夢色の島(5)
(5)秘密の夢
悪夢のような生き物も含め、幸運にも天然記念物の鷲や亀、蝶、蛇などに会えたわたしにとって、一番心に残った出会いは、ある離島での出来事であった。
楽しみ半分に訪れた調査で、同級生が教えてくれた秘密のオススメポイントがそれである。
季節は春、だったと思う。一時期の寒さが急激な暑さに変化しつつある頃、わたしたちはじっとりと濡れたような宵闇の中、とある川岸を訪れた。
車道からそんなに分け入った場所ではない。幅1.5メートルほどの浅い川は雑木林に囲まれていたが、川の中央辺りで枝葉が途切れ、夜空が顔を覗かせている。それでも、黒々とした木々はすでに、どこか人界ではないざわめきを纏っているようだった。
懐中電灯で十全に辺りを確認し(ハブに注意)、わたしたちは適当な石に腰かける。そして、ライトを落とす。
その瞬間、わたしは星空の中に居た。無数という表現がかすんで思えるほどの光たちが、ありとあらゆるところに灯り、瞬き、乱舞している。
それは川面に反射し、また空の星々を映して、上も下もどこに居るのかも分からぬ無重力の情景だった。
星屑を手のひらで掬い集められるのではないか――そんな錯覚すら、幻想ではないように思えた。
後日調べたところ、その季節その場には数種の蛍がいたと考えられる。
だが、そこに無粋な言葉や説明など必要ない。
わたしたちは、何も喋らずただ黙ってその景色に身を委ね、そしてそっと帰った。
ただ、語らなくとも想いは同じくしていたと思う。この地は、絶対に秘密にされるべきものだと。
この島の人たちは、精霊信仰(アニミズム)ともいえぬ信仰を備えもっている。あたかも遺伝子にそれが刻み込まれているように。
現代の人が軽々しく呼ぶ「パワースポット」なるものを、感覚として知り、そして自然に多大なる敬意を払う。聖域である「御嶽(うたき)」に関わらず、彼らは余所の土地や山に入るときには必ず礼をし、そして礼を言って立ち去るのだ。
記念に貝殻を持って帰ろう、などと気軽に思うことはない。少なくともわたしの周りの人たちは、きちんと土地の神様に断りを入れ、最低限のものを手にして帰っていた。
神の有無ではない。それは、先んずるものへの純粋な畏敬の念なのだ。
所詮われわれは、まだ地上で一瞬のさらにその一つまみほどの存在でしかないのだから。
そんな一つまみほどの時代の中で、かけがえのない秘宝がこの世から次々と消されていることを、わたしたちはもっと真剣に考えるべきではないだろうか。
それは、エコだ何だと声高に言うことだけではない。ただ、気付くことだ。
この地に生かされていることに、もっと慎ましく頭を下げるべきだということを。
わたしたちは――この世の客人(まろうど)なのだ、ということを。