(8)最終同意と周囲の反応
<◎月8日>
ドナーになるにあたって、家族の同意はかなり慎重にもとめられる。成人しているんだからいいじゃないかという気がするが、家族から反対の声が出ることはめずらしいことではないらしい。なので、全員への説明と同意の確認が必須なのだ。
こういう小難しい話が苦手な父には当初簡単にしか告げていなかったが、「ぜひ冊子を読んでいただいてください」とコーディネーターさんに勧められ、渡してはみたものの字が小さいと却下された。まあ概要がわかれば良いとしていただこう。
離れて暮らす兄にはメールで済ませた。従弟のことがあったので、まるで耳馴染みのないことではないという状況が助かる。その従弟が実の甥にあたる母は、わたしより移植の現状に詳しいくらいなのでまるで許可不要だ。
そんなこんなで家族の同意は、空気のようにあっさり終わった。
最終同意当日。母を連れて病院へ向かった。
運悪く渋滞に巻き込まれ、約束より遅れて到着。すでに先生、コーディネーターさん、そして立会いの弁護士さんがスタンバイだ。
――人生初の弁護士さん(生)……。
ひとり違うところで感動していると、コーディネーターさん仕切りのもと、母や弁護士先生にも説明をするという意味で骨髄移植について――主にリスクについての説明がなされる。
死亡例でもっとも印象的だったのが、過去に局所麻酔で骨髄を採られたドナーが術後に血栓ができ、いわゆる「エコノミー症候群」で亡くなったというものだ。あとは麻酔による事故が二例。ドナーのもともとの疾患による心不全が一例の、計四例が報告されている。
「骨髄移植のための穿刺」という手術内容に付随する危険というよりは、麻酔をかけて処置をすることそのものにつきまとう危険といえる。とはいえ「骨髄穿刺」が危険でないのではなく、麻酔をかけるということは、それほど自然界において不自然な状態なのだ。
八年間の動物病院時代、三分の二は手術助手ではなく、手術を横で補助する立場だった。滅菌した世界しか触れない医師と助手の代わりに、必要なものを渡したり受け取ったりする。そのなかで麻酔管理も重要な仕事のひとつであった。
術布をかけられてまったく様子の見えない患者の呼吸と舌の色とモニターを凝視して、麻酔と酸素の流量を加減し、ほどよく意識のない状態にしておくというのは、かなり神経をつかう。なにしろ人であれば専門の医師がいるのだ。これを知識を生齧りした素人がやるというのは、どだい無理があるというものである。
浅いと痛みに反応するので危険。深いと戻ってこられないので危険。中庸というものは、アリストテレスの時代からの人間の課題なのだ。
――――――ということが、今度は自分の身に起こるのである。
因果応報。笑えない四文字が頭をかすめる。
しかし、所詮もともと適当な性格だ。「石橋を渡る前に大丈夫か検討してみるけど、悩んで叩くらいならとりあえず渡っちゃえば?」という家庭である。母もわたしも、リスクくらいでは別にどうとも思わない。
逆に心配してくださったのは弁護士の先生である。健康な人がそういったリスクを負うことは、やはり慎重に考えたほうがいいと諭された。だが、こういう場合の「もしも」という想定は、だいたいが感情に根ざした根拠のない不安であるものだ。眠れないときに観る悪夢のようにいたずらに膨らんで、限度を知らない。つまり、突っつき出したらきりがないのだ。
考えても仕方のないことは、考えるに値しない。うじうじと石橋をつつくらいなら、走りまわって迂回路を見つけるか、叩き壊して新しい橋を架ければいいのだ。
そんなわけで、たいした感動も高揚もなく、医師、母、わたし、弁護士と書類にサインをして最終同意が完了。手術は二ヵ月半後と決まった。
* * *
最終同意までいったので、職場にはもちろん、親しい友人たちにも連絡を入れた。もしものときにある程度の事前情報があったほうがいいだろうということと、医療関係者がちらほらいるので意見を参考にしたかったのである。
医療関係者は、正確には「医療事務」「病院の栄養士」「看護師」という幅広い職種だ。骨髄移植の現場も知っている彼女らは、ほかの人たちに比べてさすがに反応が顕著だった。驚きかたが具体的なのだ。
「ほんとにやるの? よくOKしたねぇ。あれって、骨盤にめちゃめちゃぶっっとい針刺されるんだよ?」
決意したての相手を不安に陥れてどうするんだ、友人。
「こんなだよ、こんな」
いや指で示さなくてもいいから。写真見たし、だいたい知ってるし。
「絶対痛いと思うけど……まあ大事なことだし、がんばって」
がんばるのは、おもに先生だけどね。わたしは寝てるだけだからね!
「でも全麻だから尿道カテーテルされるんだよね……(乾いた笑い)」
……本当にはげましているんだろうな?
若干友情に疑問を感じたところで、やってくる一通のメール。
『ところで▲月26日に合コンあるけど、来る?』
ちょうどその日、骨髄採取したあとの退院日なんですけど。
『あ、そうなんだ。じゃあ、人数には入れておくね♪』
……………………え、入れるの??
というわけで、鴇合の今後のスケジュール、確定しました。
一ヶ月後、手術のための健康診断
四十日後、第一回目の自己血採血と麻酔医の診断。
二ヶ月後、二回目の自己血採血。
その二週間後、骨髄提供。前日入りして翌々日退院。
退院した日の夜にコンパ。
――……うん。確実に怒られそうだから、最後の項目は黙っていよう。
つまらないことを固く決意しつつ、ドナー(仮)からドナーな日々へと、ちっとも怒涛でない第二幕が開幕した。