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◆第22話◆

 海はまだ夏の陽差を残していた。

 家族連れやカップルが砂浜のここそこで日向ぼっこをしている。

 湘南海岸沿いの道路を走ると、窓から入る海風とその香りが心地よかった。

 こうして見ると、湘南もそんなに汚い感じはしない。

 駐車場にはサーフボードを積んだ車の姿もあった。

 交差点を曲がって江ノ電の踏切を渡り、道なりに進むと右手に大仏が見える。

 土曜日だからなのか、敷地内の専用駐車場は混雑していた。

「駐車場、混んでるね」

 僕の言葉に洋介は鼻をならして笑うと

「全然平気だよ」

 そう言って、障害者用スペースに車を滑り込ませた。

 僕は一瞬驚いたが、そう言えば洋介は人工透析をしている。れっきとした障害者なのだ。

 よく見たら、車のリアガラスに小さな障害者シールが貼ってあった。

 料金所で駐車チケットを貰う際に、彼が提示した障害者カードには、「第1級身体障害者」と書いてあったのがチラリと見えた。

 第1級……僕は、彼の病気の重さを再確認した気がした。

 そんな彼が、車を普通に運転して、僕の横で笑ってソフトクリームなんかを食べている姿は、何だか不思議に思えた。

「うまいだろ、ここのソフト」

「うん。美味しい」

 僕がバニラを頼むと、洋介は

「お子様だなぁ」と言った。

「大人はゴマだよ」

「ゴマ?」

 そう言って、ゴマソフトを手にニンマリと笑った。

「ゴマなんて邪道だね」

 別に普通のソフトクリームだったけど、何だか美味しく感じた。

 鎌倉は中学の遠足で一度来たことがあるが、大仏の中に入れることは知らなかった。

 内側の壁面の継ぎ目部分には、たくさんの小銭が挟んであった。

「これって、願掛け?」

「そうだろう。みんな、信心深いんだよ」

 僕の質問に、洋介はそう言って笑った。



 鎌倉のお寺は大きかった。

 ここも中学の遠足で来たはずなのに、あまり記憶がない。

 玉砂利の境内を歩いて階段を上る。

 そこらじゅうに小さな祠があって、何かを奉ってある。

「せっかくだから」そう言って、洋介に促されるまま参拝もした。

 僕は小銭を投げ入れる時、何を願おうか考えた。

 どうせなら、この身体を男にするか、心を女にして欲しい。どっちでもいいから統一して欲しい。

 でも、そんな事願ってもどうしようもない事は判っている。

(洋介の病気が良くなりますように……)

 他にはそれしか思い浮かばない。

 僕は静かに手を合わせた。

 しかし、後で知ったが、腎不全は自力回復はないのだそうだ。一度機能を失った腎臓は元には戻らない。

 腎臓移植しか透析を逃れる方法はないのだが、移植手術を待つ患者は多く、臓器は極端に不足している。

 それでも、運よく移植がうまくいったとしても、拒絶反応を防ぐために一生クスリを飲み続けることになる。

 彼はどんな願い事をしたのだろうか。

 ちょっとだけ気になったけど、結局訊かなかった。



 僕はバイトを急遽休んだお詫びに、お店にハトサブレのお土産を買った。

「俺が誘ったから」そう言って、代金は洋介が出してくれた。

 帰りの湘南海岸は、来るときとは違ってひっそりとしていた。

 家族連れの姿は無く、ポツリポツリとカップルとサーファーの長い影が揺らめいていた。

 長閑に犬の散歩をしているのは、地元の人だろうか。

 太陽は海岸線に大きく傾いて、砂浜は淡い黄昏色に染まりつつあった。

 車を停めて僕たちは砂浜に下りてみた。

 少し乾いた風が緩やかに吹いて、僕たちの髪を揺らした。

 湘南の砂浜は初めてだ。何だか妙に黒々としているのは夕方のせいだろうか。

 よく見ると、けっこうゴミが落ちているけど、オレンジ色の雲がきれいで、僕は空ばかり見ていた。

 洋介がポケットから取り出したデジカメを僕に向けてシャッターを押した。

「なんだよ。カップルみたいじゃんか」

「そんな事ないだろ。友達同士だって写真は撮るぜ」

「いいよ、別に撮らなくて」

 僕は写真が好きではない。

 この姿を写真で見ても、自分だという実感がわかないのだ。

 それでも、洋介は数枚シャッターを切った。

 黒々とした砂浜を良く見ると、あちこちに貝殻が落ちている。

 僕は、サクラ貝の淡いピンク色の貝殻が目に付いて、思わず拾い上げた。

「そうやってると、やっぱり女の子だな」

 その姿を見ていた洋介がそう言って笑ったので、僕は手にした貝殻を慌てて棄てた。


 夕日があっという間に海岸線に消えようとしていた。

 空も雲も、そして砂浜も茜色に染まって、僕たちを包み込んでいた。

 その時見た夕日は、まるで写真のように僕の瞳に焼き付いて、ずっと忘れられない一枚となった。




 翌日バイトへ行くと、恵美子がしつこく休んだ理由を聞いてくる。

「なになに、男でしょ」

「そんなんじゃないよ。友達と出かけたんだよ」

「ふうぅん」

 彼女は納得行かない顔で笑いながら、少しイヤラシイ目で僕を眺めた。

 僕は他の連中に気づかれないように、レジの横に置いてある黄色い臓器提供カードを一枚手に取って、腎臓に丸を着けて財布にしまい込んだ。

 洋介とは血液型が違うから、万に一つもクロスマッチする可能性は無いけれど、それでも何だか持っておきたい気持ちになったのだ。

 ささやかな友情のしるしに……




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