夢色の島(2)
(2)夢の時間
その島には、独特の時間が流れている。それを地元の人たちは「うちなータイム」と呼ぶ。
最初は慣れないが、一度これに染まると、抜け出すのが困難だ。
一言で言えばルーズ。といって悪意があるわけではない。
5分前集合、なんていう思考そのものが、土地に根付いていないのだ。
だから、約束の時間より早く着いたら、相当の時間を持て余すことになる。ちなみに約束の時間にも誰も来ない。良くて数分後。本格的に集まりだすのが、30分後である。
一時間過ぎて来ると、ようやく「遅刻」。
だから、本当にはじめたい時間を見越して集合をかけないといけないという、ちょっと手間なことになっている。
だが、もっと大変なのは、この時間感覚を肌に馴染ませて内地に戻ったときだ。
学校が休みの間帰省していたわたしは、友達を会う約束をしていた。ところが、出掛ける寸前に電話が入った。
掛けてきたのはその友達だ。
「どうしたの?」
「……なんで、あんた家にいるの?」
その頃まだ携帯を持っていなかったので、友人は家に電話を掛けてきたのだが。
「え、今から出るところだけど」
「集合時間何時だと思ってる?」
「13時」
時計を仰ぐと、針はもう13時をやや回ろうとしていた。
「あ、なっちゃったね」
「早く来なさい!!!」
集合時間ぴったりと共に電話を掛けてくるその友人もどうかと思うが、やはりちょっとまあ、この感覚は修正をしなければまずいのだなあと反省させられた一件であった。
しかし、時間とは所詮人間が勝手に決めたもの。生きるうえで管理をしやすいように目盛を打ったもので、元の時の流れに秒も分も時間もない。太古の地球など数分が一日だったこともあるのだ。
そう考えると、「うちなータイム」も必要なのではないかと思うのである。
大切なのは、どう過ごすかではなく、誰と過ごすか。視点をシフトする柔軟性も、時として必要なのだろうとわたしは思う。
勿論、「約束を守る」ということも大切ではあるのだが。