◆第13話◆
バイトの帰り道、僕は何となく昌美に会いたくなって、そのまま自転車をこいで彼女が勤めるファミレスまで行った。
ちょうど着く頃には、彼女もバイトの上がりの時間のはずだ。
歩道を走り抜けてファミレスに到着した時、建物の裏に人影が見えた。
昌美かもしれない。
僕は駐車場で自転車を降りると、裏手に回って、彼女だったら驚かしてやろうと思った。
しかし、確かに昌美はいたが、そこにはオサムの姿もあった。
おそらく彼が迎えに来たのだろう。
二人は、裏口を出た暗がりの中で抱き合い、キスをしていた。
僕は急いで後ずさりして、壁の陰に隠れた。
二人はキスに夢中で、僕の気配に全く気づいてはいなかった。
角からそっと覗くと、二人はまだキスをしている。
昌美の生々しいキスの姿に、僕は堪え切れない何かが沸き起こり、頭の中でザワザワとうごめくのを感じた。
僕は物音を立てないようにきびずを返して駐車場に出ると、そのまま自転車に乗って走り出した。
当たり前だ。二人は付き合ってるんだから。
男と女なんだから。
何もおかしくはない。
僕は自分にそう言い聞かせて、頭の中のザワめきを吹き飛ばした。
ペダルをこぎっぱなしで家の近所まで来た時、小さな公園の前で自転車を止めた。
僕は荒げた呼吸を整えるように大きく息をしながら、公園のベンチに腰掛けた。
ポツリと一つだけある小さな街灯が、辺りをほの暗く照らしている。
キスをする昌美の顔が脳裏に焼きついていた。
彼女はあんなにイヤラシイ顔ができるのだ……
僕は、小さな鞄からタバコを取り出して火をつけた。
大きく吸い上げると、何時もよりハッカの味が強く感じた。
* * * *
青く輝く水面は遥か彼方へ続いて、ナイフで切ったように一本の線となって終わっていた。
そこには、陽炎に包まれた作り物の黄色いクジラが、湧き出たような入道雲を背景に浮かんでいる。
「気持ちいぃ。あれなんだろう」
恵美子が沖を指差して言った。
「クジラじゃないの?」
未穂がその先をじっと見つめている。
「なぁんか、デカくない?」
僕と未穂は、恵美子に誘われて三浦海岸まで来た。
お盆前に店長に無理を言って、3人で休みを貰ったのだ。
交渉した恵美子はお盆も半分は休むのだが、特に罪悪感は無いらしい……
「未穂、なんで帽子被ってるの?」
未穂は水着になっても、ストローハットを被っている。
黒いワンピースの水着から出た、すらりと白い足が眩しい。
「あたし、焼くと赤くなって大変なのよ」
日焼け止めのクリームも、何度も塗っている。
「ふぅん」
そう言う恵美子は、ピンクのビキニが映える小麦色の肌を露にして、サンオイルなどを塗っている。
「ちょっと、なんで水着にならないの?」
恵美子がショートパンツを履いたままの僕に言った。
「なってるじゃん」
僕はセパレートの水着の上に、下はショートパンツ、上は半袖シャツを羽織っている。
「全部脱ぎなよ。そんな痩せてるんだから、いいでしょ」
恵美子は僕のウエストを見て言った。
「海に入るときは脱ぐよ」
「何だか、二人共変だよ」
恵美子は、僕と未穂を不満げに見つめた。
何だかんだ言っても、海は気持ちよかった。
埼玉県に住んでいた僕は、プールばかりで、殆ど海へ来た事が無い。
水はきれいだし、時々魚も見かける。
「あ、魚だ」
「うそ、何処何処?」
僕が見つけて恵美子に教えると、彼女は膝下くらいの海面を必死で追い回していた。
「捕まんないね」
「そりゃ、ムリだよ」
そんな僕と恵美子を、未穂は砂浜から見ていた。
海は嫌いじゃないらしいが、日焼けするのがとにかく嫌なのだそうだ。
少しの間、帽子を被ったまま水に入っていたが、一人先に上がっていくと、肩にバスタオルをかけてビーチマットに腰掛けている。
未穂の希望でレンタルしたビーチパラソルは、いかにも彼女専用だ。
恵美子が持ってきた大きなフロートに掴まって、僕たちは遊泳区域の一番沖まで行った。
仰向けになって海原に身を委ねると、青い空が揺れていた。
身体を包む水音だけが、僕の世界を浸食した。
「亜希子、大変だ。ここ足着かないよ」
恵美子が急に声を上げた。
浮力に任せてここまで来た彼女は、今頃それに気づいたらしい。
「これに掴まってれば大丈夫だよ」
平然としている僕に、恵美子は急に不安な顔をして
「早くもどろう」
確かに、砂浜はだいぶ遠くに見えて、未穂が何処にいるのかもわからなかった。
ビーチパラソルの花が咲きに乱れて、うごめく人は蟻んこのように小さく見えた。