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第五十五話

「どういう意味だ?」

 伊織の歌が人々に安らぎを与えているのは事実だ。この理不尽な世界がここまで機能しているのは、他ならぬ伊織の歌があったからこそだ。その伊織はこの世界でかけがえの無い存在だ。

「恵理さんて、凄いよね。頭が良くて、綺麗で。近寄りがたい雰囲気だけど、それなのに皆に頼りにされて。それでちゃんと結果を残して、この前の食中毒の時だって恵理さんが作った薬で皆が元気になった。それに今回だって桜ちゃんのために色々考えてくれてる」

 寂しげな口調。俺はその伊織の独白を黙って聞いた。

「でも私は何もできない。皆が病気で苦しんでいる時も、桜ちゃんが大変な時も力になってあげられない。歌うだけじゃ何の力にもなれない。助けられない物がたくさんある」

 そんなことはない―俺はその言葉が喉まで出掛かり、しかし無理矢理飲み込んだ。

 その言葉を他人の俺が発する事は簡単だ。伊織には恵理にも勝るとも劣らない功績が確かにある。だが伊織はそれを分かっていながら、自身を納得出来ていないのである。

 歌という絶対的な自分の長所を持ってしても、力不足を痛感している。中途半端に力を持つが故に付き纏う、更に上を目指そうと考えてしまう思い。

 それを解消するのは、自分を納得させるのはとても簡単なことではない。

「私は恵理さんと肩を並べられない。相応しくない」

「それなら、俺だってそうだ」

「……えっ?」

 驚く伊織に、俺は広げた右手を見た。多くの人々を消してきた、どす黒く汚れきった手。

「俺が今まで消してきた人たち。彼らは本当に消さなければならなかったのか、もっと別の解決方法があったんじゃないか。問題の解決法の中で殺すっていうのは最低の方法だ。俺もそれはわかっている。でも説得しても彼らは考え方を変えなかった。どれだけ言葉を重ねてもこの世界に適用することを拒否した。その結果俺は彼らを殺すしかなかった。やがて俺はそれが俺の役割であり、そして俺にはそれしかできないことを悟った。いや、そう割り切った。俺はどう言い繕うが人殺しだ。伊織みたいに人を救うことはできない」

 視線を心配そうな顔をしている伊織に移す。

「そんな俺は伊織に、ましてやその伊織が言う恵理と同じ空気を吸う資格すらなくなるぞ」

「そんなことない! 麻斗君は私たち以上にこの世界のことを考えてくれてる! 私じゃとてもできない力になってくれてる!」

「だったら、お前もそういうことだろ。役割に優劣なんてない。お前にできないことを俺がやる。俺にできないことをお前がやる。そんな俺たちにできないことを他の誰かにやってもらう。それでいいじゃないか」

「それは……」

「……俺が言えるのはここまでだ。厳しい言い方だけど、あとは自分で納得するしかない。ただ一つ言っておくと、俺にとってはもうお前も恵理も家族だ。だからその……どっちが上とかそういう悲しい事は言うな」

 くしゃくしゃに泣きそうな顔になっている伊織の髪を優しくなでる。妹、とは言いづらく、かといって姉とも呼びづらい、そんな関係。

「麻斗君は……欲張りだね」

「ん? 姉か妹かどっちか決めた方がよかったか?」

「そうじゃないよ」

 僅かにたまった涙を拭きながら、伊織は優しく微笑む。

「今はこのままでいい。でもいつかは決めて欲しいの」

「何を?」

「秘密!」

 そう言って伊織は軽く舌を出して笑った。分けが分からん。

「ありがとう、今日帰ってきてよかった。おかげですっきり出来たよ」

伊織の表情には入ってきた時の気落ちしたものはなく、吹っ切れたように晴れやかだった。

「じゃあそろそろ部屋に戻るね。本当に今日はありがとう!」

 立ち上がり、伊織は頭を下げる。

「伊織!」

 ドアまで歩いた所で呼び止める。

「何でも良い。何かあったら絶対に相談しに来いよ!」

「うん、ありがとう」

 そこで伊織がもう一度満面の笑みを零す。

そしてドアを開けた時――開放された空間から玄関が閉まる音が響き渡った。

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