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第六十九話

 何故今のこの場の状況を理解し、最適な判断を下せたのか。清陽と俺の戦場にしれっと姿を現し、清陽を回収してその始末をつける。いくらなんでも用意周到すぎやしないか。

 いや、今だけでない。博人さんはこれまで幾度となく、ネフェティアの危機を救ってきた。

 獣が襲撃する前に町を塀が囲み、初めて台風が近づいた時もその一週間前に突然宿舎の備蓄を確認させた。病が流行る時には必ずその特効薬の精製に一役買っていた。

 その結果、ネフェティアは神隠し以外の犠牲者を出さずに二年を終えようとしている。

 今までネフェティアで何かが起こった時の博人さんの行動はすべて正しかった。

 正確だった、正確過ぎた。

「貴方は……貴方は知っていたんですか? 分かっていたんですか、何もかも?」

 呟きに近い俺の言葉。それに対し、博人さんはふっと軽く笑った。

「そうだ。でも、今日で終わりだ。俺の役目はここで終わりだ」

 終わり、何の終わりか勿論理解できない。だが、特に怒気も何も感じられない声。その声に俺は自分が萎縮するのを感じ、そして何か寂しさを感じた。

――何故、俺はこんなにも博人さんに恐怖を感じているのか。

 今までこの世界の先導者として俺は博人さんに崇拝に近い感情を抱いていた。博人さんのように世界を導く、それは俺の目標でもあった。

 だが、今の俺は本当にこの人物は俺の知っている博人さんなのか自信がもてなくなる。

 いつからか、常に浮かべている気さくな表情は、それこそニヒルに微笑んでいるように見える。まるで俺の行動を観察しているような、天上から下界を見下ろすような悠然とした態度。

 俺とは立っている位置がまるっきり異なる、絶対的な存在の差。

 博人さんの姿をした…………何か。

「あなたは……あなたは一体……?」

 震える唇で問う俺に対し、目の前の何かは無邪気な笑みを浮かべ、口を開く。

「かつてはネフェティアの神に近しき存在。だが今はもうただの人間……そんな存在さ」

 博人さんは弱弱しい笑みを見せた。何か哀愁を漂わせるような、そして安堵するような表情。

 その表情が何を示すのか、俺には推測もできない。博人さんの言葉が理解できない。博人さんの言葉、その意味を吟味し、行き着いた結論。

『今はもう』という言葉の意味とは―

《皆さん今日は集まってくれてありがとうございますッ!!》

 そこで溌剌とした伊織のマイクを通した声が窓越しに聞こえてきた。呆然として動けない俺を横目に、博人さんは窓を開ける。すると観客の歓声が一層響き渡った。

 手すりに手を乗せ、伊織のステージを見る博人さんの後姿を見る。何故だろう、今の俺にはその博人さんの背中がとても小さく見えた。

「俺はね」

 いつもの僕ではなく、俺。なぜだろ、初めて聞く言葉遣いながら、まったく違和感がない。

「このステージを見たかった。この光景を見るためだけにここまで頑張れた。ここが俺にとっての……終着駅なんだよ」

「泣いて……るんですか?」

 顔は見えない、だが俺にはそう感じられた。何故だかは分からない。

「さぁどうだろう。ただ、視界はあまりよくない……かな」

 堪えるように博人さんは俯いた。そして自分を無理矢理落ち着かせるように、大きく息を吸って顔を上げる。

 博人さんがここまで感情を露にしているのを俺は始めて見た。いつも冷静で、物事を見極めていただけになんと声をかければいいのか、俺には分からない。

《ここネフェティアの永久の平和を願い、私はこの歌を歌います! 聞いてください》

 そんな中、ステージでは伊織の言葉と主に背後のスクリーンに『願いの果ての幸せ』という曲名が浮かび上がる。伊織がネフェティアに来てから立って一人で作り上げた曲。それの歌詞が伊織の口から紡がれようとしている。

 緩やかで優しい前奏が響き、伊織はマイクを口元に近づけ、僅かに口を広げる。観客は皆伊織の歌を聞くため自然と静まり返る。

 俺と、そして僅かに顔を上げた博人さんもその様子に固唾を呑む。

 そして伊織は歌い出す――ことは出来なかった。


「「え――?」」


 博人さんと俺の言葉が重なった。

 目を疑った。目の前で起きた事態に理解が追いつかなかった。全てを理解したのは、伊織の手から零れ落ちたマイクが床へと転がり、大音量の耳障りな音が響いた後だった。

 ステージの中央で伊織は倒れていた。何の前触れも無く突然膝を崩し、動かなくなった。

 会場全体が静まり返った。

 誰もが、何が起きたのか理解できていなかった。

「「伊織ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」」

 そんな中で再び重なった俺と博人さんの声は、いやに大きく響き渡った。

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