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◆第6話◆

 昌美は僕といる以外は、オサムと一緒にいるらしい。

 公にはしていないが、クラスの何人かは昌美とオサムが付き合っていると噂しているのを耳にしている。

 しかし、本人たちに誰かが冗談半分で訊いても、二人共否定を臭わせた笑みで受け流す。

 僕の心は梅雨の到来と共に、そのどんよりとした雲行きのごとく重く沈んだものに変わっていった。

 大切にしていたのに……僕は昌美が一番お気に入りだった。

 それなのに他の男に食われてしまうなんて。

 しかも、その相手がオサムだなんて。

 彼女の白い身体の全ては、僕が手の届く距離でずっと我慢していたのに。

 僕にとってこれは、れっきとした失恋だった。

 しかし、そんな事を引きずって何時までもブルーな月日を過ごしたくもない。

 僕は入学当初から目をつけていたもう一人の女性、隣のクラスの若林サクラという娘に近づこうと試みた。

 彼女はバレー部でリベロをこなしている。小柄な僕と身長差はほとんど無い。

「ねえ、現国の教科書貸してもらえないかな」

 僕はサクラが廊下側の席にいる事を知っていた。

 休み時間に何度か教室を覗いて、彼女が一人でいる瞬間を狙って声を掛けた。

「えっ、う、うん。いいけど」

 彼女は何となく怪訝な表情をしていたが、快く教科書を貸してくれた。

 これでキッカケは掴めた。

 僕は現国の時間、二冊の教科書を前に、これからの作戦を考えていた。




「ありがとう、助かった」

 昼休みに教科書を返しに行った僕は、彼女の机の所まで言って微笑んだ。

「あたし、三田村亜希子」

「知ってるよ、隣のクラスだもん」

 彼女は僕の返した教科書を机にしまいながら

「それに、うちの男子も時々話ししてるよ」

「えぇ、何か悪口とか?」

「違うよお、人気あるって事でしょ」

 彼女はそう言って、僕の手をポンッと叩いた。

 小さな白い手は、爪がきれいに切り揃えられていた。

「ねえ、お礼にお茶でもしようよ」

「えぇっ? なぁんか男のナンパみたい」

「そうそう、よく言われる。義理堅いだけなのにサ」

 僕はそう言って、女の子らしい笑みを作ると、彼女もつられるように笑った。

 ランダムにシャギーを入れた黒い髪が、彼女の頬で踊っていた。

「いいよ。オゴリなら、喜んで」

 彼女は自分の顎に人差し指を当てて

「でも部活があるからなぁ……今週の金曜日なら」

「わかった、じゃあ金曜ね」

 サクラに手を振って教室を出た。確かに、その様子を伺う何人かの男子生徒の視線を、僕はずっと感じていた。





 僕は本来左利きだった。しかし、厳格な父と作法にうるさい母親が無理やり右利きに矯正したのだ。

「女の子が左利きだなんて、みっともない」

 母は口癖のように言った。

「隣の人と、箸を持つ手がぶつかっちゃうでしょ。右手で持ちなさい」

 小さい頃の僕は、食事の度に手を叩かれた。

「左で描く人がいますか!」

 初めてクレヨンを手にした僕は、再び母親に叩かれる。

 リビングテーブルに描いた落書きではなく、クレヨンを持つ手を叱られたのだ。

 おかげで、今では字を書くのも、箸を持つのも右だが、やっぱり左利きは直らなかった。

 しかし、自販機などのお金の投入口は必ずと言っていいほど機械の右端に在る。

 左で小銭を持つ僕は、半歩横にずれないとお金が入れにくいのだ。

 ずっと意識せずに暮らしていたが、一度「左利きの不便さ」などと言うテレビ番組の特集を観て以来やたらと気になってしまう。

 普段僕は当然のようにジーパンを履くが、もちろん母親はよく思っていない。

 家族で出かける時はよっぽどアウトドアなレジャーでない限り、スカートを履かせられる。

 だから僕は、中学の頃からあまり家族で出かけるのは好きではないし、進んで出かけようとも思わなかった。

 父親は大手ホテル会社に勤めている為時間が不規則で、それがせめてもの救いだ。

 あの厳格な父親が、9時〜5時勤務だったらと思うと、僕はもっとグレまくって家には寄り付かなかったかもしれない。

 母親は日本舞踊と華道を教える教室で先生をしている。

 今時日本舞踊? と思うが、意外と習いたがる娘が、いや習わせたがる親が多いと言うべきか。


「亜希子、ちょっと来なさい」

 また始まった……今度はなんだろう。

 学校から帰って部屋のベッドに寝転がった僕を呼ぶ声が、階下から聞こえた。

 僕は足音を立てないように階段を下りる。

「なぁに」

「あんた、この傘どうしたの?」

 母親が手にしているのは、最近元町の雑貨屋で買った、総柄でドクロの絵が描かれた黒い傘だ。

「こんな傘どうするつもり?」

 母親の顔は既に呆れかえっている。

「雨の日にさす」

「バカじゃないの。もう、こんな傘使わないでよ。ご近所に恥ずかしいでしょ」

 母親は、部屋にでもしまっておけと言わんばかりに、僕に傘を差し出す。

 僕は渋々それを手に、再び階段をあがった。

 背中から、母親の大きな溜息が聞こえていた。




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