第六十四話
明日―日付が変わったので正確には今日―に備え、そろそろ寝ようという話になり、リビングのゴミを片付けてから、皆それぞれの部屋へと戻っていった。
ベッドに入った俺だが、しかし目が冴えてしまっているのか中々寝付く事が出来なかった。意味も無く長い時間ゴロゴロと転がって過ごす。
「ったくなんなんだよ」
寝ることは諦め、部屋の明かりをつける。式典での俺の主な仕事は各施設の見回りなので、そこまで重労働ではない。寝なくて何とかなるだろう。
さて今から何をして過ごそうかと思った時、突然扉がノックされ、「麻斗君起きてる?」と伊織の声が聞こえた。こんな時間に何の用か?
「あぁ。入っていいぞ」
答えると、扉が開き水色の水玉模様に可愛らしいフリルがついたパジャマを着た伊織が入ってきた。まぁ確かに可愛いのだが、少し子供っぽい気がするのも否めない。
自分を見ていた俺の目線に気付いたのか、伊織は顔を赤らめて俺から逸らす。耳にかかった髪をかき上げる姿は服装とは違い、妙に色っぽかった。
「え、えっと……な、何……かな?」
「いや、それは訪ねられた部屋の主である俺がする質問じゃないのか?」
「あ、う、うん。そうだよね。可笑しい……よね。ハハハハハ……」
照れたように笑う伊織だが、それが作り笑いだという事は分かった。しかし、何故作り笑いをしているのかは検討が付かない。「そこじゃないのに……」と小さく呟いたのが聞こえたが、それも理解できる内容ではなかった。
立たせたままでは行けないので、椅子を出して伊織を座らせる。最近こればっかりだな。
「それで、どうしたんだこんな時間に? コンサートがあるんだからちゃんと休んだ方が良いんじゃないのか?」
考えても仕方が無いので、状況的に疑問に思っている事を尋ねる。
「そうなんだけどちょっと寝付けなくってね。それで廊下に出たら、ちょうど麻斗君の部屋の明かりが点いたから」
「コンサートで緊張でもしてんのか?」
「どうなんだろう。確かに緊張はしているんだけど、今はそれが原因ってわけじゃない気が……。それに緊張だったら今こうやって話してる方が――って何言ってんの私!!」
またしても台詞を取られた。
「無し無し無し! 今の無し!! 忘れて!! 忘れて、お願い!!」
伊織は一層顔を赤らめ、恥ずかしそうに大げさに手を顔の前でブンブン振る。良く分からないが自分の地雷を自分で踏んでしまったらしい事は理解した。無視して追求してやるのも面白そうだが、「うー」涙目になっている伊織を見てやめる事にした。
可哀想だったのもあるが、出来れば彼女には笑っていて欲しい。
「まぁなんで寝付けないかは俺もそうなんだけどな。ちょうど話し相手として伊織がいてくれて感謝してるよ」
「本当に!?」
「あぁ本当に本当。夕月が馬鹿っていうのと同じくらい嘘偽り無い」
「それはちょっと頷けないかも」
友達としてだからか、伊織は肯定せず苦笑いを浮かべた。だが笑うっていう事は肯定していることとあまり変わらないのではないか。まぁ揚げ足は取らないで置こう。
お互いに笑いあった後、僅かな沈黙が場を支配した。かすかに肌寒さを感じた。
「私ね。この世界が好き」
切り出した伊織は、何か切なそうな表情を浮かべ、太股の上で組んだ手に目を落とす。
「この世界の人が好きって言った方が良いのかな」
俺は伊織の言葉にただ「うん」と頷いた。聞き手に回る時だと思った。
「皆協力して1つになって、いろんな困難に立ち向かって、精一杯生きている。それは凄く素晴らしいことだと思うの。でももしかしたら私が全然知らないだけかもしれない、私の知らないところで色んな悲しい事が起きているのかもしれない。桜ちゃんや累ちゃんの話だって私はこうして麻斗君たちと関わっていなければ、知らなかった」
桜の話は家事と生産の人間を除けば、ごく一部の人間が知っているに留まっている。だが累の件は発案者の清陽が記憶を失った今、本当にこの宿舎にいる人間しか知らない。
だがこういった事例は少なくないと俺は想定している。
「そんなネフェティアで、私や麻斗君は力を持っている。理屈じゃ語れない不思議な力を」
思い出す、伊織が最初にこの世界で歌った事を。暴れ出した人々を鎮めた伊織の歌を。そして、伊織の歌を放送で流し始めてから人々が荒れ狂う数が激減した。
伊織は世界の人々が平和に暮らせるように歌い続けている。俺とは違う、正当な方法で、世界を救おうとしている。




