第十話
「それじゃ俺はそろそろ行くよ」
俺は夢たちのほうに顔を向けた。園長先生に勧められて嫌々しながら夢が人参を食べている。その光景が微笑ましく見えた。するとその視界の隅で伊織が何やらモジモジしていた。
「よ、良かったら麻斗君も一緒にお昼……どうですか?」
上目遣いで訊ねてくる。アイドルをやっている分だけあり、純粋に可愛いと思った。
「あぁ……それは良いお話だけど」
「誰かと約束とかしてるんですか?」
気のせいか、伊織の声のトーンが若干下がった気がした。
「まぁちょっと研究の方に」
言った途端に急に伊織が真顔になった。その急激な変化に内心びびる。
「研究って、もしかして恵理さん……ですか?」
「あぁ。桜に弁当届けるの頼まれてるんだ」
「………………………………そうですか」
「えっと……な、何か?」
「いえ、何でもありません」
と言いつつも、伊織の表情は暗くなりジーと俺を見ている。桜が恵理に思うと事があるのは宿舎の仲間である伊織も承知のはずである。だがそれを追求すると、恐ろしい気がした。
不穏な空気が流れ、俺は伊織に何も言えずに立ち尽くす。ちょ、誰か助けて!
「伊織さーん。そろそろ行きますよ」
救ってくれたのは園長先生の声だった。
お昼休みが終わったのか、芝生の上に広げていたシートを片付けて、帰る支度をしている。
「はい。今行きます」
伊織は抑揚が感じられない声で返事をした。静かに怒っていると表現しても良い。だが俺にはその理由が全く分からない。
「それでは失礼します」
仰々しいほどの会釈をして、伊織は俺の前から去っていった。明らかに不機嫌。その光景を見て俺はうーんと唸る。
今日は女性を怒らせてばかりだ。何故か分からないが今日はそんな日だ。
伊織たちが校舎に帰っていくのを見届けた後、俺は研究の本部へと足を運んだ。外見は白を基調としたシンプルな建物だ。はっきり言えば、四角いだけの建物である。それだけ見るととてもネフェティアの最高の頭脳が集まる場所とは思えない。
いや―シンプルだからこそ、とでも言えば良いのか。だからだろうか、研究には変わり者が多いことで有名だ。代表的に上げられるのはコミュニケーションが取り辛いことだろう。
この建物の中で行われている事は俺も詳しくは知らない。はっきり言って謎の組織だ。だからこそ入るのに少し覚悟がいる。