雑色読書
前にも書いたが、「天然」の母の読書の幅は広い。新聞欄の書評をチェックし、面白そうだと思った本は賞のあるなしに関わらず、ほとんどを読破している。
だからといって、本を大人買いするわけではない。利用者の注文を快く受けてくれる近所の図書館に、ざっぱざっぱと注文を入れ、利用限度の5冊は常に貸し出し状態。それを1週間の期限までに次々と読み切って、本棚にはいつも新しい本があるという脅威のマラソンランナーなのだ。
『ライラ』も道尾秀介も、わたしが読んだのは母の後追いなのだから恐ろしい。
この春、「あら、青空」なんてよそ見したうちに段差に転んで骨折入院した折も、当然本を持ち込み、わたしは指示されるままに洗濯物と本とCDの宅配に追われた。
このとき母が選んだのは、『ローマ帝国衰亡史』全十巻。
同室の人が退屈だというので、本を貸そうかと見せたら、断られたという。確かに、読んであまり病気や怪我が快方に向かう内容ではない気もする。
先日は韓国の寓話集を勧められた。そのとき母が手に取っていたのは、『どれい船にのって』。ニューベリー賞受賞作の児童文学である。内容は非常に悲愴感漂う重厚なものだ。
過去に読んだような――気もするが、あえて言わない。過去に読んだ本の内容を全部覚えていたら、そのほうが驚異だ。
わたしも努力して母の読む隙を狙って本を漁るが、たいてい読破する前に返されてしまう。母との読書争いで勝ったためしは、今のところないのだ。
そんな母の本棚には、『史記』『ローマ帝国衰亡史』と並んで、『手塚治名作集』と『サザエさん』が全巻そろい踏みをしている。
雑読ながら、それでも「不朽の名作」という意味では、母の趣味は一貫していると言わざるを得ない。
母の頭の中では、きっと項羽とアウグスティヌスとピノコとカツオくんが仲良く雑談をしているのだと、わたしは思う。
「天然」の源は、案外とこんなところにあるのかもしれない。




