(14)手術翌日と退院
<▲月25日・26日>
手術の翌日
朝食:白米、味噌汁、いんげんの胡麻和え、りんご、牛乳
昼食:カレーピラフ、キノコのマリネ風サラダ、スイカ
夕食:白米、レンコンと人参のきんぴら、きゅうりの酢の物、鶏から揚げ、もやしとさやえんどう
翌々日(退院日)
朝食:ロールパン2個、クリームシチュー、イチゴ
これだけ食べて動かないのに太らなかったら、その人は本当に病気だと思う。
…………と、自分に言い訳をしてみる。
鴇合、入院生活で人生最大重量を記録しました!!
ちっともうれしくありませんが、なにか?
しかもそれをイケメン看護師くんに連呼されましたが、なにか??
体調はぼちぼち、といったところだ。
ぎっちり貼られたテープの下の肌は予想通りの惨状をみせたので、看護師さんに伝えてはがしてもらった。かぶれてじくじくだが、術後から抗生剤を飲んでいるので触らないでおく。
腰は痛むが、鎮痛剤を飲むほどではない。傷口一帯が重く腫れぼったく、動かすとなんとも言えない鈍痛が響く。そこで体調を確認がてら、朝食後、折れた箸の代わりを買いに売店まで歩いてみた。
昨日のようなよちよち歩きではなく、とぼとぼ、というくらいだが、しんどいのは腰の痛みよりもちょっとの運動で息が切れることだ。
――うわ、なにこの病弱っぽい感じ。まるで望んでないよ……。
昔は貧血とかで倒れるのが憧れだった。くらっとふわっと、かよわい感じで。
だが、この年まで健康ひとすじで来ると、今さらくらっとかふわっとなんて、かわいげもあったもんじゃない。むしろ、おおいに迷惑だ。うまく動かない体がひたすらもどかしい。
ノートパソコンをつけて物書きをしようにも、長く上体を起こしていると血が下がるのか、画面を注視するのが辛い。目というより思考の焦点がずれるのだ。目だけではなく脳で見ているんだなと実感してしまう。
ちなみに言うと、これほど一生懸命買いに行った箸だが、意気込んで挑んだ昼食にはスプーンがついていたというアイタタな状況だった。朝食は、あんなに折れた箸を必死で持って食べたというのに!
――なんだろう、ちっともイケてる感じがしない……。
骨髄提供したのだから、ちょっとは感慨というか達成感のようなものが込み上げてくるかと期待したのだが、まるでない。いや、もとがこういう性格だから感傷に浸るはずもないのだが。
相変わらず相手のかたの状況は、ほんの少ししか知らされない。担当医も詳しくは把握していないらしく、骨髄は無事に相手に渡って今は落ち着いているということだけ教えてもらった。
870mlの骨髄液。毎時100mlの速度で輸液されても8時間かかる。昼に届いたとして、骨髄液が全部移し終わる頃にはもう夜だ。さぞ、じりじりされたことだろう。
拒絶反応も心配だ。ネットで調べたところによると、いくらおおよそ適合しているとはいえ、移植してみないことには拒絶具合が分からないそうだ。無論、相手方の自己免疫の下げ具合にもよる。
さらにこの骨髄移植だが、合えばいいというものでもないらしい。なぜなら、合いすぎると「再び同じ病気が再発する」可能性が高くなるからだ。
かといって、拒絶反応は身体的に苦痛だ。拒絶反応が少し起こるくらいのところでバランスをとるというのが、現在の治療の目標らしい。生殺しのようで、あげたほうもなんだか微妙な気分である。
とにもかくにも。
わたしの役目はこれで完了だ。
とるもの片付けて、表舞台から退場である。
二日間入浴できない薄汚れた状態のまま。
血液検査をして、貧血が改善されていることを確認したのちに帰宅と相成った。
* * *
…………ところで、合コンはどうなったかって?
勿論、しっかりシャワーを浴びて入院疲れを癒した後で行きましたとも。足を踏み入れたこともない音楽バーで、某王国の元首を名乗る方や神の御使いを自認する方たちと楽しくタコ焼きパーティーをしましたとも。
その状況が果たして「合コン」と呼べるかどうかは、読む方の想像力にお任せするとして。
とりあえず、お酒を二杯で止めておいた自分を褒めてあげたいと思う。