第一話 『過去』と「現在」
僕は住宅街の片隅で生まれた。
名前は明日葉透。
名前の由来は、「何色にでも染まれる奔放さと澄み切った潔白さのある人になって欲しい」という願いからだそうだ。
片隅なだけに近所付き合いも限られていた。その為僕が生まれる直前に引っ越してきた両親は近くのたった二件の家族と親しくなっていった。両親にとって、いや後に生まれる僕にとって幸運な事に、どちらの家族も優しく、そして子供を身籠っていた。
僕らは一月違いで生まれ、殆ど三つの家で一つの家族であるかのように生活していた。幼馴染みの二人は女の子だが、幼く、そんな意識はさほども出来なかった僕らには関係なかった。
短く切った柔和に微笑む、三咲可憐。
長い黒髪で凛々しく笑う、大山智香。
僕らは同じ保育園に入ったことも合わさり、毎日陽が暮れるまで泥だらけになるまで遊んでいた。負けず嫌いで短気気味の智香と優しくも泣き虫の可憐に困り困らせたことも幾度となくあったが、結局は「楽しかった」の一言で片付いていた。
それから小学校に上がりクラスも一緒になった僕らは、いつしか渾名で呼ぶようになった。
三咲可憐のことは苗字を更に短くしたのか――――「ミサ」。
大山智香のことは担任の誤読からだったか――――「チカ」。
「ミサ」と「チカ」、それからそのまんま名前からだったか、「トール」と呼ばれた僕。
進級に比例して交友関係の輪さえ拡がれど、いつも三人一組で過ごしていた。というより、結局は「いつも」に辿り着いていたというべきか、三人でいたのが殆どだった。兎に角、僕らは同級生がそうするように家でゲームの通信をやったり、少し遠くへ出かけたり、費用の掛かる所へ割り勘して行ったり……流石に遊びの守備範囲は変わったが、メンバーと遊んでいる事自体には何ら変わりなかった。
度々周囲に冷やかされることもあった。しかし僕らはそんな意識は持ち合わせてもいないし、抱きもしなかった。楽しさを楽しいと感じられる仲であればそれでいい。正に僕らの関係性は『同盟』とも呼べるものだった。
ずっとこんな日が続く――――僕らは……少なくとも僕は思っていたし信じていた。
その幻想に綻びが生じたのはその最中だった。
# # #
小学3年の冬――――も終わりの二月の事。
昨日やっとこの地域に雪が降り、一年ぶりの雪遊びに僕らは興じていた。寒さに手を痺れさせながらも、例年より遅かった雪合戦や雪だるまに、汗を流すまで熱中して家に帰った。
家に着くと、いつもは夜遅くまでない筈の雪に塗れた父の靴が玄関に置いてあったことに驚いた。不思議に思いながらも僕は手を洗いリビングに向かった。すると父が俯いて座っていた。休日に穏やかに笑っている姿しか見た事がなかった僕は父のそんな姿にまた驚いて「どうしたの?」と訊いた。
……訊いて、しまった。
唐突だった。
いや、実際には二ヶ月後の話なので、今思えば急なものでも何でもないような気がするが、何にせよ当時の僕にはあまりに唐突過ぎた。
「四月には引っ越そうと思うんだ」
父が暗い、言い辛そうな表情でこう切り出したのを覚えている。その位、衝撃的だった。何でも異動(『昇進』という形で)を言い渡されたのだとか。
僕はすぐ反対しようとした。ミサとチカに会えなくなるのが嫌だったのだ。
しかし、続く父の、
「それに、引っ越し先には希のリハビリに丁度良い病院が近くにあるんだ。近くに住んでいれば保障――――払わなくちゃいけないお金も減るし、そんなに悪くない話なんだ……」
――――この一言が開きかけた口を押し留めた。
妹の希は病弱だ。
痩せこけている訳ではないが、決して一つ下の少女の身体には思えない程には蝕まれていた。動く事が出来ず寝たきりだったので、『普通』の同級生はおろか、ミサとチカ、果ては僕でさえ殆ど会えなかった。
前回僕が会ったのは今の季節になる前だった。儚く揺れる瞳で僕を捉え微笑むと、「お兄ちゃん」と言って折れそうな白い手を伸ばして来ていた。何一つ兄らしい事など出来なく、精々代わりに目一杯遊び、楽しかった話を伝え聞かせる事しか出来ない。楽しんでいた奥底で「何か出来たら」と思った事は何度もあった。
そう考えると、妹を選ぶ他なかった。これで救われるのならばたかが会えなくなる事位、この時は些細な問題ではなかった。今回耐えるのが僕になっただけ。寧ろ、僕が肩代わり出来る事に一瞬だが嬉しささえ感じていた。
そんな事を考えている間も父は長々と説明らしき何か言っていた気がするが、全く頭に入らなかった。
最後に父が「どうだい?」と確認を求めて来た。
「解ったよ」
僕は、そう、返答した。
# # #
「意外とデカかったんだな……」
久し振りの我が家・第一号を見やり、思う。
あのヒゲ、よくコイツ一括購入してから転勤したよな……。複雑な事情があったとはいえ、コレ俺だったら泣いてた自信しかない。この近隣に家々が増殖していた事と今の俺より高い塀で囲まれている事を除けば、コレはかなりの一軒家だと自負出来る。その位、現実の第一号家は俺の思い出の中にあったものを大きく裏切っていたのである。……い、いい意味でね!
「うーん、やっぱコッチの方が広かったんだよなー」
「そうですねぇ」
「ぉ、おおー。…………広いですね」
他三人も似たり寄ったりの感想だ。ヒゲ。お前は今泣いていい。俺自身珍しいと思える父への同情だった。
……というか七年で他の家増え過ぎだろ!
玄関に入ると、懐かしの木の香りが漂って来た。少しホッコリすると同時に大きな違和感を覚える。
「? 埃っぽくありませんね」
そうなのだ。妹の言う通り、七年の汚れがなさすぎるのだ。別にホッコリと埃の語感が似ていると思ったから気付いた訳ではない。掛けてもいない。
何故だし、とヒゲに視線を送る。ウインクされた。またかよキメェ。
「お隣の大山さんと三咲さんのお宅が掃除して下さったのよ。今度お礼行かなくとね」
母がニコニコしながら教えてくれた。ヒゲのウインクは合図ですか。
……この七年間で最も変わったのは妹を差し置いてヒゲだという事を改めて(思い)知った瞬間だった。
かくして謎は解決し、荷物運びへと段階が進む。ちなみに家具や書籍などの嵩張るものや食器や花瓶などの割れ物は既に業者の方に頼んでおいたので、今運ぶものといっても車の足元や後ろのトランクにそれなりに詰め込んだ各人の趣味物品位だったりする。俺の分は…………察しろ。男だったら誰しも通る話だろ?
そんな各々の(少なくとも俺には)隠蔽作業が開始されて二時間が経過し、お昼時に差し掛かったタイミングの事だった。インターホンが鳴った。
「おや、こんな時間に何だろう」
いやネタとかじゃなくて本音だから。
「透さん、ちょっと出てもらえないかしら」
即刻、母に注文を受け付けさせられた。いや俺も隠蔽が大変なんですけど……。
しかし我が家のヒエラルギーは、
母 ≒ 希 > 俺 ≧ ヒゲ
なので反抗は許されない。以前ヒゲが母の録画した韓ドラを誤って削除してしまった時の悲惨さは語り尽くせない程だからな。
「あいあい、っと」
俺は仕方なく、冷蔵庫から飲み物を取り出すような気軽さで玄関に向かい、
――――ドアを開けた。
幼馴染み(現在)が出て来ない……だと!?
次回は出る……筈です。
お読みいただきありがとうございました。
※誤字脱字表現の誤り等がありましたら感想にてご連絡ください。
随時修正致します。
引き続き、『おさどう』をよろしくお願い致します。