、突如として今度は声が耳に入る。それもさっきまでの――目の前の妹の声じゃない。それから両親の聞き慣れた声でも、ましてやチカの凛々しい声でもミサの可愛らしい声でもない。完全なる第三者の介入に思わず金縛りのように身体が硬直してしまう。
「だっ、誰――――!?」
ギチギチと。
誰だ――それすらも言い切れないままに。目の前の妹もおしぼりの謎も置き去りに、まるで錆びで固まったブリキのように声の方向へと首を回す。
振り向いたその先、扉の前に立っていたのは――――。
「さ……サチ?」
「…………、」
苛立ちを滲ませながらも冷徹さを感じさせる表情の『美少女』だった。
チカ――大山智香でも。
ミサ――三咲可憐でも、ない。
もう一人の幼馴染みが。
――――水無瀬幸。
まるで今の俺を、夢の中から説教しに来たかのように。
彼女はそこに仁王立ちしていた。
「…………は、はぁっ!?」
「なに?」
「なっ、なんでお前がここに――――俺の家にいるんだよっ!!?」
「……そこは常識的なのね」




