第7章:悲劇のヒーロー気取りな元婚約者の場合
~「俺を不幸にした元カノに代償を!」と嘘を吹聴するストーカー様。真実をバラされ、味方ゼロの孤立無援へ~
噂というものは、香水に似ている。
誰かが一滴垂らせば、広間の隅まで行き渡り、当の本人が気づいたときには服に染みついている。
そして最悪なのは、香水と違って――“噂は洗っても落ちにくい”こと。
私、セシリアは、身に覚えのない悪評で社交界から孤立しかけていた。
「冷酷な女」
「貧乏な婚約者を捨てて金持ちに乗り換えた」
「婚約指輪を投げつけた」
どれも、嘘。
でも嘘は、物語の形をすると強い。
人は真実より、“分かりやすい悲劇”を信じたがる。
悲劇の主人公を演じているのは――元婚約者、エリオット。
没落寸前の男爵家長男。見栄えだけはいい。
そして、見栄えだけで生きようとする男。
夜な夜な、酒場。
エリオットは、わざと暗い席に座り、わざと疲れた顔で杯を揺らし、わざと、誰かに聞こえる声で言う。
「聞いてくれ……セシリアは俺が貧乏だからと、婚約指輪を投げつけて……他の男の馬車に乗ったんだ」
彼は目元を指でこすり、涙を“作る”。
「信じていたのに。俺は不幸だ……」
周囲の客がざわめく。
「なんて酷い女だ」
「エリオットが可哀想だ」
「女って怖いな」
彼は“同情”という酒を、ぐいぐい飲む。
同情は無料だ。だから彼は毎晩、飲める。
「彼女には……俺を傷つけた代償を払わせたい!」
最後にそう言って、拳を握りしめる。
悲劇のヒーロー。正義の復讐者。
……自分の浮気を隠したまま。
私は、その酒場の噂が回ってきた日に、まず深呼吸をした。
怒りで動けば、相手の物語の“悪役”にされる。
だから私は、静かに準備をした。
――真実は、派手じゃなくていい。
ただ、逃げ場をなくせばいい。
エリオットの粘着は、噂だけでは終わらなかった。
彼は「精神的苦痛」を理由に、私の実家へ多額の慰謝料を請求してきた。
さらに街で、馬車の出入りで、式服店で――どこにでも現れる。
「セシリア、話がある」
その声は甘い。
甘いけれど、刃の甘さだ。
「あなたがやったことはひどい。俺の人生を壊した。代償を払え」
「……あなたが浮気した証拠があるわ」
私がそう言うと、彼は即座に顔を歪めた。
「あれはただの友達だ!」
出た。
テンプレ。
「そうやって俺を疑う冷たい心が、俺を追い詰めたんだ!」
語尾が震え、声が大きくなる。
被害者の席から降りたくない人間は、声で椅子を固定する。
「俺は悪くない!」
最後はいつも、それ。
自分を守るための呪文。
私は確信した。
(この男、自分の嘘を真実だと思い込んで酔っているんだわ)
嘘で自分を守りすぎた結果、嘘の中に住んでいる。
そこから引きずり出すには、言葉じゃ足りない。
(こんな奴に同情して人生を棒に振るなんて、時間の無駄よ)
私は、笑った。
冷たくじゃない。
“自分を取り戻す決意”として。
数日後。
エリオットは“糾弾会”なるものを開いた。
名目は「セシリアを断罪する有志の集まり」。
実態は「エリオットの悲劇を聞いて拍手する会」。
会場は小さな集会所。
集まっているのは、同情心で動く人、刺激が欲しい人、噂が好きな人。
そして、彼の話を真に受けた人。
エリオットは壇上に立ち、胸に手を当てて語り始めた。
「俺は……セシリアを心から愛していた」
わざと息を詰める。
涙を浮かべる。
観客が頷く。
「なのに彼女は、俺を捨てた。貧乏だからだ。指輪を投げつけ、別の男の馬車へ――」
そのとき、扉が開いた。
私は、静かに入っていった。
背筋を伸ばし、堂々と。
会場がざわめく。
エリオットの顔が勝ち誇ったように歪む。
「来たか、セシリア。逃げずに来たのは偉い。お前も反省——」
「反省するのは、あなたです」
私は淡々と言った。
そして、手に持っていた小さな魔導具――銀色の輪と魔石がはめられた装置を掲げる。
「『自白の魔導具』です」
ざわめきが止まる。
「嘘をつくと、口が勝手に真実を喋ります。痛みはありません。……恥だけです」
エリオットが顔を引きつらせた。
「な、なんだそれ。そんなもので——」
「エリオット様」
私は一歩近づいて、柔らかく微笑んだ。
彼の“悲劇”の文法を、こちらも利用する。
「そんなに私が悪いとおっしゃるなら、この魔導具の前で誓ってください」
会場の視線が、彼に集中する。
彼は引けない。引けば“嘘”に見える。
「――あなたは一度も私を裏切っていないと」
エリオットは、一瞬だけ迷った。
でも、彼の最大の欠点がそこで出る。
根拠のない自信。
そして「自分は特別だから何とかなる」という万能感。
「フン。いいだろ」
彼は自信満々に手を置いた。
観客が息を呑む。
魔石が淡く光った。
「俺は——」
エリオットは、言い切ろうとして、口が勝手に動いた。
「……あいつの金が目当てだったけど、地味でだるいから若い子と遊んでただけだ!」
会場が凍りついた。
「婚約破棄されたのは俺の浮気のせいだけど、金が欲しいから被害者のフリをして——」
エリオットの目が見開かれる。
口が止まらない。身体が硬直する。
“あ、あばばば!”と情けない声を漏らしながら、真実だけが飛び出していく。
「慰謝料ふんだくって、立て直すつもりだった! 俺は悪くないって言えば、みんな信じると思ってた!!」
最後の一言が、致命傷だった。
自白の魔導具は静かに光を消した。
真実が吐き出された後の沈黙は、重い。
観客たちは、ゆっくりと表情を変えた。
同情が、嫌悪へ。
拍手が、冷笑へ。
「……詐欺師じゃないか」
「私たち、何を聞かされてたの」
「最低」
エリオットは壇上で膝をついた。
「ち、違う! 今のは魔法が! 魔法が俺を——」
「魔法は、嘘をつかせません」
私は静かに言った。
「あなた自身の口が、あなたを裁いたのよ」
糾弾会は、その場で解散した。
いや、“崩壊した”。
エリオットは味方を失った。
同情の酒場も、噂好きの輪も、誰も彼を守らない。
物語の主人公が嘘だとバレた瞬間、観客は一斉に席を立つ。
彼は街を追われ、どこへ行っても相手にされなくなった。
「……俺は不幸だ……」
路地裏で呟いても、返事はない。
悲劇のヒーローは、観客がいないと成立しない。
私は、息を吐いた。
噂の香水が、ようやく薄れるのを感じた。
友人が言った。
「セシリア、強いね」
私は首を振った。
「強いんじゃない。掃除しただけ」
悲劇という名のゴミを、正しく分別して捨てただけ。
それを放置したら、私の人生が汚れるから。
私は最後に、エリオットの背中を思い出して、小さく呟いた。
「悲劇のヒーローはおしまい」
そして、心の中で言葉を足す。
これからは、あなたの名前が『クズ男』の代名詞として語り継がれる。
それが、あなたへの一番の代償よ。
第7章まで読んでくださり感謝です。
噂は一瞬で広がりますが、真実も“道具”があれば取り戻せる。
今回は「被害者のふりをする加害者」を、言い逃げ不能にしました。
次章は国境越えの案件。ついに“国際派クズ”です。




