【第1話】魔力0の少女
ふと、持っていたプリントの1枚が宙を舞う。
それを拾いつつ周りを確認すると、窓が少し開いていた。風が吹いているようだ。
レミア・ミューは、廊下の窓から学校の庭を見下ろした。季節は春。花々が芽吹き、柔らかな日差しと穏やかな風があたりを包んでいた。
その中にひときわ目立つ大きな木がある。その名は──”桜”。
太く大きい幹に、薄桃色の繊細な花びらを咲かせるそれは、元々はこの世界のものではないらしい。
この世界、とは、私たちが暮らしている世界のことだ。ここは、”裏世界”と呼ばれる。
そう、裏があるなら表もある。この”桜”という植物は表世界の桜を参考に作られたものらしい。
表世界のことはあまり知らなかった。行ったこともなければ、見たこともない。表世界と私たちの住む裏世界は完全に断絶されており、行き来することが出来ないからだ。
そんなことをぼんやりと考えていたら、突然ドン!と勢いよくぶつかられ、思わず尻餅をついた。
「あ、すみませ……ってなんだミューかよ」
「通行の邪魔なんだけど。能なしは引っ込んでろよ」
「てかまだいたんだ? 魔力ないのに高等科までくるとかずうずうし~」
ダッハッハッハと3人の男子生徒は下品な笑い声をあげた。
レミアはのそのそと立ち上がって制服のスカートについた埃を払う。会話は耳に入れない。全て無視してその場を立ち去ろうしたその瞬間、1人が腕を掴んできた。
「おいおい~、無視かよ?」
「……ッ痛」
掴まれたところにチリッ、と電流のような痺れが走る。さすがにこれは、と思い、鋭く睨むと、相手は白々しい顔をしながらどうした~?などとほざいた。
他の2人もそれを止めるでもなく、ニヤニヤとしながら見ている。
レミアは何もかもめんどくさくなって、はーーーと大きくため息を吐いた。
相手がそれに気を取られている間に、腕を強めに振り払う。そして全力ダッシュでその場を逃げた。
(あぁ。めんどくさい。めんどくさい。うざい。キモい)
先ほど掴まれた腕を確認すると、赤く傷が残っていた。
……魔法だ。
彼は魔法を使ってレミアを痛めつけたのだ。
ここ、ユーヴェリア学園では魔法は何も珍しいことではない。いや、学園どころではなく、この王国でも珍しいことではない。もっと言えば、この裏世界全体を持ってしても、何も珍しいことではない。
魔法は、この世界の住人なら当たり前のように使える。魔力量と技術で地位が決まる。人生まで決まってしまう。
そう、この世界は、魔法絶対主義だ。
そんな世界で、レミア・ミューは魔力を有していなかった。
「……表世界に行けたらいいのに」
レミアはぼそりと呟く。聞いた話によると、表世界には魔法が一切存在しないらしい。表世界に行ける扉があるだとかないだとか、そんな噂を耳にしたことがあるが、どうせデマか何かだろう。
レミアはそのまま寮の自室を目指した。自室と言っても屋根裏部屋だが。
「あの部屋、埃くさくて嫌なんだよな~」
たくさんある内の一つの不満をボヤきながら、敷地の門をくぐって女子寮のある右側の棟に向かって歩く。
たどり着くなり、ギィ――と音を立てて、飾り立てられた重い扉を押し開けた。
寮に入ってすぐ、受付があるわけでも、寮母さんがいるわけでもない。
あるのは小さな空間と、ひとつの絵画だけだ。錆びたのか、メッキが剥がれたのか、少しくすんだ金の額縁に縁どられ、中には少女が一人、瞳を閉じてお行儀よく椅子に座っていた。
レミアが絵画の前まで歩みを進めると、絵の口元が滑らかに動いて声を発する。
「あら? お帰り? 認証してちょうだい」
「あの……」
「……あら、あなたね」
絵画の少女が片目だけぱちりと開いてレミアの姿を確認すると、ゴゴゴゴと絵画が横にスライドして、壁に空いている四角い穴が姿を現す。
微妙に高い位置にある壁の穴に膝をかけ、よじ登って腰を掛けたら、そのまま両足で軽く跳んで着地した。
そこは、広めのロビーだ。
途端、背後でまた絵画がゴゴゴゴと動き、その穴を塞ぐ。
先ほど少女が言っていた”認証”とは、絵画に手をかざして魔力を注ぐことで、身分を証明するものだ。登録がない者や、訪問の約束がない者は彼女が全て弾いてくれる。
もちろんレミアには魔力がないので、例外的に顔パスで入れてもらっている。あの入りづらい穴も、みんなは魔法で少し体を浮かせて入るらしい。
(これも、私には縁のない話)
「ネネさん、ただいまです」
レミアは左側のカウンターに座っている女性に声をかける。彼女はこの女子寮の寮母さんだ。
「大変ね」
「……ハハ」
ネネはこちらをちらりと確認しながら、感情のない声でそう言うとすぐに正面を向いてしまった。対するレミアはちょうどよい返答が思いつかず、ぎこちなく笑って誤魔化す。
ネネは特にこちらに興味も関心もないようで、常に気怠そうな様子で、寮母室の椅子に座って、カウンター越しにぼんやりとロビーを眺めていた。
ロビーには、大きめのソファが2台とローテーブルが一つ、それから豪華な暖炉と謎の鹿の頭の飾り物。少し離れたところには、天井までぎっしりと詰まった本棚が2つ見える。他にも軽食を食べるスペースがあったりなど、かなりくつろげる仕様になっていた。
(まぁこの中のどれも、私が気軽に使えるものじゃないけどね)
ネネの方をちらりと確認すると、どこから取り出したのか、木製のルービックキューブをカチャ……カチャ……と回していた。およそ揃える気も感じられず、眺めて暇をつぶしているだけのようにも見える。レミアにはちっとも目もくれなかった。
ただ、今のレミアにはネネのその無関心が大変ありがたい。
お互い特にそれ以上言葉を交わすこともなく、レミアは最上階の自室へと向かった。