第六十話
俺と伊織はゆっくりとした足取りで宿舎へと向かっていった。二人の間に会話はなかった。世間話など出来る空気ではなく、かといって先ほどの話をする気分もなれなかった。
この件を博人さんに任せた先ほどの俺の判断、あれは軽率なものではなったか。今まで同様、あの場で消した方が良かったのではないか。それが俺の思考に住み着いて離れない。
だが、あの博人さんには何か考えがある。今まで幾度となく世界を救ってきた博人さんの考え、それは一時たりとも間違いはなかった。救世主、と言うよりはこの世界の神。
そんな人物の言葉を疑うことは出来なかった。
「あれ、麻斗君?」
隣を歩いていた伊織の言葉に我に返る。目の前に建っている宿舎。どうやら考え事をしているうちについてしまったようだ。そして不思議なことに、その宿舎の玄関先に誰かが立っていた。それは一人の少女だった。
「あれは……」
近づく度に鮮明になる容姿。月明かりが心もとない状態だったが、俺はその少女が昼間、総樹と俺を見ていたあの少女であることに気付く。
「累ちゃん?」
「知ってるのか?」
「うん、教育で何回か会った事がある。桜ちゃんの友達」
そう説明し、伊織は累と呼んだ少女に近づく。
「累ちゃん!」
「伊織……さん」
累は伊織の言葉に弱弱しく返事をする。
「どうしてここに? それもこんな夜中に」
「いえ……その……」
累は歯切れの悪い言葉を返す。何か激しく動揺している。
俺は桜の友達と聞いた時、ここ数日学校に行っていない桜を心配してきたのだと思った。だが彼女の様子を見てそうではないのだと思った。今の時間は外出禁止令がしかれているため、訪ねるならば普通夕方の時間帯にするだろう。
夜にわざわざ危険を冒して外出、それも少女が一人でという状況に、何かを勘繰ってしまうのは仕方が無いことだろう。
少なくともただ事ではないのは確かだろう。それに昼間の件も気になる。
「累……なのか?」
背後で声がして振り返る。驚きが混じった戸惑いの声、その主である総樹は肩を少し上下させながら立っていた。博人さんと別れてからの時間を考えると、おそらく走ってきたのだろう。
「岸本……総樹……」
すると累の方も総樹の姿に驚きの声を上げる。二人は知り合いだったのか、ということに驚くのもつかの間、突然累が涙を流し始めた。
「ごめんなさい……私……本当に……ごめんなさい……」
地面に座り込み、塁は目から次々と毀れ出る涙を拭った。涙声は弱弱しく、そして途切れ途切れであった。
累のその姿に、総樹は罰が悪そうに顔を背けていた。




