◆第11話◆
僕は、東洋の外人女性に呼び止められて、落したコンタクトを探していた。
こんな所で落したコンタクトレンズが見つかるはずがない。
身体をかがめてはいたが、何時この場から離脱するかばかり考えていた。
しかし、ふと見たレンガの石畳。
レンガの継ぎ目の灰色のコンクリート部分には、僅かなひび割れを掻き分けるように丈
の短い雑草がツンツンと生えている。
その隙間で、一瞬キラリと何かが太陽光に反射した。
ハッとして、僕は顔を近づけた。
「これじゃない?」
僕は彼女を呼んで、それを指差す。
彼女は目を凝らし、地面に這い蹲るようにして顔を近づける。
「コレデス。コレデス」
喜びで、彼女の声は踊っていた。
そっとコンタクトを拾い上げた彼女は
「アナタ、スゴイ。メチャ、スゴイジャン」
僕は、へんてこりんな日本語で褒められて、ただ笑みを返すだけだった。
彼女の名前は、ユン・ヨンジェ。韓国から横浜の大学へ来た留学生だそうだ。
コンタクトを着けて見開いた目は、さっきよりも大きく見えて、少しふっくらとした卵型の顔は、今時の女子大生に引けを取らない。
僕は彼女がお礼をしたいと言うので、渋々ながら駅前のドトールでお茶をご馳走になっていた。
「アナタ、コウコウ? チュウガク?」
「こ、高校生だよ」
「ナマエ、ナニ?」
「あ、亜希子」
「アキコデスカ。アキコカワイイ」
ダイレクトな褒め言葉に、僕はただ笑みを返してコーヒーを飲んだ。
「ニホンノコウコウセイ、メチャカワイイヨ。ワタシ、スゴイベンキョウナル」
そう言いながら笑って、彼女もコーヒーを口にした。
「トモダチ、タズネタラ、ルスデシタヨ」
彼女は、大学の友達を訪ねて来たが、留守で帰る所だったと言う。
「ケイタイ、ナラセナイ」
「携帯? 鳴らせない?」
「デンワ、ナレナイ」
どうやら、友達の携帯電話が繋がらなくて、心配で訪ねて来たらしい。
そんな身の上話をされても、はっきり言って困る。
しかも、めちゃくちゃ聴き取りずらい日本語……
「あの……あたし、そろそろバイト行かないと」
僕は、早くこの場から抜け出したかった。
「バイト? アキコ、ハタライテマスカ?」
僕は、とりあえず数回、大きく頷いた。
「アキコ、イイヒト。カワイクテ、イイヒト」
彼女は手を差し出した。
僕は一瞬何だか判らなかったが、どうやら握手のようだと理解して自分の右手を差し出すと、彼女は強く握って
「アリガトウ、アリガトウ、ゴザイマッス。ヨコハマ、イイヒトイッパイ」
イッパイって……きっと何人かに声をかけて、手伝ったのは僕だけだ。
でも、彼女のその手は、何だかとても暖かい気がした。
そして、その笑顔はとても素朴で素敵なものだった。
それは、彼女が心から僕にお礼を言っているからなのだろう。
彼女はこの国に一人で留学してきたのだろうか。
孤独ではないのだろうか……
僕はそんな事を考えながら、駅の改札口を入っていくヨンジェを見送った。
2週間もするとバイトにもすっかり慣れて、その日僕はバイトの時間まで未穂と一緒に買い物をしたりして過ごした。
この後バイトがあるので、未穂もジーンズを履いていたが、何だか丈の短いキャミが腰のクビレを強調していかにも女らしい。
ジーンズがローライズのせいもあるのだろうか。
それとも、肩に見える見せブラのヒモのせいか。
僕は、ラフに履ける古着ジーンズを好み、もしキャミソールなんて着ても、その上に絶対Tシャツを着ないと落ち着かない。
彼女の白い頬は、ファンデーションなんて無用だった。それでも日焼け防止に薄く塗るそうだ。
そう言えば、ヨンジェも白い肌をしてたっけ。
僕は、不意にあのへんてこな日本語を使う彼女を思い出した。
「ねえ、亜希子は何でバイト始めたの?」
サクラとも入ったオープンカフェで、ケーキを突きながら未穂が言った。
「うぅん、まあ、何となく」
まさか、女の子と知り合う為とも言えない。
僕は笑って誤魔化した。
「未穂は?」
「あたしは自由になるお金が欲しいから」
「お小遣い貰ってないの?」
「貰ってるけど、何に使ったか手帳に記入して親に見せないといけないのよ」
「ひえぇ、会社の経費みたいだね」
「そうそう、そんな感じ」
未穂は僕の応えに思わず笑った。
黒い髪がサラサラと風に揺れて頬にかかると、それを左の小指で直す仕草が妙に色っぽい。
ミッション系の学校だからなのか、その仕草のひとつひとつが何だか女らしくて、僕はいちいち観察してしまう。
母親はこんな風に僕を育てたかったのだと、ようやく判った気がした。