(7)ドナーの決定とさらなる問題
最初にドナーになったのは「縁」だと書いたが、本当に巡りあわせというものはあるのかもしれない。
登録をしたのはかなり前のことだが、もし二、三年前に話が来ていたら仕事が休めなくて最初から断っていただろう。ドナーになるには一度休むだけではない。何度か病院に通わないといけないし、連絡も頻繁にくる。時間だけでなく、いろんなものが少しずつ日常の自由度を奪うのだ。
その点、今回は恵まれていた。いや、恵まれていたのは患者さんのほうなのか――そうであることを願うが。
難関に思えた仕事の件だが、二人体制という状況と職務内容を考慮し、Headのほうから辞めるOさんの代わりに新人さん+昨年度定年退職した熟練先輩のパート復職という提案が出された。というか、提案はもはやほぼ決定事項である。
とはいえ、わたしにとってこれ以上心強いことはない。ブランクはあるにせよ、自分に仕事を教えてくれたかたが戻るのだ。
さらに先にドナーの話をしていたのが良かったのか、相談を持ちかける間もなく「問題ないから休んでいいよ」とのお達しをいただいた。ご主人の転勤が急遽決まって辞めることになったOさんからも、
「わたしも休むので、遠慮せずに休んでください」
とあっさり告げられ。事情はだいぶ違うと思うんだがと思いつつも、その言葉に甘えさせていただくことにした。
かくして最大の難関は、拍子抜けするほどすんなりと壁を乗り越えてしまい。慌ただしさの倍増した、非日常の混ざった日常だけが取り残されたのだ。
本当に、感謝すべきは周りのかたがた。これも「ご縁」である。
* * *
<◎月1日>
確定検査から四、五日後。「問題なし」という内容の血液検査結果が送られてきた。続けて、「ドナー選定のお知らせ」として、最終的に正式なドナーになった旨の通知が来た。同時に、コーディネーターさんからも連絡が入る。
内容は、最終同意の日付の決定である。
最終同意は、
○ドナー
○コーディネーター
○医師
○ドナーの家族
○第三者
の五名が一同に会しておこなわれる、最終意志確認の場だ。
第三者はこちらから指名して適当なひとを連れて行くことも可能だが、希望がなければ骨髄バンクが弁護士を招聘するという。産まれてこのかた、はじめて弁護士さんなるものにご厄介になるのがこのときでよかったような、複雑な気分である。
立会いに了解してくれた母とも相談し、最終同意日は約一週間後と決まった。
しかし、一難去ってまた一難というのは人生における定石というもので。
ここまで話が進んだ昼時間、コーディネーターさんから電話が入った。
「申し訳ありません。手術を担当する先生のほうから、やはり腰痛のほうが心配だとお話がありまして」
……今さらですか?
「骨髄を採るのに、腰のあたりにどうしても力を加えるので、問題がないか診ておいていただきたいとのことなんです。大変心苦しいのですが、そちらで簡単に腰のほうの健診をしていただきたいのですが」
つまり、それは例の――自腹検査ってやつですか?
えー。
……と嫌がってもはじまらない。気分の重いことは、その場の勢いでやっつけてしまうにかぎる。
「じゃあ、診察受けてレントゲン撮るって感じでいいですか?」
「はい! いつも行かれている病院でいいですので」
「どういうふうに病院に言えばいいですか?」
「骨髄を採取するのか骨盤の……腸骨(ちょうこつ)という骨になりますので、そのあたりを言っていただければいいかと思います」
「わかりました。健診してくれるか聞いてみます」
お世話になっている近くの整形外科に電話してみると、非常におよび腰。
「健診ですか……保険きかないですけどいいですか?」
「はい、しかたないのでいいです」
「その骨髄採る病院で一緒に診てもらえないんですか?」
そんなことを言われましても。
「とりあえず近くの病院で腰の具合だけ診えもらってくれと言われているんですが。骨盤の腸骨という骨から骨髄を採るので、そのあたりレントゲンと診察をして、問題があるかどうかというのを診てもらえればと思うんですけど」
「ちょっと先生の確認をとってきます」
しばし待たされたのち、
「骨髄を採れる状況かどうかの判断はうちではつきませんので、診察なしでレントゲンだけ撮って、そのデータをお渡ししますので、骨髄を採る病院のほうで確認をしていただくというかたちでよければ来てください」
なんだかまどろっこしいな。が、向こうの言い分もわからないでもない。
無用な責任はもちたくない、というところなのだろう。
「わかりました。コーディネーターさんと確認してみます」
再びコーディネーターさんに電話。苦笑されたが、とりあえずゴーサインをいただいたので、もういちど整形外科に連絡を入れ、レントゲンを撮りに行く旨を伝えた。
電話電話で耳がいたい。これで昼休みは完全につぶれた。
夕方。昼休みを電話でつぶしたかいがあったようで、整形外科ではすんなり受付することができた。平日の夕方なのでそれなりに混んでいるのだが、診察なしなので合間でレントゲンだけ撮ってくれるという。ありがたや。
さくっと通されたので、手早く着替えてレントゲンの器械へ。
「はい、胸つけてアゴのせてくださいねー」
――あれ? この体勢で腰が写るのか?
四角い器械の前に立たされ疑問を感じた。が、撮る部位は伝えてあるはずだ。
若干の不安を抱きつつも、割り込みしているという気まずさから口には出せず、次に台の上で横になって撮影終了。
着替えて受付に戻ると、いくらも待たないうちに呼ばれた。
「じゃあ、このCDにレントゲンが入っていますので。先生に診ていただいたらわかると思います」
「ありがとうございます」
「診察なしなので、レントゲンとCD代で○千円お願いします」
あ、動物病院のおよそ半額だ。良心的すぎる。原価割らないのかと他人の心配をしながらも、お礼を言って会計を済ませた。
任務完了。ほくほくとCDを開ける。
【◎月1日 胸部】
………………え。
まさか、いやここは冷静に、と帰ってパソコンにCDを入れる。
「…………」
まぎれもない【胸部】だ。自分の骨格を熟知しているわけではないが、一般的な心臓に肋骨。
整形外科に電話した。
「すみません、今日健診でレントゲンだけ撮っていただいたものなんですけど。いただいたCDを見たら、腰じゃなくて胸が映ってるんですが」
「あれ、胸ですよね?」
「違います、腰です。骨盤の腸骨から骨髄を採るのでって、言いましたよね?」
「【胸骨(きょうこつ)】じゃなかったんですか?」
「【腸骨(ちょうこつ)】です!」
聞き間違いかい! 受付でもう一回言えばよかったのか。いやそれともレントゲン撮影の時に聞けばよかったのか……ああああああ、もうっ!
「じゃあ、撮り直しに来られますか?」
「……とりあえずコーディネーターさんと相談してみます」
意気消沈なのか怒り心頭なのか、よく分からない頭でコーディネーターさんに連絡をとった。
「お疲れさまです、いかがでした?」
「実は――かくかくしかじかで。【胸部】撮られました」
「ええええええええぇーーっ!!!」
コーディネーターさんの驚きで、こっちの衝撃が多少緩和される。
「そんなことってあるんですか……それはそれは申し訳なかったですねぇ」
「それで、分からないもの同士で話しても話があやしくなるだけなので、すみませんが先生のほうから整形外科へ〝こうしてくれ〟というお話を通していただいてもいいですか?」
伝言ゲームはもうこりた。しかも振り回されるふり幅が大きすぎる。
かくしてコーディネーターさん→骨髄移植の先生→整形外科と話が行き、戻ってきた翌日。気まずいながらももういちど整形外科でレントゲンを撮ることと相成った。お代はもちろんなしである。
そして、今度こそ【腰部】と書かれたCDをそのまま郵便局から郵送。本当に長く続いた腰痛問題がようやく手を離れたのだ。
――……や、やっと完了。
いろんな意味で腰が抜けそうだ。
どなたさまもお疲れさま、である。




