零話―2 『書姫』【中】
突然の零話!
説明終わり。
どぞ。
……ええ、忙しいんです。
四月のある日の夕方。
私の部屋に橙色の西日が差し込むが、窓際に本棚がある為、私に届いて来たのは薄黒い影だった。
その影の下、私は現実を噛み締めていた。
彼は本当にこの地と高校を去って行ってしまった。
もう教室で「サチ」と呼ばれ馴れ馴れしく肩に手を掛け話し掛けて来る事はない。
もう行きつけの本屋に二人で行く事もない。
もう周りに冷やかされ、彼が訳も判らず首を傾げるのを見る事もない。
べ、別に哀しくはありません。
哀しくは……。
「……っ、…………」
眼鏡を外した視界がいつも以上にぼやけてきたのは欠伸の所為だ。
目尻に溜まったものだってその所為だ。
布団に体育座りで包まっているのだって眠いからだ。
数少ないアドレスしか入っていない携帯電話を握りしめているのだって……。
その時だった。
握りしめた携帯が震え、着信音が鳴り始めた。
「!」
共通点は本が好きな事だけ。
でもそれだけの共有点が私達を――少なくとも私を動かしてくれていた。
それだけの共有点のお陰で読書では知り得ない感情まで知る事が出来たのだから。
私は彼の事が――――。
# # #
それは七年前の私が十歳になる二ヶ月前、学年にして小学四年生の時の話だ。
数日後に私の住むマンションに新しい入居者が来ると母から伝えられた。きちんと幾つかの部屋が広くとられているこのマンションを気に入ってだとか、私と同い年の男の子もいるとも。
そしてからかうように言うのだ。
「もしかしたらさっちゃんの彼氏になっちゃうかもよ?」
私は既に学校で孤立しており、当然友達と呼べる者もいなかった。
別段寂しいとは思わなかった。寧ろ本を読む時間が多分にあって万々歳といったところだった。
……そんな私に同い年の男の子の事など興味は微塵たりともなく、それ以前に友達も作らない私に何らかの存在になれるとは思えなかった。
実際はもう少し幼く、だが確実にそう捉えていた私は、母の言葉に無言で踵を返す事で応えた。
勿論、消極的な肯定を意味するものではなかった。
新学期開始から三日前。
我が家(と言っても私と母の二人だけだが)に件の家族が挨拶に来た。
私の母とその場で意気投合して話し込む大人達の横で私は静かに黙っていた。五月蠅いとか理不尽に酷い事は思ってはいなかったが、退屈で鬱屈とした気分だったのは確かだった。
部屋に戻って本の続きでも読もう。
そう思って胸に抱えていたハードカバーを強く抱き直し、部屋に戻ろうとした。
「ねぇ、きみはなにをもってるの?」
足を止める。
声が聞こえた。クラスで聞いた事はない、少年とも少女ともとれぬ――今思えばハスキーな声だった。発信源を探るように後ろを振り返ると、今は開放されている玄関の外に声の主がいた。
正体は先程の声が納得の、少年とも少女とも言われても信じてしまえそうな子どもだった。
来ている服で何となくは男の子であると判別出来るものの、健康的な細い体躯に中世的な顔が私に未だ猜疑させる。
極めつけに、少年は小さかった。私も今も昔も人の事は言えた義理ではなく当時は平均以下でさえあった背丈だったのだが、そんな私と同じ位の長さ・高さしかなかったのだ。
「それって『本』だよね?」
オドオドしているのか馴れ馴れしいのか解らない調子でそう私に問いかける少年。
正直相手にするのが酷く面倒だった。こっちには読書という大事な大事な――――
「あっ、それよんだことあるよ!」
なん……だと……?
「そのはなしはねー、ある――――」
何でかは解らない。いや、多分「ネタバレが聞きたくない」という理由はあったのだが、執った選択肢が今の私でもよく解らない。
とにかく私は瞬時に、無意識の内に持っていたハードカバーの角をその少年の脳天に直撃させた。小気味の良い音の直後、つむじっぽい部分にジャストヒットさせられた少年は、頭を抱えて崩れ落ちた。
唖然とするその場一同。私自身呆然としていて、気がついたら母に叱られ、一緒に謝る事になった。少年の両親は手をパタパタと振って苦笑いして快く許してくれたが、その間も少年は蹲っていた。だが今も昔も後悔していない。
こうして。
今でいう「男の娘」な少年、『明日葉透』との邂逅は、なし崩しに終わりを告げた。
# # #
正直、馴れ馴れしいという印象は大いに間違っていた。
もの凄く鬱陶しいのだ。もっと解りやすく言わせてもらおう。
し つ こ い 。
尋常じゃなかった。甘えてくる猫を擬人化したらこうなるのかという程にしつこい。いや、それ以上に異常だった。今のご時世ならストーカーとして被害届が出されてるレベルのそれだった。
具体的には、
・朝、「いっしょにいこう!」とピンポンを押して来る。
・学校の休み時間には必ず他のクラスの私の所へ話し掛けに来る。
・帰りに昇降口で「いっしょにかえろう!」と言い寄って来る。
etc……
蠅か。
一番キツいのは朝のそれで、私は低血圧な上に寝起きの機嫌が悪いのも構わず、学校の日は毎日だった。母も母で何故あの少年を家にあっさりと入れるのか。お陰様で何度かパジャマ姿を見られた。部屋や寝室に来ないなら良い訳ではないのだ。
ただ、唯一として見直したのは本をよく読んでいたという事位だった。当時私から彼の方には行った事はないが、私の持つ本の大抵を「よんだことあるよ!」と言われてしまっていた。凄く悔しかったのを覚えている。
後は本当にな……精々、背格好の割に力があるという事だろうか。時々、私の母に頼まれて運搬を手伝わされているのを本を読みながら横目で見ていた。
ともかく。
そんな明日葉透に、「ぼくはね、」「ぼくはね、」と言われる日々は続いた。
正直、鬱陶しい。
だが、退屈ではなくなっていた。
――――小学五年に上がる時、まさか文字通り「人が変わる」というのをこの眼鏡を通して目の当たりにするとは思ってもみなかったが。
お読みいただきありがとうございました。
※誤字脱字表現の誤り等がありましたら感想にてご連絡ください。
随時修正致します。
引き続き、『おさどう』をよろしくお願い致します。




