◆第25話◆
この場にはそぐわないほどの優しい木漏れ日が、窓から降り注いでいた。
僕の耳には、ピーという心音計の最後の音が何時までも鳴り響いて、何度頭を振ってみても、それは止む事はなかった。
これは罰なのか……無理やり未穂を抱いてしまった僕への罰なのだろうか。
女性の身体で女性に欲情する僕への戒めなのだろうか。
それとも僕には、心の同性を対象とした友達を作る事が、許されないのだろうか。
僕の前から消えたのは、未穂ではなく、洋介だった。
僕とエナは並んで椅子に腰掛けたまま、会話は無かった。
時折通り過ぎる誰かの足音が、僕たちを包み込む沈黙の闇を掻き分けて、やたらと大きく聞こえた。
休憩ロビーの違うテーブルには、洋介の家族が集まっている。
弟と妹。二人共高校生のようだ。
だから洋介は、僕と接するのが上手だったのかもしれない。
友達と言うより、僕は妹みたいな存在だったのか。
父親はさっき、ようやく来たようだ。仕事を抜けるのに手間取ったのだろう。
母親に促されて、処置室へ洋介を見に行った彼は、抜け殻のように生気を失った表情を浮かべて戻ってきた。
僕は、見てはいけないと思いながらも、子供を亡くした父親がいったいどんな顔をするのか、ついつい盗み見てしまった。
そして今、涙はいったん枯れたように、皆気丈に振舞いながら話し合っている。
彼をどの業者に頼むか。
亡骸をどの葬儀会社に依頼するか、相談しているのだ。
「とりあえず、一端出ようか」
エナが、小さな声で言った。
鼻がまだ赤いままで、睫毛も濡れている。
僕は黙って頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
僕たちがロビーを出ようとした時、洋介の母親が駆け寄ってきて深々と頭をさげて何度何度もお礼を言った。
僕はどうしていいのか判らずに、ただ立ち尽くしていた。
外の陽差は暑かった。その眩しさに思わず目を細めた。
今日という日が、何だか幻のような感じがして、現実感が無かった。
僕は本当に現実を生きているのだろうか。
そして、本当に洋介は死んでしまったのだろうか……
病院の建物を見上げると、やっぱり窓全体に大きく青空が映り込んでいた。
この建物は現実のモノなのか。
外があまりにも何時もと変わらない風景だから、今日この中で起きた事は余計に現実味が無かった。
不意に僕の携帯電話が鳴った。病院に入る際も、電源を切るのを忘れていたらしい。
電話は自宅からだった。
「ちょっと亜希子! 今何処にいるの? 学校から連絡があったわよ。あんた何してるの?」
凄い剣幕で母親の怒鳴る声が聞こえた。
「亜希子聞いてるの? あんたいっ…」
僕は無言で携帯の電源を切った。
「お母さん?」
エナにも、電話からの声が聞こえたのだろう。
「うん」
「ごめんね。学校サボっちゃって、叱られるね」
僕は大きく首を横に振ると
「ううん。呼んでくれてありがとう。お陰でさよなら言えた……」
「そうだね……さよなら言えたね」
エナは静かに呟くように言った。
正午を知らせるサイレンが、何処からか聞こえていた。
エナに聞いた話では、洋介は大学で心理学を専攻していたらしい。
だから、僕の些細な動作を見て、左利きを当てたのだ。
そして僕は、彼が言った「お前、もしかして……」という言葉を思い出した。
彼はあの時何と言おうとしたんだろう。
僕の何に気づいたのだろう。
まさか、いや……それは無いだろう。
いくら彼でも、僕のFtM−GIDに気づいたとは思えない。
でも僕は、心の何処かでは気づいて欲しいと、ずっと思っていたのかもしれない。
その日はバイトを休んだ。
家に帰ると母親にグダグダと小言を言われたが、何時も以上に僕の耳には入らなかった。
夜になってから、恵美子から電話があった。
電話の向こうでしゃくり上げる彼女の声で、僕は再び涙が止まらなくなった。
部屋の外に声が漏れないように、必死で押し殺した。
真っ黒なガラス窓に映る僕の姿は、ただの女の子だった。
僕の悲しみの理由は、他の誰のものとも違うのかもしれない。
でもそれは、誰にも判らないだろうし、僕自身誰かに説明する事は不可能だと思う。