ソロモンの指輪。
動物と話せたらいいと夢想する人は、動物を飼っている・いないに限らず、少なからずいるものだ。
そしてまた、なんとなく自分は動物と意思疎通が出来ているのではないかとひそかな期待を抱く人も、口には出さないが、いないわけではない。
わたしは、その後者に当たるように思う。まるっきりの自己評価に過ぎないが。
そもそも動物を飼っている人は、多かれ少なかれ、何らかの方法で飼っている動物と意思疎通を果たす必要があり、相手も少なからずそう思っているはず(この思考がすでに間違っているかもしれないが)なのだ。
だから声のトーンや表情、しぐさ、雰囲気で互いの意志を読み取れてしまうのは、ごく当然のことだと思う。
とはいえ、
「うちの子〝ごはん〟って喋るんですよー」
というのは、なんとなく違う。犬猫に限らず動物は耳がいいので、人に似た発声器官をもっていれば、近い音を復元できるのは自明の理だからだ。
わたしが何か通じたかな、と思ったのは、こんなことだ。
うちには二匹の猫がいる。偶然両方とも黒で、ぱっと見、家族でも判別できないことがあるが、オスとメスという性質の違いか、南の島生まれと本土生まれという風土の違いか、はたまた六才という年齢差かは分からないが、とりあえず性格がまるで違った。
メスのほうは職場から連れて帰った猫なのだが、足が悪く、当初完全室内飼いをする予定であった。しかしもう一匹が悠々と外に出て行くのを見ると、やはり自分も行きたいらしく、ある日とうとう勝手に外に出てしまった。
ところが、このメス猫。元が野良猫で、きちんと家に帰ってくるか、いささか頼りない性格の持ち主であった。外で名前を呼んでも、にゃんとも反応がない。
心配したわたしは、ひとりさっさと帰ってきたオスのほうに声をかけた。
「ちょっと探しに行ってきてよ」
よいしょと抱き上げて外に放す。すると、オス猫は慣れた調子ですすす、と夜の闇の中を歩いてゆき、ほどなくメス猫と共に帰宅したのだ。
偶然、と言ってしまえばそれまでである。だがここは飼い主バカっぷりを発揮して、盛大にオスのほうを褒めてみたのだ。
「えらかったね~。おまえは賢いねえぇ~」
この日から、メス猫も名前を呼ぶと、大抵すぐに帰ってくるようになった。
兄弟?効果というものであろうか。飼い猫の嫉妬心は、なかなかあなどれないものがある。
* * *
通じたかな、ということは他にもある。
あるとき、職場の猫が脱走してしまった。扉は自動ではなく、押して開ける重めのものなのだが、夜になって自由行動をしていた大型犬が鼻面で開けてしまい、その隙間から逃げてしまったようなのだ。
夜のスタッフは真っ青になった。もともと野良で、仔猫のとき職場に来てからは、まったく外など出したことのない猫だ。当然周りの環境も知らないし、何より道路がすぐ横で、パニックを起こして轢かれたりしたらどうしようもない。
以前、別の猫がいなくなったときは貼り紙を出し、聞き込みに回り昼夜交代で探した挙句、ご近所さんから目撃証言を頂いて刑事ドラマ並みに張り込みをして、トラップを仕掛けて10日あまりかけて捕まえたのだ。騒動にもほどがある。捕まった暁には、お礼の貼り紙と挨拶にまた回ったのだ。
幸いにも二匹目の子がいなくなった翌々日は休診日で、夜のスタッフなどは、寝ずの状態で朝から探し回った。責任と心配で、もうほとんど涙目である。
臆病な性格からして、そう遠くへは行っていないと判断したわたしたちは、許可を得て、隣家とその敷地周辺をくまなく探した。しかし、おびえきっている猫が自分から呼びかけに応えるはずもない。物音や懐中電灯の灯りで余計に恐がって、奥へ逃げてしまう可能性もある。
あぐねたわたしは、つい隣家の猫に愚痴った。縞模様のきれいなオス猫だ。仔猫のときから顔見知りなので、わたしたちがうろちょろしていると遊んでいるのだと思ってよく出てくる、気のいいやつなのである。
「ねーねー、猫見んかった? 白黒の子なんだけど、探してるの」
隣家のブロック段に座り、彼はなんだろうとわたしをしばらく見る。そしてそこから降りると、一生懸命、長大な材木の積んである一画を覗き込みはじめたのだ。
つられてわたしも覗く。真っ暗だ。太い木の棒が寄せ集まって出来た狭い空間は、懐中電灯を当てても何も見えない。
――なにも……?
ちょっと引っかかる。彼は周りでうろちょろするばかりだ。
思い立ってわたしは、さっき見たのとは反対側から、その材木の隙間を覗いてみた。やっぱり同じように真っ暗――だがライトを当てると、冗談のように真ん丸の動物の目が二つ光った。
見つけてしまったのだ――隣の猫が。
動物と会話をしたいわけではない。だが、彼らが発している声なき声に、精一杯耳を傾けたいと思うのだ。そして、夢想でも繋がりたいと願う。
それは憧れなどいうかわいらしい感情ではなく、責任と自戒と贖罪に似た苦い気持ちからだ。
聞きたい、のではなく、聞くべき、という想い。
愛玩動物を作出し、多くの種を滅びに至らしめた人という生き物として、その姿勢を忘れてはならないのだとわたしは思う。
動物に話しかけるおかしなやつだと笑われたとしても。
後日、隣家の猫には、スタッフ一同から心ばかりの猫フードセットを贈呈した。もちろん品質だけでなく栄養バランスまで考えた優良品である。
数年前職場を辞めてしまって、残念なことにその彼とはもう顔を合わせることはなくなってしまった。かわいがってもらえていることを祈るばかりだ。
脱走をした猫(その前に脱走をした子も)は、変わらず職場でまるまるとした生活を送っている。
今度遊びにいったときには、ぜひあの時の話などを聞いてみたい気がするが、そうは問屋が卸してくれないだろう。
それでも、例えばこの質問に彼らはなんと答えるのだろうか。
「君は今、幸せですか?」
その答えが聞きたいようで、聞くのが恐ろしくもある。所詮わたしは、人なのだと思う。
だから今日も――言葉の代わりに精一杯、彼らを抱きしめる。
この二つの腕が、ソロモンの指輪となるようにと願いつつ。
*ソロモンの指輪……ソロモン王が大天使ミカエルより与えられた指輪。
様々な天使や悪魔を使役し、あらゆる動植物の声までをも聞く力を与えると伝えられている。(Wikipediaより)
……そんな壮大な話ではない(汗;)。