第5話(終)
王都を震撼させた騒乱から一月後、エステラの工房には穏やかな時間が流れていた。窓から差し込む柔らかな光が、修理途中のスチームホースの胴体を包み込む。工具が整然と並ぶ中エステラはグレンと向かい合い、彼の義腕のメンテナンスを進めていた。
双眼の拡大鏡をつけたエステラは専用の工具を使い、義腕の内部を丁寧にチェックしていく。カチャ、カチャ……と時折聞こえる小さな金属音が二人の間の落ち着いた空気に浮かんでは消える。爪の先よりも小さな部品を扱いながらもその手つきに迷いはない。まるで魔法のように作業を進めて行くエステラの真剣な横顔を、グレンは眩しいものを見るかのように見つめていた。
「そういえば……スルー家の処分は今日決まるんですよね」
ふと、思い出したようにエステラは呟いた。
あれから一月――スルー伯爵家はオートマタ大量暴走事件の責任を問われていた。エステラもルベルシュ子爵家の一員として原因究明の調査に加わり、回収されたオートマタを分析していた。
「調査報告にも書きましたが、今回のオートマタの暴走は自己修正機能の不具合ではないかと。自律的に動作を修正するはずの機能が、何らかの理由で不具合を起こしたか、誤った修正を繰り返したか……個人的には後者じゃないかと思います。スルー家の技術者たちも想定できない出来事だったのではないでしょうか」
「ああ、君の報告は俺も読ませてもらった。君の指摘は今回の件だけではなく、これからのオートマタ技術の安全性そのものに関わる重要な懸念だと受け止めている。技術者としての冷静な視点で、皆も君の意見に納得していた」
グレンはブリジッタが用意したティーカップの縁を、右手でなぞりながら「だが……」と続けた。
「スルー伯爵をはじめ、事業に関係していた者たちの罪は問われねばならない。それに不正も絡んでいることもあって、処分は厳しい結果になると思う」
その口ぶりは淡々としていたものの、「不正」の一言で済ませるにはあまりにも大きすぎる事件だった。
スルー伯爵家は自らの開発したオートマタの大量受注と引き換えに、担当大臣に多額の裏金を渡していたことが明らかになった。さらに国王がこの不正を知っていたかどうかも問題となり、王国の根幹を揺るがす事態へと発展していた。
グレンの言葉にエステラは手を止め、拡大鏡を外しながらゆっくりと顔を上げた。
(最も軽い処分だとしても爵位返上……けれどそれだけでは済まないはず。メディアナ様も、これからどうなってしまうのかしら)
かつて彼女がエステラに向けた皮肉や嫌味、グレンとの仲を裂こうとするような発言には苦しめられた。しかしメディアナに待っていたのは、その報いとしてはあまりにも過酷な結果だった。
エステラの脳裏に、夜会で堂々とドレスを翻していたメディアナの姿がよぎる。メディアナは事件後すぐに身柄を拘束され、今は王城の地下牢で審問を待っている状況だ。「私は知らない」「どうして私が」と繰り返していたそうだが、メディアナが鼻高々にオートマタの話をしていたことは周知の事実。無関係を通せることはなく、スルー伯爵家の一員としての責任は免れないだろう。
(また、会えるかしら……)
その時、ふと顔を上げるとグレンと視線がぶつかった。
青い瞳はエステラの複雑な胸中を案じるように細められた。
「エステラ」
グレンはまるでエステラの心中を慮るようにそっと手に触れる。じんわりと伝わる温もりに微笑みを返すと、グレンもまたホッとしたように表情を緩めた。
「……そういえば、ルベルシュ卿は王家からのオートマタ技術顧問の打診を受けたんだな」
「はい。『余計な仕事が増えた』と、ぶつくさ言っていましたが、内心張り切っているみたいです」
エステラは満更でもなさそうな父の姿を思い出しながら、苦笑いを浮かべた。
王城では処分されたスルー式オートマタの代わりに、それまで使用されていたルベルシュ式オートマタが再採用されることとなった。幸いにもほとんどの機体がわずかなメンテナンスでこれまで通りに使用できることがわかり、改めてルベルシュ子爵家の技術の高さが再認識された。
ただし――
「でも、今まで通りにとはいかないはずです。技術は進化しますし、私たちもいつまでも昔のやり方に固執していては、成長が見込めませんから」
技術が進歩し、いまやルベルシュ子爵家のやり方が時代遅れであることは事実だ。今回の事件を通し、ルベルシュの技術は最新技術に引けをとらないと安心したものの、最新技術に学ぶことが多い事を忘れてはならない。そして自分が目指す方向も――
「私、思うんです。人間が関わらない完璧さよりも、人間の意図と機械が調和して、お互いに安全に生活できることが一番なんじゃないかって。私もそんな技術者を目指していきたい……って、ごめんなさい。少し話過ぎちゃいましたね」
慌てて口元を覆ったエステラだったが、グレンは愛おしそうに目を細めた。
「いや、もっと聞かせてほしい。俺は君のそんなところに惹かれたんだ」
「えっ」
エステラは思わずグレンを見つめた。自分を見つめ返すグレンの視線に、顔に熱が集まっていく。どう返せばいいか迷っていると、グレンがぽつりと呟いた。
「けれど忙しくなるな……今までのように君にメンテナンスを頼むことが難しいとなると、少し困ってしまう。俺は君以外に触れられたくないから」
お互いに素直に向き合うようになってからというもの、グレンはいつもエステラの頬を熱くさせる。
一人の技術者として――
グレンを愛する一人の女性として――
そしてただ一人の自分として……ようやくエステラは前を向けるような気がしていた。
「いいえ、グレン様のメンテナンスは私にさせてください。あなたのこの腕も、あなたも……一番近くにいるのは私でありたいんです」
そう言ってエステラはグレンの左手に触れ、黒い線をそっとなぞった。機械油のにおいが立ち込める工房で、爪先には落としきれない油が黒く染み込んでいる。作業着は煤と油で黒く汚れ、淑女とは程遠い姿だ。
しかしグレンを見れば、微笑む彼の青い瞳に幸せそうに笑顔を浮かべる自分の顔が映っていた。
(了)
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