◆第31話◆
翌日、学校へ行くとホームルームの後に、担任に呼び出された。
昨日の二人は、ノッポの方が佐々木美紀。茶髪の方が高木ゆりと言うそうだ。
やはり、二人共隣のクラスの娘だった。
ゆりは脳震盪を起こしていて、教師に助けられたらしい。
ノッポの佐々木美紀は、目の周りが青く腫れ上がって鼻血も酷く、病院で手当を受けたそうだ。
手で殴るよりマシだと思った行為だったが、たまたま入っていた教科書が運悪く効果を発揮したらしい。
「お前、何やってんだよ。最近急に遅刻が増えたと思ったら」
担任は理由も聞かずに僕に向かってそう言った。
きっと、僕が一方的に悪い事になっているのだろう。
僕は黙ったまま、窓の外を見ていた。
やけに清々しい青空が続いて、今すぐ何処かへ行きたいと思った。
「もうすぐ転校なのに、何でこんな事するんだ?」
担任の口調は穏やかだったが、その視線は明らかに僕を責めるものだった。
僕は口を開かなかった。
担任は肩をすくめると
「とりあえず、彼女たちに謝罪しろ」
「はあ?」
「停学にはならないように、何とかするから」
彼は、いったい何をしたいのだろう。
きっと、あの娘たちの父兄からクレームが来ているのだろう。
「停学でいいです」
僕は、視線を外に向けたまま呟いた。
「そんな事言ったってお前、あと3日でこの学校とお別れだろう」
「じゃあ、今日で終わりでいいです」
僕は、そう言って担任の横をすり抜けると、そのまま職員室を出た。
「おい、三田村」
担任はドアの所までは追いかけて来たが、それ以上は追いかける気は無いようだった。
僕は教室に帰ると、机の中の教科書を全部鞄に詰め込んで、その場を後にした。
その姿に、声をかける者はいなかった。
みんなの無言の視線は、何だかとても痛く全身を突き刺した。
世界史の授業が始まっていたが、教師はポカンと僕を見ているだけだった。
「アッコ!」
廊下に出た時、背中で昌美の声がしたが、僕は立ち止まらなかった。
毎日通った北向きの廊下が、その時はやけに暗く感じた。
僕は知らぬ間に、洋介がいた病院へ来ていた。
病院の匂いは嫌いだったが、ここの匂い=洋介のような気がして、なんだかとても懐かしく感じた。
彼との思い出の大半はここにあるような気がした。
洋介を訪ねてここに通った日々が、ものすごい昔の出来事のように思える。
「あら? あなた」
若い看護師が休憩ロビーにいた僕を見つけて声をかけてきた。洋介の病室を担当していた看護師だった。
「また、誰か入院?」
僕は、テーブルに顎を乗せたまま、無言で首を左右に振った。
「学校はもう終わったの?」
その看護師は僕の向かい側に浅く腰を下ろした。
「終わった」
僕は、視線を伏せたままちいさく言うと、心のなかで、永遠に…と付け加えた。
彼女は再び立ち上がると、何処かへいなくなった。
僕は、テーブルに突っ伏したまま、深く息をついた。
しかし、少しするとさっきの看護師が戻ってきて
「あたし、今から休憩なんだけど、お茶でも付き合わない?」
彼女の言葉に、僕は顔を上げた。
最上階にある喫茶室で、僕はココアを目の前にして窓の外ばかりを眺めていた。
いつの間にか空はずいぶん高くなって、わた飴の欠片のような雲が、遠くに薄っすらと浮かんでいた。
「死んだら、男も女も無いのかな」
僕は不意に呟いた。
「えっ?」
「死んでも、やっぱり男と女はあるのかな」
「さあ、どうだろう」
看護師はエリカという名だった。
「あたしの両親は、あたしが小さい時に事故で亡くなったんだけど、もし死んだ後に男女が無くなったら可愛そうだな」
エリカはコーヒーカップーに手を当てて
「だって、男でも女でもなくなったら、お父さんとお母さんは夫婦でいられないでしょ」
僕はだまって彼女の顔を見つめた。
睫毛が長く見えるのは、ハイテクマスカラのせいか……
「そうだね……」
僕は、そう呟いて冷めかけたココアを飲んだ。
成分が分離して、ココアは底に沈んでいた。
「どうして、ここへ?」
「わかんない。ただ何となく足が向いた感じ」
僕はカップに視線を落したまま言った。
「お線香上げに行った?」
「えっ?」
「亡くなった人に会いたいときは、病院じゃなくて他に会える場所があるはずよ」
彼女はそう言って、優しく微笑んだ。
僕は洋介に会いたいのだろうか。彼に会いたくて病院へ行ったのだろうか。
そこにいるはずなんてないのに……
病院を後にした僕は、ただ街中をぶらつく以外にやる事は無かった。
駅前のネットカフェに入って時間を潰した。
隣のサラリーマンが、鼾をかいてバク睡していた。
マナーモードにした携帯の着信ランプが、しきりに点滅していたが、僕は一度も電話に出る事はしなかった。