第1章:無駄に自己肯定感が高い騎士様の場合
~戦場でバフを切られて無様に泥を啜る~
鏡は嘘をつかない――そう言い張る人ほど、鏡に都合のいい自分しか映していない。
私、聖女アリアは今日も、騎士団長補佐カイルの鎧を磨いていた。
銀の胸当てに自分の顔が映ると、彼は満足そうに口角を上げる。まるでそこに映る“輝き”が、努力の結果だとでも言いたげに。
「いいな、完璧だ。俺はやっぱり伝説の騎士だな」
「はい。……刃こぼれも直しておきました」
「当然だろ。お前の仕事だ」
当然。
その言葉は、何度も私の胸に小さな棘を刺した。抜いても抜いても、また刺さる。慣れることなんてない。
私は聖女で、婚約者で――彼の“付属品”ではない。
それでも、私は黙ってきた。黙れば、波風は立たないから。黙っていれば、彼は機嫌よくいられるから。
そして私が黙っている間に、彼は「伝説」になっていった。
戦場で彼が剣を振るう瞬間、私はこっそりと魔法を重ねる。
身体強化。反射神経。筋力増幅。耐久力。気力。痛覚鈍化。――“不可視の支援魔法”。
誰にも気づかれないように。
彼が「俺の実力だ」と言えるように。
私は、彼の勝利の影で祈り続けた。
けれど彼は、その影に感謝するどころか、踏みつけた。
「アリア。お前さ、地味なんだよ」
ある日の朝。剣の錆を落としながら、彼は何でもない顔で言った。
「地味って……」
「褒め言葉じゃない。俺の隣にいるの、不相応だって言ってんの。分かる? 俺が眩しい分、お前が余計くすんで見えるんだよ」
彼は鏡を見ながら言った。
私ではなく、自分の顔に話しかけるみたいに。
「でも、まあ……お前みたいな地味女でも、俺の婚約者になれたんだから感謝しろよ?」
胸の奥で、何かが「ぽき」と音を立てた気がした。
でも私は笑ってしまう癖がある。泣くより先に、笑って誤魔化す癖だ。
「……はい」
「その返事が一番だるくない。よし」
“だるい”。
彼の口癖。便利な言葉。自分の機嫌を守るために、相手の心を押しつぶす言葉。
その日、私は一つだけ、心の中で言い換えた。
だるい、じゃない。
――もう、無理。
転機は、夜のパーティーだった。
騎士団の戦果を祝う宴。音楽。酒。笑い声。花の香り。
私は聖女として、にこやかに杯を配り、怪我人の回復に備えて控えていた。カイルは当然のように中央へ進み、賞賛を浴びる。彼の周囲にだけ、光が集まるみたいに。
そして――その光の中に、別の“派手な光”が割り込んだ。
「まあ、カイル様ぁ。さすがですわ!」
金髪に宝石の髪飾り、香水の甘い匂い。
令嬢リリア(と名乗っていた)の腰に、カイルの手が回る。彼は見せつけるように彼女を抱き寄せた。
場が、ざわりと揺れた。
皆の視線が、私へ、そして彼へ。
カイルは、その視線が快感なのだろう。声を張り上げる。
「アリア。お前は今日でクビだ」
……クビ。
婚約者を、仕事みたいに言う。
「俺には、もっと相応しい女がいる。彼女こそ俺に釣り合う。分かったか?」
令嬢リリアは勝ち誇った笑みを浮かべる。
彼女の目は、私を“いらないもの”として見ていた。
私の心は、不思議なほど静かだった。
涙も怒りも、後から来る。今はただ、終わったんだ、と理解しただけ。
「分かりました」
私は礼儀正しく頭を下げた。
「では――私の全魔法を、今この瞬間、解除しますね」
カイルが眉をひそめる。
「は? 何を言って――」
私は微笑んだまま、言葉を続けた。
「あなたの為に、人生を棒に振る覚悟なんかありませんから」
ぱちん、と指を鳴らす。
派手な光は起きない。目立つ演出もしない。私の魔法は不可視だ。だから解除も、誰にも見えない。
ただ、空気が軽くなる感覚だけがあった。
まるで重い鎖を、静かにほどいたみたいに。
私の中で、祈りの糸がぷつりと切れる。
その瞬間、カイルの“伝説”の土台も一緒に切れた。
「……何だよ。そんな地味な脅し、だるいんだけど」
カイルは鼻で笑った。
「俺が輝いてるのは、俺が伝説の騎士だからだろ? お前のサポート? ああ、邪魔だからもうすんなよ」
――了解。
私は心の中でだけ、短く返事をした。
クズ。クズ。クズ男。
全世界に生息する、万国共通。
その直後だった。
国境付近で大型魔物の出現。鐘が鳴り、使者が駆け込む。
宴の空気が一瞬で凍りついた。
「オーガだ! 群れで来ている!」
騎士団はざわめき、指揮系統が動き始める。
この場にいるのは、英雄たちではなく、酒に酔った貴族と、装飾品の騎士もどきと――それでも守らねばならない民。
カイルは、令嬢リリアの前で胸を張った。
「俺が出る。見てろ、リリア。俺の真の実力を」
周囲が息を呑む。
騎士たちは知っている。カイルは強い……“はず”だった。
私は知っている。彼は強い……“ように見える”だけだった。
カイルは鎧をまとい直し、剣を抜いた。
――ずしん。
剣先が床を削り、彼の腕が震えた。
「……は?」
持ち上がらない。
正確には、持ち上げるだけの筋力が、今の彼にはない。
彼は顔を真っ赤にして、無理やり剣を引きずるようにしながら外へ飛び出した。
周囲の騎士が慌てて続く。
私も、聖女として後方支援の位置へ向かった。
ただし、カイルのためではない。民のために。
国境の野は、湿った泥でぬかるんでいた。
遠くでオーガが咆哮する。地面が震え、空気が重くなる。魔物の圧だけで、普通の人は膝が笑う。
……なのに。
「う、うおおおお!」
カイルは叫びながら走り出し、三歩目で足を取られて派手に転んだ。
鎧が重い。膝が泥に沈む。剣は泥を掻き、彼の顔面にまで跳ねた。
泥だらけの“伝説”。
オーガが一歩踏み出す。
その影に飲み込まれそうになって、カイルの腰が抜けた。
「ひっ……!」
咆哮が響く。
彼は尻餅のまま、後退ろうとしてさらに滑った。
周囲の騎士が陣形を整える。
本当に強い者たちは、逃げずに民の前に立つ。
そして彼らは、誰かの支援がなくても、鍛えた力で剣を振るえる。
カイルだけが、泥の中で喘いでいた。
「アリアァァ! 何をしている! 早く魔法をかけろ!」
彼の声は、恐怖と怒りが混じっていた。
助けを求める声の形をした命令。
「俺が怪我したらどうする! 悪くない! 悪くないが口癖の俺を怒らせるな!」
……自分で言うんだ、それ。
私は前へ出なかった。
代わりに、負傷者の後送路に結界を張り、民の避難を支え、真正面で戦う騎士たちにだけ必要な支援を配った。
“支援”は、私の仕事。
でも“寄生”の餌になる支援は、もうしない。
カイルが、こちらを睨む。
「おい! 聞いてるのか! だるいことすんな! 俺を――」
言い終える前に、彼の背後でオーガが腕を振り上げた。
間一髪、別の騎士が盾で弾き、カイルは吹っ飛ばされて泥の上を転がった。
「ぎゃっ……!」
令嬢リリアは悲鳴を上げた。
けれど、その悲鳴に“心配”は入っていない。自分が汚れたくない、という悲鳴だ。
「……やだ……。カイル様って、あんな……」
見抜かれる瞬間は、いつだって滑稽で残酷だ。
“輝き”が剥がれ落ちたあとの、ただの人。
戦いは、真っ当な騎士たちの連携で収束した。
私が支援すべきは、こういう人たちだったのだと、痛いほど分かった。
その夜。
カイルは騎士団を即日免職になった。
戦場での混乱は、報告書と目撃者の証言で明確になった。
彼は指揮官としての資質を欠き、戦果は他者の支援と部下の奮闘に依存し、さらに宴の場で聖女を侮辱し公衆の面前で婚約破棄――。
「伝説の騎士」は、紙の上で崩れ落ちた。
そして、最後の一撃は――令嬢リリアだった。
「ねえカイル様。私、強い人が好きなの」
彼女は彼の泥のついた指を、ハンカチ越しに払いのけた。
「あなた、ただの無能じゃない。……私、恥をかいたわ」
去っていく背中は軽い。
寄生する相手を間違えたハチドリみたいに、次の花へ飛んでいった。
カイルは唇を噛み、私の方を見た。
助けを求める顔。恨む顔。泣きそうな顔。
「……アリア。お前、俺のこと……」
私は、最後まで礼儀正しく微笑んだ。
でも、心はもうここにいない。
「カイル。あなたが不幸にした人へ、代償を払ってください」
「……っ」
私は踵を返す。
背中に罵声が飛んでくる前に、扉を閉めた。
クズ クズ クズ男。
不幸にした人へ、代償を払え。
――滅べ。クズ男。
それは呪いじゃない。
私が私の人生を取り戻すための、宣言だ。
翌日、私は街の小さな菓子店にいた。
ショーケースには、苺のタルト、濃厚なチョコレートケーキ、ふわふわのシフォン。
甘い香りが、昨日までの空気を洗い流してくれる。
「おすすめはどれですか?」
店員が微笑む。
私は少し考えて、苺のタルトを指差した。
「これをください。……今日の私は、甘いものを食べる価値があります」
タルトを一口。
酸味と甘味が舌に広がって、胸の奥がすうっと軽くなる。
私は、ひとりになったんじゃない。
ようやく“私”に戻ったのだ。
そのとき、店のドアベルが鳴った。
入ってきたのは、王宮の使いの者――白い封蝋の手紙を持っている。
「聖女アリア様。国王陛下より、至急の召喚です」
……来た。
私の再出発は、もう始まっているらしい。
私はタルトの最後の一口を食べて、立ち上がった。
次に“処理”すべきクズが、どこかで息をしているのだとしても――
私はもう、人生を棒に振らない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「支えている側」が自分の価値を取り戻す瞬間を書きたくて、第1章はアリアの“解除”を芯にしました。
尽くすことが優しさでも、搾取に変わった瞬間に終わらせていい。次章も、万国共通の“クズ”を処理していきます。




