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鴇色雑記  作者: 鴇合コウ
ドナーってどんな?
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(15)まだ終わらない鉄剤とその後

<@月22日>


 さて、お役目も済んでほっと一息つきたいところだが、体はすぐに元に戻ってくれるというわけではない。

 術後三日間は抗生剤が処方され、その後また二週間ほど鉄剤生活が続いた。

 腰の痛みは、まあ予想の範囲内というところで、腰痛経験者としては腰を庇いなれているので多少の違和感をおぼえるくらい。問題は貧血だ。

 まず走れない。ふり向くと、視界がスリーテンポくらいずれて追いつく。椅子から立ち上がるのに①手をつく ②腰を浮かす ③体をねじる、と段階を踏まないといけない。という具合だ。

 慌てず騒がす、おしとやかに過ごしていれば、ほとんど問題はないのだ。しかし生来のがさつさゆえか、仕事のせいなのか――事務員のくせになぜか日々縦横に走り回っているので――常時肉体と精神の乖離にさらされることになる。

 これまで貧血とは無縁の生活をしてきたので、この状態に慣れるのに時間がかかった。まさに心と体が裏腹なのである。


 それでも肉体とは素直なもので、日を追うごとに体が楽になり、二週間の鉄剤生活が完了した頃には、動作と意識のずれはまったく感じなくなった。

 本当に、朝目が覚めた瞬間に体が治っていることを実感した。鉄剤わっしょい!である。


 一方、微妙な小康状態を保っていた腰はというと、貧血ほどの劇的な治癒具合はみせてくれなかった。処方された痛み止めは一錠も飲まなかったのだが、相変わらず腰の周りをきゅっと一枚布で締めている違和感とゆるい痛みがつづいている。

 針を刺した傷は、退院日にはもうサポーター様テープからバンソウコに変わり、かさぶたのまま放置されて傷痕だけになっている。押せばさすがに痛いが、そんなドMじみたことはしたくない。

 テープでできたかぶれも、かさぶたになった。範囲が広いので、むしろこちらが主な傷痕のようだ。


 そんな状態で月日はあっという間に過ぎ。手術日から約一ヶ月経った頃、術後の検査が行なわれた。血液検査と問診である。

 徐々に上向きになっている体調を示すように、結果はまるで問題なし。これで担当医師とはお別れだ。

「ありがとうございましたー」

「いえいえ。こちらこそありがとございました」

 にこやかに、だが惜しむことなくいそいそと立ち去る。

 「病院」なんて、これまでもこれからもなにかと人生でお世話になるものなのに、どうして縁が切れると思うと嬉しくなってしまうのだろう?

 不思議だが、これで往復2時間の通院ともおさらばである。やれやれ。


 とはいえ、まだ腰が痛むということで、コーディネーターさんとのご縁は続いた。主に電話による問い合わせなのだが、他方で郵便による通知もやって来る。

 内容は、手術のお礼と今後一年間ドナーになれないこと。DLI(ドナーリンパ球輸注)の意思確認と「骨髄提供によりドナーの遺伝情報等が判明した場合の情報開示について」なんてものだ。


 DLIは、ドナーの骨髄を受け取った患者さんの容態が悪くなったときに、治療にドナーのリンパ球が役立つことがあるのでそのときは血液を提供してね、というもの。

 内容としては、検査を受けて異常がないことを確認したのち、200mlほど採血されるらしい。

 ここまできて「もうやめときます」というのもなんなので、これは同意した。


 遺伝情報の開示は、患者さんを護るためとはいえ調べてもらえるなら、わたし的にはお得な気分だ。遺伝的なことに関しては自分ひとりの問題ではないが、血縁に医療関係者もちらほらいることだ。通知してもらったところで文句は言われないだろうと、これも了承する。


 腰の痛みが早くとれないかとストレッチなどしつつ、ちょっとずつ最大重量を普通にまで戻そうと努力をはじめて一ヶ月。これまた急に違和感が軽くなった。これまで何度となくつまづいていた12段の跳び箱が一気にクリアできたような、分かりやすい変化だった。

 ちょうどその頃コーディネーターさんから連絡も入り、コーディネートも終了の運びとなった。


 最初の通知から、およそ七ヶ月半。

 長かったドナー生活がようやく幕を閉じたのだ。


* * *


 後日、厚生労働大臣から賞状が届いた。


――…………そこからお礼を言われる筋合いはないよね?

 素直に喜べないのは、国民としてまずいのであろうか。とりあえず受け取ってはおく――とはいうものの。

――なんなんだろうねえ、こういうの。お手をとらせて申し訳ないのだが、まるで好きではないのだな。

 べつに崇高な志とかないから。これに経費を裂くくらいなら、財団に縛りのない補助金を落とすとか、他の難病治療に対する研究費とかにして欲しいものだよねえ。

 ……という毒は、胸の中にしまっておく。ここで吐き出してしまったが。


 

 その賞状から一週間後。手術日から三ヶ月あまり経った或る日、相手の方から骨髄バンク経由でお手紙をいただいた。

 ドナーとなる約束事の中に、相手の素性や病状についてほとんど知らされないことと、手紙のやりとりはお互い一度だけというものがある。その、一度が届いたのだ。


 中身は、手紙というよりもメッセージカードだった。おかげで治療がうまくいって退院がむかえられそうだということと、家族とがんばるということが震える字で書かれていた。

 まだうまく文字が書けなくてすまない、とも。


――本当にちゃんと、届いたのだろうか。


 そればかりが疑問となって渦巻く。たしかに退院は喜ばしいことだ。それでも「かれ」は、これからも病と闘っていかなければならない人生が待っているのだ。そして家族は否応なくそれに巻き込まれる。


 これまでの「かれ」と家族の戦いぶりを考えて、明るい未来を想像すべきなのだろう。だが、わたしにはまだ不安が残る。

 この選択を、「かれら」が後悔する日が来ないかと。

 やっぱり骨髄提供を受けるべきでなかったと、そう思うことがあるのではないかと。


 人さまの人生を左右したかもしれない、という事実は、思っていたよりも重かった。

 それでも――今回の提供にあたり助けてくれた医師、看護師、家族、友人、職場の人たち。さらには「かれ」にも家族をはじめとしたスペシャルチームがついているのだ。

 これだけの人たちがいなければ、「かれ」の人生は変えることはできなかった。

 もっと言うなら、「かれ」のこの選択は「かれ」自身の意志と努力を失くしては成し得なかった。


『――そういう人の人生に関わる機会を与えられたってことは、自分も新しく人生をはじめるようなもんよ』 

 カイロの先生の言葉が、ふと胸をよぎる。

 わたしは、かれの人生を動かす良い歯車になれただろうか。


 そうであればいい。

 ――――それだけで充分だ。



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