第八十一話
そこで俺は意識を取り戻す。
ジャーキングの様に一瞬体を震わせた俺は、体が倒れそうになるのを近くにあったソファーに寄りかかり、何とか支えた。自分が立っていた事に今気付いた。
目からは涙が滞りなく溢れ、口からはだらしなく涎が垂れていた。鼓動が早く、呼吸が荒い。息苦しく吐き気を覚えるほど、最悪な気分だ。
俺は一気に空気を吸い込み、静かに吐き出して心を落ち着かせた。整い始めた呼吸、手で口についた涎を払う。
俺は周りを見渡した。俺が今いる場所、それは遊軍の五階。瀬博人の執務室だ。パッと見た限りこの部屋は小奇麗で、まるで生活感を感じられない。書類や本などはあるのが、引越しの荷物を搬入しただけの様な印象を受ける。
それもそのはず。俺の予測、願いが叶っていれば、ここはネフェティアの始まりの日の執務室。まだ誰も入った事がない、真新しい部屋のはずだ。
耳にガヤガヤとした音が入ってきた。音の方向は町の中心でこの建物に隣接している中央広場。おそらく、人々が広場に集まっているのだろう。
俺は震える体を鼓舞し、何とか立ち上がる。非常に弱弱しい体に笑いがこみ上げる。
その時、入り口のドアが開かれた。
ドアが開く音に過敏に反応した俺は、そちらに眼を向ける。
そこにいたのは一人の少女。ショートの髪に、真っ白のワンピースを身に纏っている可愛らしい少女。その姿は俺が最後に見たものより二歳ほど若い。紛れも無い、園だった。
体も震えていたが、心も震えた。過去に飛ぶ。信じていたが自信が無かった。 しかし、この園の姿が過去に飛んだ何よりの証拠だった。
「お帰り、麻斗」
園の声、驚くべき事に初めて聞く声。透き通るようなか細い美声。
消えた時、園は既に体が動かなくなっていた。しっかりとお別れも出来なかった。その園に俺は今、お帰りと言わ――――――――――――――いや、待て。
俺は感激の途中で思考を中断する。そんなことよりも気にしなくてはならない事があった。
俺は目の前にいる少女を良く見た。
今、園は俺にお帰りと言った。別れをした園と俺の関係からしてそれは何の問題も無い。しかしそれはあくまであの世界の園ならば、という話だ。
少女は立ち尽くす俺に構うことなく、部屋を歩き、ソファーに腰掛ける。その憮然としたこちらを一切気にかけない姿は正に園そのもの。
だがこの少女は俺が知る園ではない。
俺の事を麻斗だと認識している園ではない。あの少女は――――もういない。
「私は園。この世界の創造主。世界の行く末を見守る」
少女は語り出す。
「ネフェティアは新たな世界。滅びてしまった世界の代わりを成す、エデン」
その小さな口から言葉が紡がれる。
「人は死者。滅びたはずの人類の中から、新たに生を受け誕生した人間」
ただ淡々と、抑揚の無い言葉。
「八神麻斗は世界の守護者。巨大財閥の一族を殺して世界に経済危機を招き、世界の崩壊に端を発した者。故にネフェティアを守る義務を持ち、力を使い世界を守護する」
それは納得のいく言葉ばかりで、俺はそれを黙って聞いていた。
「瀬博人は世界の指導者。世界を未来へ向かわせるために人々を導く者。そう、未来から得た……力を持って……」
言い終えた、立ち上がった園はゆっくりと俺の目の前へと移動し、俺の顔を見る。芯の強い、目。俺はその目からどうしても目を逸らす事が出来なかった。
園は無言だった。何かを待っている。
少しして、それが俺の言葉ではないのか、と思った。
「……教えてくれ。俺は……この世界で何をすれば良い?」
問いかけに園は言葉ではなく、行動で答えた。
右腕を上げ、俺を指差す。否、俺の背後、執務机を指差す。
そこには拡声器と縁の太い眼鏡が置いてあった。
あぁそういう事か。俺は思わず苦笑する。
全く持ってふざけているのかどうなのか、わからない。
だが、己のすべき事を悟った。悟らされた。
俺は執務机に近づき、眼鏡を手に持つ。レンズは入っているが度は無い。伊達だ。
それをかけて、一度クイッと持ち上げる。
何をやっているんだ、自分が滑稽に思えた。
だが自然と嫌な気はしなかった。しても意味が無いと分かっていた。
現状は変わらない。俺がすべきことは変わらない。
ただ、俺という存在が変わるだけだ。
拡声器を手に持ち、窓の鍵を開ける。
窓自体を開ける前に振り返って園を見た。この俺の姿を眉1つ動かさずじっと見つめている。
一体お前はこの光景を何回―――一瞬でかかった言葉を飲み込む。
俺は勢いをつけて窓を開け放つ。
「えー皆さん、お集まりでしょうか」
拡声器を構え、言う。
広場に集まった9998人の視線が俺に向けられる。
見知った顔が俺の目の前にいる。愛しい存在と再びめぐり合う事が出来た。
しかし、俺はもう彼等の隣に入られない。共に同じ時間を過ごすことは出来ない。
俺はもう八神麻斗ではないのだ。
「ようこそ、皆さん。楽園と監獄の世界、ネフェティアへ!」
世界は輪転する。
再び動き始める。
滅亡と再生を繰り返し、進んでいく。
あの世界、あの未来へ向けて。
世界は輪転し続ける。
ここでこの話は終わり―ループ物なので明確な終わりではないですが―になります、いかがでしたでしょうか。
この作品は、私が初めて完結させることが出来た物語であり、一番の思い入れがあるものです。この作品でライトノベル250P分を書くという大変さを知りました。
ご意見ご感想などをいただけたら嬉しく思います。
最後に、この作品を読んでいただきありがとうございました。




