埴色の完璧
「完璧」という言葉を見るたび、思い出すことがひとつある。
「完璧」の「璧」という字は、美しい玉という意味である。
完成した玉。それが「完璧」の形なのだ。
今の仕事の前の前、あやうく紅茶染めのハンカチを衆目に晒しかけた職場は、遺跡から発掘された遺物を整理するところであった。
各グリッド(調査区画)ごとに袋に入れられ、荷札をつけられたそれらは、無造作にコンテナに山積みとなって押し寄せる。それをごちゃまぜにならないように袋から出し、洗い、乾かし、ひとつずつ採取場所をネーミングし、接合、復元して、必要なものを図面に起こす。そういう仕事であった。
もうほとんど土に還りたがっている土器たちは、多くがよく分からない何かの破片だ。
身元特定の一番簡単なとっかかりは、「口縁部(こうえんぶ)」と呼ばれる土器の縁部分を探し、その丸みや形から杯(つき)や壺といった元の様子を推定して、仲間を拾い集めていくことである。ジグソーパズルは外枠から作ると早い、という法則と同じだ。
地味な作業だが、年月に磨り減った欠片たちはそれでも、ぴたりと割れ口が合うと手ごたえが感じられ、地味は地味なりに楽しさのあるものであった。
だいたいが中途半端な姿しか復元できないのだが、中には元の形がほぼ全て揃うものもある。
だが、ぐるりと一周する口縁部を発見した瞬間、やったー!と思いきや、あまり喜べなかったりする。
破片同士を接合させるに欠かせない、ごくごく一般的な接着剤。ほどよい粘り加減をみせる、透明色をした憎いあんちくしょうが、じゃまをするのだ。
わずか数ミリの接着剤の厚みが、完璧な円に戻ろうとする彼らを阻むである。
たかが数ミリ、されど数ミリ。
当然といえば当然なのだ。元の円には、その数ミリの厚さなど存在しなかったのだから。
どうやってこの円を完結させるかというと、答えは簡単――土器を削るのである。
「完璧」を取り戻すために。
古代の手法で焼成され、長年大地に埋もれていた土器の欠片は、デザインナイフを滑らせると、いとも簡単に角を落としていく。これを輪の中に入るように整え、固定する。
そして、土器は現代に姿を甦らせるのだ――99%の真実と1%の偽りを纏って。
このことがあってから、わたしは「完璧」というものに少々懐疑的になった。
復元された土器と同じく、そこには何がしか削られた真実が含まれている気がするのだ。
そしてまた同時に、「完璧」なものは、わずかな隙間さえも受け容れる余地など無いと主張しているように見えてならない。
完璧な玉でなくていい。
わたしは凸凹としたまま両手を広げて、くっつく欠片たちを探し求める人生でありたいと思う。