5.連絡
「……あった」
きっとこの世界が終わるとき、最期に会いたい人。
友人の言葉で思い出した彼の顔を思い浮かべながらしまっていた電話番号を引き出しの奥から探し出した。
この急な焦りはなんだろう。縋るような思いになっていることに今さら気付き、一瞬とまどいそうになる。
数年前から画面ロックをしなくなったスマホで電話をかけた。
「……おねがい」
自分のことなど、毎日起こる事件の中に埋もれてしまっているかもしれない。
呼び出し音が鳴るまでその可能性を考えられなかったのは、名刺が見つかった嬉しさでつい勢いのまま番号を押してしまったからだ。
繋がってほしい。でも同じくらい繋がってほしくない。背面した思いを抱えてコール音に神経を尖らせた。
ショウの不調のきっかけは先月、初旬のことだった。
仲良くしていたお隣のお姉さんが死んだ。自殺だった。親元を離れて一人で越してきたショウを気にかけてくれ、よくご飯に呼んでくれた優しい人。
最後に会った時は恋人と近々結婚するのだと気恥しそうに微笑んでいた。ショートカットがよく似合う彼女は幸せそうだった。
それなのに。命を絶ってしまった原因は恋人の浮気。酷い振られ方をして、誰も知らぬ間にこのマンションの屋上から飛び降りたのだそうだ。
運ばれていくお姉さんの抜け殻。ガラス玉みたいな目。赤黒い模様のついた服と地面が忘れられなくて、ずっと頭から離れなかった。
原因を知らない下の階の住人が勝手な噂を広めて、それを否定して追及できない自分も、お姉さんをかばえない自分がつらかった。
今だってそうだ。こうして連絡するきっかけにしていることも、彼女の死のせいにしていいのか。理由にするのと同時に吐き気や涙に襲われてしまう。
あの時と同じだった。誰かに、ただ誰かにこの感情をぶつけたい。聞いて欲しい。理解はされなくてもいいから。違う誰かに。
「あっ」
電話は二コール半で繋がった。
「もしもし……」としゃがれた男の声が応答し、沈んでいた意識がハッと現実に引き戻された。
明らかにライトの声ではない。番号を変えてしまったのかとショウは落胆した。
「おいおい、用があってかけてきたんじゃあねえのか?」
「え、その……」
しかし、まるっきり聞き覚えのない声でもない。誰だったろうかと記憶を探って思い至る。
あの夜、屋上まで来てくれた大柄な刑事ではないか? 確かライトにはボスと呼ばれていた人だ。
ショウは緊張でカラカラに乾いていた口を開く。
「わたし……あのっ、私、五年前に自殺を止めてもらった、ショウっていいます」
「ああ。あんときのショウちゃんか?」
「覚えていてくれたんですか?」
「忘れたくても忘れらんねーよ。お前のせいで俺あ結婚記念日返上んなって、カミさんと離れたんだからな。それで、どうした?」
緊張を解してくれようとしているのだろう。決してショウを攻める口調ではなかったが、返事に困って口篭ってしまった。
一組の夫婦が離婚する決定的な一撃を入れてしまった自分が慰めの言葉を吐いたところで嫌味に聞こえてしまうかもしれない。
「いえ……ただ、あの時のお礼が言いたくて。私、今日まで生きてこれたので」
この場だけの上っ面な感謝ではなくて、本心からだった。ライトが屋上に登って来るまで声をかけ続けてくれたのはこの人だった。
過去に意識が吸い寄せられそうになったが、あまり話を引き延ばしては迷惑になる。早速本題を切り出した。
「その、今ってあのときの刑事さん……ライトさんとはお話できませんか?」
しかし、ショウの期待は裏切られる。
「あいつは辞めたよ」
「えっ。そんな……」
ため息混じりに告げられたライトの不在に、ショウはスマホを持つ手に力が入った。
どうやらボスにとっても予想外の出来事だったらしく、その声からは疲れが感じられた。
心残りを無くすための行動が新たな心残りを生んでしまい、名刺が見つからなければよかった……と勝手に滲んできた涙に思った。
「まあ待て。殉職したとは言ってねえだろ。依頼するっつう形なら会えるだろうから……」
「依頼ですか?」
「ああ。あいつ、今は探偵だかなんだか気取ってうちでコンサルやってんだよ。連絡先いうからメモとってくれ」
電話が切られる前に制止したボスはデスクの引き出しを探り、一枚の新しい名刺を手にした。
「あ、ありがとうございます……」
読み上げられる情報を聞き漏らさないよう、ショウはメモ帳へペンを走らせながら涙を拭った。希望はまだ残っている。