鳩の宅配便。
【再掲】2012/12/26初投稿
長めです…すみません。。。
動物病院の午後休診という日は、単なるお休みではなく、だいたいが長時間の手術や処置のために確保された時間である。
だが稀に、院長が研修(薬や手術、治療の勉強会)や獣医師会の会議に出ることもあり、そのときは正真正銘の「休診」となる。動物病院スタッフの数少ない休みが増える貴重なひとときだ。
ある日、院長が研修で留守となり、名実ともに病院が午後休診となった。
幸い入院もいない。午前中のカルテを片付け、掃除をし、薬や食餌の在庫補充も終え、病院で飼っている犬猫の世話もてきぱきと完了させ。いつにない団結力を発揮してすべての作業を済ませた昼のスタッフ三人は、きっちり施錠して病院を後にした。
――やったー帰れるー!
うきうきと外で立ち話なぞしても、咎めるものはいない。他愛もない雑談をしつつ、さあシャッターを下ろして駐車場へ向かおうかと動き出す、そのとき。
ごづん。
なんともいえない鈍い音が病院の玄関から響いた。視界の片隅をかすかに黒い影が横切ったので、車道から小石でも飛んできたのかと見下ろせば。
なんと一羽の鳩が、玄関のガラス戸の下にぽとりと落ちている。
――なんという運のいいやつ。
飛んできた鳥がガラスにぶち当たるという話は聞いていたが、実際目にしたのはこれが初めてだ。しかも、こともあろうに動物病院で巡り合おうとは。狙って来たとしか思えないではないか。
くちばしの付け根からわずかに出血したその鳩は、他に外傷はないものの、くったりと目を閉じている。だが体はあたたかく、心臓も動いていた。脳震盪でも起こしたのかもしれない。
「どうする?」
鳩をとり囲み、われわれは顔を見合わせた。動物病院ではあるが、あいにくと院長は不在。簡単に電話で指示を仰げるような場所にいるわけでもない。このままケージに入れて様子を見、院長の帰宅を待つという手もあるが、勝手なことはできない。それに、もし見えない外傷があるのなら、治療は早いに越したことはないだろう。
さらにこの鳩、見た目はなんの変哲もない、まさに灰色鳩羽色の鳩なのだが(おそらくドバト)、足に水色と白のプラスチックの輪っかが嵌められていたのだ。つまり飼い鳥。
野鳥なら人が飼うことはできないため、ボランティアで野鳥の保護をしてくださるかたに連絡をとって連れて行くのが常道だ。しかし飼い鳥となると、飼い主さんの元から故意か偶然か離れてしまった迷い鳥である。治療をして飼い主を探すという道がベストだ。
「やっぱ、K先生のとこかな……」
近くにもう一軒ある獣医さんは、幸運なことに無類の鳥好きで、大きな鳥籠を持っていると聞く。
「素知らぬ顔で、〝職場のドアに鳥がぶつかっちゃいましたー〟って診せるかぁ」
「まあ、そうしかないよねえ」
「だよね。じゃ、よろしく!!」
さっくりと重要な役割を、1コ上の先輩に押しつけた。だってK動物病院どこにあるか知らないんだもん。
「ええええ、あたしー?」
「領収書持って帰ってね。あとでみんなで払うから」
「……まあ、帰り道だからいいけどさ」
納得してくれたようだ。適当な空き箱にペットシーツを引き、まだ頭の周りに星が飛び交っている状態の鳩を入れ、先輩が車で出発する。時間がかかりそうなので、残りのメンバーは引き上げることにした。
なんだかんだで、夜のスタッフともニアミスしてしまう時刻になっていた。
その後先輩から話を聞くと、鳩は無事に目を覚まし、たいした診察もせずに済んだらしい。お代もゼロ。実に良心的だ。
さらにその動物病院では、鳩の足輪の番号から飼い主を探し出し、連絡をとってくれたのだという。
「それが関東方面の人でさ」
「へえー」
なぜ中国地方の田舎で飛んでいたんだ、鳩。
「連絡したら、鳩を着払いで宅配で送ってくれって言ってきてさ」
「ええええええぇ!」
なにそれ、箱詰めするの? 緑の帽子の人や青いストライプシャツを着た人が、それ持って走るの?大丈夫??
「なんだか業者は慣れてるから大丈夫ですって言われたんだけど、ちょっとね」
「……慣れてるんだ」
「らしいよ。で、結局その関東の持ち主が、鳩をこっちの近所に住んでる人にあげたんだって」
それも宅配かどうか気になるところですが。
「それで元の飼い主が新しい飼い主さんに連絡をとってくれて、病院まで引き取りにきてくれたんだ」
「手渡しで?」
「うん、そのまま箱ごと連れて帰っちゃったよ」
よかった、と胸を撫でおろす。
いくら業者も鳩も慣れていると聞かされても、生き物――しかも、ガラスに激突して気を失った鳩を箱詰めして送るのは気が引ける。先輩を使いっぱしりにする神経の持ち主だが、それくらいの良心はあるのだ。
調べてみると、本当に「鳩の宅配便」は存在した。箱は、きちんと空気穴を開けた鳩柄仕様だ。レースなどをするとよく迷子になる鳩がいるので、そういった需要があるのだという。
かの鳩も、いきなり住んでいる世界が変わってパニックになってしまったのだろうか。
自分の翼で飛ぶ以上の速度で何百㎞と離れた地に連れて行かれるのだ。いくら帰巣本能が優れているとはいえ、彼(彼女?)も戸惑うばかりだろう。
それとも――やはり、それでも帰ろうとしたのだろうか。
* * *
動物は、公的には「物」である。法規的に、という但し書きのほうがいいかもしれない。
たとえば電車に乗せるときは「手回り品」として二~三百円の代金を支払う。航空機も「貨物扱い」となって、五千円程度が必要だ。
ちなみにうちの猫を南の島から連れ帰る際に、この「貨物扱い」を利用している。丈夫なプラスチックケージに入れて預けるのだが、乗せる場所は荷物とは別の貨物スペースだ。航空機の下部にあたるそこは機械音が激しく、動物はかなりパニックになるらしい。幸いうちの猫は、緊張が騒音に勝ったのか、暴れる間もなく無事到着した。
到着の仕方はというと、「貨物扱い」なのだから当然あのぐるぐる回るベルトに乗ってやってくるのだろうと思っていたが、わざわざ係員がケージを提げて連れて来てくれた。目を極限まで真ん丸にして驚いていた猫には悪いが、ちょっと肩透かしをくらった気分である。
話を戻そう。
動物愛護法も改正を繰り返しているが、多くの人にとって動物は「人ではなく自然に属するもの」であって、それはすなわち「物」と同義である。
とくに日本人は、愛玩動物(ペット)とつき合う歴史が浅い。いや、つき合いが浅いと言うより、古くから不文律の「常識」の中に盛り込まれていた動物との関係が急速に変化し多様化したことで、さまざまな対応が遅れているのだ。
そしてまた――「物」である動物の寿命は短い。
犬は種類にもよるが(大型犬になるほど短命の傾向がある)二十歳を超えることはまずない。猫は、わたしの知っている最長齢で二十七歳だが、そこまでいく子はほとんどいない。なにしろ六歳過ぎれば立派なシニアだ。盲導犬は十歳でリタイアとなるらしい。
牛や馬が二十年。小鳥は五年~十年。鳩は三十年近く生きるという。かの鳩は、レース鳩としての役目を引退してもらわれたというから、ひょっとしたら同い年だったという可能性もある。
短いからこそ、惜しまれ愛される命。それは本当に「物」のように脆く失われてしまうこともまた、人は忘れてはならないのだ。
Homo sapiens(知恵のある人)という名に恥じぬためにも。
* * *
南の島から連れて帰った猫は、今年でとうとう十五歳になった。
ぜひとも二十歳越えを目指しているのだが、三年前に甲状腺機能亢進症が見つかり、今年は胸に水が溜まって分類不能型の心筋症だろうと診断された。現在三種類の薬を服用中である。
ある説によると、犬猫の年齢は人に照らし合わせると最初の一年で二十歳(成人)、その後は四歳ずつ年をとるという。
一日=四日。三ヶ月=一年。
ならば、かれらの喜び苦しみも四倍なのではないかと、わたしは思う。
褒め言葉も四倍。叱られたことも四倍。嬉しかったことも四倍。
われわれがかれらから貰うものは、四倍どころではないけれど。
だから――――仕方ないかと肩を落としつつも、給与明細と動物病院のレシートを並べて今日も電卓をたたく。
「ココ掘れにゃんにゃんしておくれよ」
なんて、通じぬ言葉をかけながら。
参考:http://www.jrpa.or.jp/members/index.html
やっぱりペリカンだけに、鳥のことは任せろ!な感じなのでしょうか…。