第6章:無駄に自己効力感が高い無能店主の場合
~「俺がいないと店が回らない」と威張る勘違い店主。看板娘の私が辞めた翌日、店が瓦解しても誰も助けません~
王都の人気カフェ『エトワール』は、昼前から行列ができる。
花の香りが漂う通りに、焼き菓子の匂いが流れると、皆が足を止める。
――その匂いを作っているのが誰か、客は知らない。
店主のバルトロは知っているはずだった。けれど、知ろうともしなかった。
私、ミリーは“看板娘”と呼ばれている。
かわいいリボンをつけ、笑顔で注文を取り、愛想よくお礼を言う。
そして閉店後、厨房で一人、夜が白むまで新作を作る。
可愛いだけじゃ店は回らない。
回しているのは――腕と、段取りと、責任だ。
その日、私が徹夜で開発した新作スイーツが大ヒットした。
“星屑のミルフィーユ”。
サクサクの層に、柑橘の香りと、ほんの少しの塩。口に入れた瞬間、甘さがほどける。
取材の記者が店に来て、店主のバルトロへマイクを向けた。
「二代目店主として、今回の新作の意図は?」
バルトロは店先で髪を整え、鏡みたいに磨かれた窓ガラスに自分の横顔を映してから、にやりと笑った。
「いやあ、俺のインスピレーションを形にするようミリーに命令しただけですよ」
私は皿を拭きながら、手が止まった。
耳の奥が熱い。胃が冷たい。
「彼女、言われないと動けないから、だるいんですよね」
……だるい。
その一言で、私の徹夜が“命令に従っただけ”になる。
記者は笑い、常連の若い女の子たちは「店主さん素敵!」と目を輝かせる。
バルトロは嬉しそうに片目を細め、店先でしゃべり続ける。
その間、私は厨房で計算していた。
材料費。仕入れ。人件費。賞味期限。オーブンの温度。
そして――売上の現金。
売上の一部が、また消えていた。
私が帳簿を差し出すと、バルトロは赤ワインの香りをさせながら笑った。
「なんだよ、その顔。金の話? だるいな」
「バルトロさん。今月、仕入れ先への支払いが――」
「俺の店なんだから、俺がどう使おうと自由だろ」
彼はグラスを揺らし、軽く言った。
「酒代? ああ、俺の交際費だよ。客と仲良くするのも仕事だろ?」
「……でも、店の信用が」
「嫌なら辞めろよ」
彼は鼻で笑って、私の額を指でつついた。
「まあ、俺がいないと生きていけないお前には無理だろうけどな!」
その瞬間、胸の奥で、何かが静かに“終わった”。
怒鳴り返す気力もなかった。ただ、確認した。
――この人は、私を必要としていない。
必要としているのは、私の労働と、私の笑顔と、私の我慢だけ。
私は何度も説明した。
在庫管理が限界だと。
仕入れ先の信頼関係が崩れかけていると。
常連客の好みや予約の段取りは、私が全部覚えていると。
でもバルトロは、基本他人の話を聞いてない。
鏡で前髪を整えながら、適当に相槌を打つ。
「ミリー、君は心配性だな。俺の運の良さを信じろよ」
運。
努力を運に変換する男の、万能ワード。
「何の根拠もなく言ってるんじゃない。俺はこの店を王国一にする男なんだから」
……根拠は、私。
言わなかった。言っても伝わらないから。
ついに、私の堪忍袋の緒が切れたのは、厨房で一人、崩れそうな苺のタルトを直していたときだった。
指が震える。睡眠不足。苺の香りが甘すぎて、吐き気がした。
私はエプロンを外し、帳簿を閉じ、バルトロの前に立った。
「分かりました」
彼は眉を上げる。
「なにが?」
「そんなに自信があるなら――お一人でどうぞ」
私は深く息を吸って、言った。
「私、自分の人生を棒に振りたくないので、今日で辞めます」
バルトロは一瞬ぽかんとした後、笑った。
「はは。辞める? 無理無理。お前、どこ行っても通用しないって」
笑いながら、彼は手を振った。
「明日になったら泣いて戻ってくるよ。俺がいないと無理なんだから」
私は答えなかった。
答えの代わりに、鍵を置いた。
翌日。
『エトワール』はいつも通り、朝の光を浴びて店を開けた。
店主のバルトロが、余裕綽々で扉を開ける。
「さーて、今日も俺のカリスマで満席にしてやるか」
彼はカウンターの内側に入って、固まった。
……何も分からない。
厨房の火の入れ方。
オーブンの癖。
粉と砂糖の保管場所。
仕入れの連絡先。
予約表の読み方。
常連の名前。アレルギー。好き嫌い。
全部、知らない。
「おい、ミリー! あれどこだっけ?」
叫んで、ようやく思い出した。
「……あ。いねーんだっけ」
喉元がひくつく。
でも彼はすぐに胸を張る。胸を張るのだけは、得意だ。
「まあいい。俺の実力を見せてやる」
結果――出てきた料理は、ゴミのようだった。
焦げたパイ。
生焼けのスポンジ。
塩と砂糖を間違えたクリーム。
冷蔵庫を開けても、どれが何の材料か分からず、適当に混ぜた“何か”。
常連客の女性が口に入れて、顔を歪める。
「……なにこれ」
店内の空気が凍る。
別の客が立ち上がり、声を荒げた。
「看板娘さんは!? ミリーさんはどこ!?」
バルトロは額に汗を浮かべ、逆ギレした。
「今日は体調が悪いだけだ! 俺は悪くない!」
出た。
“俺は悪くない”。
「だ、だるいな……客がうるさい。俺の店で偉そうに――」
その瞬間、店の裏口の鈴が鳴った。
仕入れ先の男が、顔を出した。
「バルトロさん。今月の支払い、まだですよね?」
「え? ……あー、それは、その……」
男は冷たく言った。
「ミリーさんがいないなら、取引は停止します。彼女と話して成り立ってたんで」
バルトロの顔が引き攣る。
続けて別の仕入れ先も、別の業者も同じことを言った。
「ミリーさんがいないなら無理」
「ミリーさんにしか伝わってない」
「ミリーさんが信用だった」
客は帰り、行列は消え、店は一日で大赤字になった。
夕方、店の前に立つバルトロの背中は、小さかった。
彼の“カリスマ”は、誰も支えない。
支えていたのは、私だった。
数日後。
借金取りが来て、『エトワール』は差し押さえられた。
バルトロは路地裏で、ボロボロの服で呟いていた。
「俺を理解できない世界が悪い……」
そう言いながら、鏡のかけらに映る自分の髪を整えようとしていた。
最後まで、“自分の顔”しか見ていない。
私は振り返らなかった。
助けない。
もう、棒に振らない。
そして私は、新しい店を開いた。
小さくても、誠実な店。
私の貯金と、私の腕を信じてついてきてくれた職人たちと。
店の名前は、まだ秘密。けれど、看板の下にはこう書いた。
『働く人が報われる場所』
開店前夜、私は静かに言った。
「自分の力を過信する前に、支えてくれる人の声を聞くべきだったわね」
……さよなら、自称カリスマ店主さん。
明日からは、私の人生。
第6章ありがとうございました!
「俺がいないと回らない」って言う人ほど、実務を知らないあるある……。
ミリーが辞めた後に崩れるのは、店ではなく“勘違いの王国”です。
次章は、悲劇のヒーロー気取り(嘘で被害者ポジ)を掃除します。




