【第51話】ロイリー・ノーゼン、アンバー・タッガオ④
あれから1時間後。
アンバーは、痛みを増す全身を引きずって、家路に着いていた。
先ほどは、そのまま廊下で気を失いそうになるところだったのだが、すんでのところで踏みとどまり、言われた通りちゃんと保健室に向かった。しかし、保健の先生不在、かつ施錠もされており、完全たる無駄足になったのだった。
そして、諦めて帰ることにして現在に至る。
ズキン、ズキン。ドクン、ドクン。
全身が痛む。
はたかれた頬が痛む。壁に打ち付けられた右半身が痛む。ぶつけた頭がガンガンとする。
アンバーは思わず帰る足を止めた。
雪が積もる、隣の生垣を見て、惹かれたのだ。
(とりあえず冷やしたいな……)
そして、意図的にその生垣に倒れ込んだ。
ひんやりとした白い雪が、気持ち良く頬を包んだ。
気付けば、なんとなく暑いと思っていたから、それも相まって、雪の冷たさがものすごく気持ち良かった。
──そして、そのまま目を閉じてしまったのだ。
どのくらいの時が経っただろうか。
ふいに、ゆさゆさと揺さぶられて目が覚める。
とても良い気分だったのに、至福の時を邪魔したのは誰だ、とアンバーは顔を顰めた。
しかも、ものすごく寒い。とにかく体が震える。
着ている服では、全くと言っていいほどこの寒さは防げないと思った。
「ちょ、ちょっと君!! 大丈夫ッスか……!?」
「……? だれ」
慌てた様子の、少年の声がした。
アンバーは生垣に体を預けたまま、視線だけ、相手の方に向ける。
「えっ、俺? あ、えと、俺はロイリー。……ッス!」
「ロイリーッス?」
「いや、違くて、ロイリー!!」
「あぁ……、そう」
興味がなさそうにそう答えると、アンバーはまた目を閉じようとする。
「待って待って待って!!!」
まずいってこれ!とロイリーが焦っているのが、遠く、耳に入った。アンバーはまた、まどろみの中に引き込まれようとしていた。
すると突然、薄っすらと緑がかった、白色の淡く柔らかな光がアンバーの全身を包んだ。その光は、仄かに温かい。
光が段々と夜闇に混じり消えていく頃、全身の全ての痛みが消え去っていた。
「……え」
アンバーがそれに驚いていると、ふいに、ロイリーの手がおでこに伸びてくる。
「ん!? もしかして熱もある……!?」
そう言ったロイリーが、熱はえーっと……、とぶつぶつ呟き、何か詠唱すると、また光が生まれ、先程と同じような現象が起こった。
「どう!? 熱治った……!?」
しっかりとアンバーの目を見据えるその瞳には、必死さと心配が純度100%で詰まっていた。
それを見ていたら、なんだか急に、涙がポロポロ、ポロポロと、溢れ出ては止まらなくなった。
アンバーは自分がなぜ、泣いているのか全くわからず、必死に涙を止めようとする。熱が下がったかどうかなんて、わからなかった。熱があったことすらも、あまり自覚していなかった。
「あっ、え!? ど、どうしよう……!? 大丈夫? どこか痛い?」
オロオロとした様子でそう聞くロイリーに、アンバーはフルフルと首を横に振った。
「そ、それなら良かったけど……」
アンバーは零れ落ちる涙をしきりに拭いながら、口を開く。
「何コレ」
「え、えっと……な、涙?」
「は?」
ロイリーは、焦って頭が真っ白になり、変なことを口走った。そんなロイリーの返答に、驚きのあまり、アンバーの涙が止まる。
「バカなの? クイズじゃないんだけど。さっきやったやつ、何?」
「えっ、あっ、さっきの? あ、あれは治癒魔法だよ」
アンバーが強い言葉で詰め寄ると、ロイリーはたじろぎながらも答えてくれた。しかし、アンバーは治癒魔法など知らなかった。
「治癒魔法?」
「えっ、知らない……?」
「知らない」
「ほ、保健室の先生とか使えたりしない?」
「知らない。あんま保健室行かない」
「えぇ……? 授業とかで習わなかった?」
「知らない。授業聞いてない」
一通りの問答を終え、何を言ってもアンバーには通じないらしいと理解したロイリーは、治癒魔法について、ざっくりと説明した。
「え、すごい……。何ソレ。かっけぇ」
治癒魔法を知ったアンバーは、瞳を輝かせてそう言った。
「そんないいもんじゃないよ……。俺にはこんな才能、いらなかったのに」
「なんでそんなこと言うの?」
アンバーは真剣な瞳で、すかさずそう聞いた。なぜロイリーがそんなに落ち込んだ様子なのか、本当に不思議に思ったからだった。
「え……、だって……。何でも出来ると、皆から嫌われちゃうから……」
「ハァ?」
アンバーの口からは、思わず間の抜けた声が漏れ出る。
「そんなの、羨ましがってるだけだよ。妬み嫉みじゃん。それで攻撃してくるなんて寂しいヤツら」
「ねたみそねみ……?」
ロイリーは、その言葉の意味がよくわからず、オウム返しに聞き返した。
「なんか、相手が羨ましくて、引きずり落としたくて攻撃しちゃう、みたいな意味だよ、たぶん。てか、何でも出来るの、超かっけぇじゃん。主人公じゃん」
アンバーは、小説を読むのが大好きな子だった。
だから、彼の瞳には、ロイリーがキラキラと輝く主人公のように見えたのだ。
アンバーにとって、小説だけが自分の居場所だった。逃げ場だった。彼は、最後には必ず報われる、物語の主人公に憧れていた。
「かっこいい……? 主人公……?」
そんなアンバーが、珍しく興奮した様子で言った言葉に、ロイリーは、目を見開いて聞き返す。
「何? 本、読んだことないの? 主人公は最初はドン底にいるけど、その才能で超トップまで上がるんだよ!」
「そうなの……?」
「そうなの! それに、怪我も病気も治せるなんて超強いじゃん! みんなを元気に出来るじゃん」
「みんなを元気に……」
それを聞いたロイリーの瞳に光が宿る。
邪魔だと思っていた能力が皆に希望を与える。自分の能力はかっこいい。
ロイリーは、嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。
こんなに混じり気のない、透明でキラキラした嬉しさを感じたのは、ひどく久しぶりだった。
さっきだって、目の前の、今にも死にそうな男の子を救えたのが、嬉しかった。名も知らないけれど、彼が1人雪に埋もれて、冷たくならなくて良かった。ロイリーはそう思ったのだ。
「俺も主人公だったら、もっと幸せな人生だったのかなぁ」
ロイリーが、胸に小さな希望の光を宿していると、アンバーがぼそりとそう言った。
「……ぇ、ぁ」
ロイリーは言葉にならない声を吐き出す。
目の前のアンバーが、とても悲しそうで、ひどく胸を締め付けられた。彼の生い立ちも、現在の背景も知らないロイリーは、かける言葉を見つけることが出来なかった。
「俺はさぁ、勉強も、運動も、何を全力でやっても上手く出来ないからさぁ。どんなに頑張っても、敵わないからさぁ」
アンバーが、噛み殺すように、言葉を一つひとつ絞り出す。
「…………っ」
ロイリーは、その言葉を聞いて、わざと手を抜いてきた自分をものすごく恥じた。
自分が今までしてきたことは、アンバーのような人たちに、どれほど失礼だっただろうか。
「ロイリーはかっけぇなぁ……。ヒーローみたいでさ」
アンバーのその瞳からは、一筋の大粒の涙が零れ落ちた。
ロイリーは、とても苦しかった。その純粋な思いが受け止めきれる、純度を保てていなかったから。
「俺、こんなに大事にされたことないよ」
ロイリーは、その言葉を聞いて、顔を上げてアンバーを見つめる。
無表情で呟くその様子を見て、胸が苦しくなった。引きちぎれそうなほど苦しくて、少し、咳込む。
どうしようもない思いが、余計に喉に引っかかったように錯覚した。
神さま、どうかこの子に幸せを、いや。
願わくば、俺がこの子に幸せを……。
どうか、どうか笑顔咲く人生であってほしい。俺に光をくれたこの子の行く先が、陽の灯る花道であってほしい。
ロイリーは、心の内でしきりにそう願った。
あーあ。
一方で、アンバーは悟っていた。
自分は主人公に、ヒーローに、なれないことを。物語で一瞬だけ、彼らと視線を交錯させるだけの、モブであることを。
別れの時だ。
ヒーローの物語を綴った1冊の本から、去る時。モブの出番が終わる時。
「……っありがとうございました。……俺、このまま帰れるんで」
そう告げると、アンバーはゆっくりと立ち上がって、肩に薄く積もった雪を払った。
しかし、雪を払おうとした手には、何も触らなかった。肩に、雪など積もっていなかった。
目の前のロイリーを見れば、頭にも、肩にも薄く雪を積もらせ、鼻先も、耳も赤くしていた。
「……ッなんでだよ」
アンバーはギュッと拳を握り込んでそう呟く。なぜ、ヒーローとは皆こんなにもお人好しなのだろう。
きっと、ロイリーが何かしらの魔法を使って、自分の上にだけ雪が降らないようにしてくれているのだろう、とそう思った。
自分は彼に何も返せない。
自分の方が大切に扱われる価値が理解出来なくて、彼が自分を蔑ろにしたのが許せなくて、寒々と震える彼に何も出来ないのが悔しくて。アンバーは唇を噛み締めた。
もっと勉強しとけば良かった、そう思った。
アンバーは、自分の首をぐるぐるに巻いていたマフラーを雑に外し、ロイリーの頭に丁寧に巻いた。
「……じゃあ。ほんとに……ありがとうございました」
そう言って、アンバーが背を向けると、
「待って!」
と、ロイリーの大きな声が聞こえた。
声の大きさにびっくりして、アンバーは思わず振り返る。
すると──、
「……え。なんでアンタが泣いてるんですか」
ロイリーは鼻をずびずびにして、さっきまで理知的だったその瞳に、大粒の涙を溜めていた。
「や゙だ」
「えぇ? 何が……?」
「笑っでよ゙……幸ぜにな゙っでよ゙。行がない゙で」
「……は?」
アンバーは思わず聞き間違いかと思った。なぜ彼が自分の幸せを願うのか、到底理解が及ばなかった。
「だっで、俺……、才能、褒めでもらったの゙、初めてだったがら゛……!」
「……え? いや、大袈裟……」
「おれ゙、も゙っと君みたいに゙強くなりたい゙ぃ」
「は……? 俺が強い?」
下を向いて目を擦りながら、訳のわからないことばかり言うロイリーに、アンバーは困惑していた。すると、そんなのも構わず、ロイリーがバッと顔を上げてこう言った。
「な゙っ、名前! おしえで……!」
「え? ……あれ? 言ってなかったっけ。アンバー、です」
「アンバー! また会ってね゙! 絶対!」
「…………。…………う、……うん」
泣きながら光るように笑うロイリーに、アンバーは無意識のうちに頷いていた。
いつの間にか、雪は降り止んでいた。
2人は並んで雪道を歩く。静かな静かな銀世界。
誰も通らぬその道で、
世界で、二人きりだった。
閲覧ありがとうございます!
高評価、ブクマ、感想、リアクションなどなど、大変励みになっております!ありがとうございます!
まだの方もぜひ応援していただけるとモチベに繋がって嬉しいです!




