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あるピアニストのための楽曲  作者: 今日子
第一幕 《逝ける王女に捧げる舞踏曲》
9/34

sieben

「……で?お分かりになりましたか?大方友達が殺されて云々と涙でも流しながら彼女は証言したのでしょうが、あの手の女にとっては涙は武器の一つであり、友達は道具なのですよ。良かったですね、女の本性についてこれ以上ない勉強が出来て」

 身も蓋も無い言葉である。女性に多かれ少なかれ夢を持っている男性諸君が涙を流す事だろう。しかし先程の令嬢の様子を見てしまった後では誰も反論が出来ない。

「えぇ……と、済まなかった。貴殿はその……」

「クリスです」

「クリス殿。フルネームは何と?」

 途端、クリスはあからさまに嫌な顔をした。彼が普段名乗っている“クリス”という呼称は愛称であり、本名はもっと長い。彼が今まで強固に愛称で通してきたのは、彼の名前――特に家名――がこの国に住む人間ならば誰もが知っている程有名だからに他ならない。

 しかし仮にクリスがここで本名を言うのを拒否するのは賢いやり方ではないし、子爵家の令嬢が殺されたとなれば軍の上層部が黙っているはずもなく、早晩、クリスの正体は知れてしまうだろう。いや、もしかしたらクリスの存在を知った途端に上層部は彼がこの場にいた事実を揉み消しにかかるかもしれないが、どちらに転ぼうと彼にとって不本意な結果になるのは目に見えている。だがこの場で名乗るのも……と無表情の下でクリスが逡巡しているのを付き合いの長いアレクは気付いていた。

「あの、軍人様?」

「ああ、済まない、ハルトムート・クナープ中尉だ。何かな、少年」

 間近で見てみるとこの目の前の男は鮮やかな赤髪と同色の瞳を持っている事が分かる。加えて顔が強面だから、鮮烈な色彩と相まって相手に威圧感を与えている様だ。高圧的な態度とばかり思ってきたが、多分にこの容姿の印象に影響を受けていたのだろう。

 何故ならただの小姓が話に割り込んできたのにも関わらず嫌な顔をせず、アレクの話を聞く態度を見せているのだから。アレクは内心で‘高圧的な人’と思っていた事をクナープ中尉に謝罪する。

「アレクシス・キルヒナー、クリス様のお屋敷で小姓を務めております」

「そうか、幼いのにしっかりしているな」

 クナープ中尉は明らかにアレクの実年齢を誤っている。複雑な心境ながらも、残念な事に年齢を間違われるのは珍しい事ではないため、特に訂正をせずに微笑んだ。

 そして身振りで彼にしゃがんでもらい、耳元に口を寄せて小さな声で囁いた。

「クリス様はやんごとない身の上の方でいらっしゃいます。おそらく、聞けばこの場にいる全ての人間が耳を疑う程の貴人です。私の主は現在、貴族社会を厭って郊外で半隠遁生活を送ってらっしゃいますので、自身の身の上が知れて騒ぎになりのは本意ではありません。どうか、察していただけませんか?」

 アレクは懇願に近い声音で言った。そして一言つけ加える。

「あの方の事は知らない、そうした方が貴殿のためになるだろうと若輩の身ながら、ご忠告申し上げます」

 釘を刺す事を忘れない。

 クリスは宮殿さえも憚る貴人。そんな彼を‘そこの男’呼ばわりした事を、彼を深く探らなければ水に流すという意味だ。

 クナープ中尉は一瞬目を見開いた後、小さく苦笑した。こちらの意図は十分に通じたらしい。

「驚いた。こんなに小さくとも立派な小姓だ」

「恐れ入ります」

 あんな主の下で育てば多少は(こな)れもする、と内心で呟く。

「それでは皆さん、この場にいる方々の名前は控えさせて頂いたので、もう帰って下さって結構です。これから調査にご協力を頂く事があるかもしれませんが、皆さんの良心と良識に期待しています」

 何とも含みの多い言葉だ。

 この場にいるのはコルネウス商会を束ねる、ハーゲン・コルネリウスに認めれた人々である。多くの人間が中尉の言葉を性格に理解し、苦い表情ながらも頷いていた。

 クナープ中尉は人々を見渡し、最後にクリスを見遣った。

「クリス殿、貴方は……」

「しばらくはここに滞在していますよ。もしもいなければ郊外の……」

「分かっていますよ、薔薇屋敷だ、梟の方」

 クリスは再び片眉を上げた。しかし先程とは違うのは、その顔に浮かんでいたのが面白いものを見つけた、という表情な点だ。

 ‘梟の方’というのは彼の一族がこの帝国の知の全てに通じていると言われているため、その紋章が‘賢者’を表す動物である梟を象った物である事に由来する呼称だ。みだりに名前を口に出すのがはばかれる彼をいわば暗喩する言葉だ。そして薔薇屋敷とは彼らが現在住んでいる郊外の別邸を、その庭園に見事な薔薇園がある事から周囲に住む人間達がそう呼んでいるのだ。アレクの与えた僅かな言葉だけでクリスの正体を知ったクナープ中尉は決して愚かな人間ではない。

「愚鈍な人間は嫌悪しますが、賢い人間は嫌いじゃありませんよ」

「褒め言葉と受け取ってよろしいですか?」

 クリスは肩をすくめた。

 捻れた賛辞だが、これこそが彼の彼たる所以(ゆえん)である。

 クナープ中尉は小さく会釈をすると、真紅の軍服の裾を翻して軍人らしい颯爽とした足取りで去っていった。

「少々驚いたな。思っていたよりも気付くのが早かった。アレク、あの男に何て言ったんだい?」

「郊外で半隠遁生活を送っている貴人、とだけ。ですけどクリス様、ああいう方って好きでしょう?」

「さてね」

 小賢しいのは好きではないが、一をいったら十は理解してくれないと話をする気さえ起きない。主の難しい好みには昔から振り回せれてきた。

「隠しても無駄ですよ。何年共にいると思っているんですか?」

「お前は覚えていないだろうけれどお前が生まれた時からで、間に私が寄宿舎に行っていたから、もう十年程になるな」

 クリスは初めて会った頃の赤子だったアレクを思い出す。柔らかい薔薇色の頬の赤子の顔に浮かんでいたのは眩しいばかりの笑顔だった。そして目の前の小姓とよく似た面影の美しい女性……。

「クリス様?」

 アレクは突然黙り込んだ彼を不審がって首を傾げる。そして珍しい事に、アレクの呼びかけにはっとすると、己の小姓を見つめた。それはまるで自分の中に別の人間の面影を探しているかの様で、アレクは小首を傾げる。

 クリスはたまにアレクをこういう眼差しで見る事がある。しかしそれは何かを懐かしんでいるかの様な暖かな眼差しで決して不快ではないから、どうしていいか分からなくなるのだ。

「どうしたんですか?」

「……あぁ、らしくない事に少し感傷的になっていただけよ」

「……感傷的ですか」

「何か腹が立つな、その言い方。私だって感傷的になる時くらいあるよ」

 心底意外だという声を出すアレクに、クリスは不服を訴える。

「僕を見て何を感傷的になる必要があるんですか」

「いや、大きくなったなぁ、と思って。相変わらず小さいけれど」

「小さいは余計ですよ!!」

 思わず言い返す。そしてクリスはふてくされるアレクの頭をかいぐり回した。

 彼は殊の外アレクの頭の位置と髪の感触がお気に入りである。興が乗るとすぐこうやって髪を乱すのだが、癖の無い真っ直ぐなクリスの髪とは違い、癖毛を短く整えているアレクは直すのが大変なのだ。手櫛のみですんなりする櫛いらずの髪の毛が心底恨めしい。

「クリス殿」

 振り返るとそこにいたのはハーゲン・コルネリウス。人の良さそうな顔には常には好感度の高い笑みを浮かべているが、今は表情が硬く顔色も悪い。

 それも当然だろう。邸内で招待客が殺されるという惨事に見舞われたのだから。おそらく今彼の頭の中では今後どうするべきか、目まぐるしく検討している事だろう。

 彼は深々と頭を下げながら言った。

「この度は私達が無理を言ってわざわざここまで来て頂きましたのに、この様な事になって……」

「お気になさならいで下さい。今回の事でお困りなのは私達以上にそちらでしょう?」

「……そうですね。殺害されたのが若いお嬢さんで娘の友人なのに、こう言うのはどうかと思いますが……どうしてわざわざここで、と思わずにはいられません」

 彼の言う通りだ。安易に邸内の人間が犯人だと断定するのは危険だが、一番犯行が可能な邸内にいた人間の多くは社会的に地位の高い人間で、もしくはコルネリウス家の使用人である。どちらにしろコルネリウス家に関係のある人間達ばかりだ、彼が頭を痛めていても誰も責められはしないだろう。

お嬢さん(フロイライン)はどうなさったんですか?先程はいらっしゃらなかった様ですが」

 アレクは内心で頷いていた。

 この会場には夜会に参加していた人間が一堂に集まっていたが、ツァンパッハ子爵夫婦を除くと、デリアとその婚約者のエドヴァルトだけがいなかった。

 クリスとクナープ中尉がその事には触れなかったため疑問を口には出さなかったが……。

 ハーゲンは沈痛な表情で言った。

「ツァンパッハ子爵とは昔から親しくさせて頂いておりまして、デリアは幼い時からご令嬢とよく遊んでいました。親しい友人でしたからね、彼女の死を伝えると娘はひどく取り乱して……人前に出られる状態ではなかったのです。今は医者に処方された安定剤を服用して、眠っております」

 エドヴァルトはそんな彼女に付き添っているという。

 ハーゲンの言葉によるとここ最近、デリアは眠るのをひどく怖がり、憔悴していたらしい。精神の安定を欠いた状態で友人の死を知った彼女は、父親の彼ですらも手に負えない状態だった、と重い口調で語った。

 先日クリスの許を訪れた時から思っていたことだが、デリアはどこか脆い印象がある。昨夜会った時にはその印象は更に強まり、アレクは思わず声をかけてしまったほどだ。

 憔悴しながらも明るく振舞っているのが尚更に痛々しく、いつか崩壊してしまうのではないかとどこかで感じながらも、まさかこんな最悪の状態で、と思わずにはいられない。

「私達は商人です。自分の心を悟らせず、相手を不快にさせない笑みという名の鎧を身につけろと娘にも常に言ってまいりました。しかしそれは間違っていたのではないかと、こうなってみて初めて思うのです……」


自分のサブタイトルのセンスの限界にぶち当たり、全話話数で統一しました。内容は変わっていないです。

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