第二十五話
俺には食卓に不穏な雰囲気が流れていると感じたが、幼稚園組は良く分かっていないらしく、野菜を食べてくれる恵理に感謝していた。
その時、俺の隣で総樹が小さく唸った。
「ちょいと空気が悪いところ申し訳ないんだがちょっと聞いてくれないか?」
おい、なんだその前振りは。空気が悪いは明らかにいらないだろ。という俺の心情が伝わったのかは知らないが、総樹は立ち上がると住人全員を一度見渡す。
「突然で悪いんだが、これからの生活で夜間の外出主に十時以降はあんまり外に出ないようにしてくれないか?」
この時、俺は食卓に流れる和気藹々とした空気が一瞬にして消え去るのを感じた。突然の伝達、だが夢や鈴も含めてその場にいた誰もが総樹の言っている内容を理解した。
「それって?」
「神隠しの対策と言ったところかしら?」
伊織の問いに答えるように、今まで野菜を摂取することに没頭していた恵理が代弁するかのように口を開いた。
「そうだと思ってくれて構わない」
神隠し、昼間夢が園長先生に言われたことである。人が何の前触れも無く失踪する現象を表す言葉であるが、ネフェティアではただの伝承や作り話とは捉えられていない。それもこのネフェティアでは実際に神隠しが起きているからだ。本当に人が、ある日突然朝起きると消え去っている。どこかに行ったのかという形跡も無く、ただ姿だけが存在しない。
だからこそ、脅し文句としての効果は絶大である。しかしその内容ゆえ不謹慎だという人も居り、昼間の園長先生の発言は中々のグレーゾーンだった。
気付けば夢と鈴はそれぞれ伊織と桜に抱きつくように身を寄せて震えている。それもそのはずだ。神隠しは俺たちでさえ恐ろしいことなのに、まだ幼稚園生の二人にはかなり刺激的過ぎる話だ。
だが、ネフェティアで生きていく以上、知らなければならないことの一つでもある。
そして、神隠しに逢う条件もだ。
「でも神隠しは何か悪事を働いた人間しか逢わないんじゃなかったんですか?」
「そのはずだったんだが……」
総樹は桜の問いかけに対して言葉を詰まらせた。それだけで総樹が何を言おうとしているのかは誰もが分かった。しかし、それはにわかには信じられなかった。事実だとすると、残酷にも程がある。
その時、俺の右手の袖を皆には見えない形で伊織が引っ張った。俺は周囲に気付かれないように、右手を机の下に隠して左右に振った。
「一体……誰だ?」
「……役所の人間だ。詳しくは俺も分からない。ただ彼は、諌められる様な事は一切していない状態で、姿を消したらしい」
神隠しに逢うのは、何か悪事を働いた人間である。それが今までのネフェティアでの常識であった。実際ネフェティアで神隠しに逢ったとされる五十人はその前日、もしくは前々日に問題行動を起こしていた。
慣れない生活によるストレスで発狂して数人の人間を傷つけたり、また数少ない物資を横領していたといった事や、恐喝などによる暴力行為を働いたなどのケースがあった。悪事を働けば無条件で、と言う訳では無いが神隠しによって消えた五十人全てにそれが共通していた。
だからこそ誰もがネフェティアで悪事―人々の生活を脅かすほどの―を働けば神隠しに逢う、そう信じていた。
だが今回は違う。桜などの一般市民ならまだしも、副代表である俺と恵理の耳に何か事件が起きたという知らせは届いていない。
つまり、絶対的な条件が崩れ去った。誰でも神隠しに逢ってしまう可能性が出てきたのだ。
「だからこそ、夜間の外出は極力禁止になった。もしどうしても、という場合には二人以上での行動を義務化する方向で頼む」
神隠しは必ず朝になって発覚する。よって夜に何かが起こったと考えられている。また一度に複数の人間が消えた例は今のところ無い。これからも無いとは必ずしも言えないが、対策として複数行動は良い案だと思う。
食卓を囲んでいた顔に、もう笑顔は無かった。ただ黙々と事実を受け入れる。ネフェティアに初めて来た時の静寂と同じだった。




