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第1話

久しぶりの投稿になりました。全5話の短めのお話です。どうぞよろしくお願いします。

 中央要塞都市カロン王都の空は今日も煤と蒸気に覆われている。

 街のシンボルともいえる巨大な三本の煙突からは絶え間なく白い煙が立ち上り、機械馬の引く馬車のギアの軋む金属音が街中に響き渡る。

 ガス灯がぽつぽつと薄煙の街並みを照らし始める頃、カロン王城では豪華絢爛な舞踏会が催されていた。


 煌めくシャンデリアの下、真鍮とガラス細工で飾られた大広間には、最新のオートマタ(自動人形)の管弦楽団の奏でる音楽が響き渡る。貴族たちは華やかなドレスや仕立ての良い燕尾服に身を包み、笑い声を上げながら優雅に舞い踊っていた。

 

 そんな中、ルベルシュ子爵令嬢エステラは古いが手入れの行き届いたドレスを身に着け、壁際で踊る人々をひとり眺めていた。

 本来ならば婚約者のグレン・アヴァンがエスコートしてくれるはずだった舞踏会だ。しかし彼に王立騎士団副長として対応しなければならない急務ができたと言われれば、受け入れざるを得ない。急遽、エステラは兄にエスコートしてもらうこととなったのだ。


(もう帰ってもいいんじゃないかしら。でもお兄さまは少しでも社交に慣れろというし……)

 

 同伴した兄は遠くで友人たちと歓談している。エステラは小さなため息と共に俯いた。

 ルベルシュ子爵家はかつてこの国でも指折りの技術者一族だったが、今やその栄光は過去のものとなっていた。自動化・大量生産がもてはやされる風潮の中、個々に対応する手作業にこだわる彼らの技術は、時代遅れと見なされつつあったのだ。

 そんな落ち目な子爵家が生き延びるために、と次期当主である兄が社交に力を入れたいのは理解できる。

 

(けど、私に社交なんて無理……。型落ちのオートマタみたいに場違いでしかないもの)

 

 視界に入る指先にはつい先ほどまで触れていた機械油の匂いが残り、爪の間には落としきれない油が黒く浸み込んでいる。

 エステラはルベルシュ子爵家の末娘として生まれ、蒸気機関の金属音を聞きながら育った。幼い頃から工具を握り、今ではある程度の機械であれば修理・調整できるほどの技術を身に着けていた。

 

 しかし緩いウエーブがかった栗毛の髪も、同じ色の瞳も田舎生まれの素朴さが抜けきらない。そして油で汚れた指先も、おしゃれよりも機械いじりが好きな性格も……社交界で淑女として生きるには相応しくないことは、誰よりもエステラが良く知っている。

 

 はぁ……と何度目かわからないため息をついたとき、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 顔を上げるとそこに立っていたのは、流行のドレスを完璧に着こなしたスルー伯爵令嬢メディアナだった。彼女のドレスにはクリスタルガラスが散りばめられ、シャンデリアの光を受けて発光しているように見える。そして、その瞳はエステラを上から見下ろすように冷たく光っていた。


「あら、どこの修理工が迷い込んでいるのかと思えば、エステラ様だったのね。今夜もお一人で寂しそうね」


 そう言ってメディアナは勝ち誇ったように微笑んだ。その背後では何台ものスルー式オートマタが忙しく給仕を行っている。

 エステラの視線に気づいたのか、メディアナはいっそう笑みを深めた。


「ああ、我が伯爵家で開発された新型のオートマタですわ。つい先日『保守点検の必要ないオートマタが欲しい』と王城から頼まれて、先日納品したばかりなのよ。そういえば、これまで使われていたのはルベルシュ式でしたかしら……一台一台作り上げるルベルシュ式では、今回のような大量納品は難しいですわよね」

「……っ!」

「ふふっ。あなた方もいつまでも過去の技術に縛られず、最新技術を取り入れたらよろしいのに。時代遅れなのはあなた方が良くわかっているはずよ」


 勝ち誇ったようなメディアナの言葉にエステラは何も言い返せず、悔しさに唇を噛みしめた。


(スルー伯爵家のような大量生産できるオートマタなら費用も抑えられる……。うちのような手作業の時間のかかるやり方は時代遅れかもしれない、でも私の技術を認めてくれる人がいるもの――)

 

 エステラは婚約者グレンの姿を思い返した。


 グレンはルベルシュ子爵領出身の騎士だ。剣術に秀で、冷静沈着。王立騎士団に入って一年、異例の早さで副長に任命される優秀さ。さらには透き通る銀色の髪に深い青い瞳、そして整った顔立ちで女性からの人気も高い、完璧な人間だった。

 しかし今から三年前、任務中に負った傷により彼の左腕は機械化された。普段は薄い皮手袋で隠されているが、肘から先は精密な金属製の義腕となっている。爪の先よりも小さな歯車が複雑に組み合わさることで、グレンの筋肉の微かな動きを伝えて、指先まで動かすことができる。生体と見紛うほどの精巧さで動くその腕は、他ならぬルベルシュ子爵家の技術の粋を集めた最高傑作だ。

 

 グレンとエステラの婚約は、彼の義腕が完成したタイミングで結ばれた。

 エステラの父である現ルベルシュ子爵が、技術提供の見返りとして末娘のエステラとの婚約を申し出たのだ。王立騎士団で将来を有望視されるグレンとの繋がりが、家の再興のきっかけになればと踏んだそうだ。グレンにとっても技術者のエステラが近くにいるのは安心だろう、と持ち掛けられたらしい。ルベルシュ子爵領に両親が暮らす平民出身のグレンが断れるわけもなく、二人の婚約はあっという間に結ばれることとなった。


 そんな事情にもかかわらず、婚約者としてグレンはいつも誠実だった。

 非番の日にはエステラとのお茶の時間を必ず作り、社交の場では人付き合いの苦手なエステラを気遣いながら隣を離れずにいてくれる。

 それに何よりグレンが義腕となった左腕を触らせるのは、エステラただひとり。

 工房に入り、ホッとしたように手袋を外すグレンの仕草がエステラは好きだった。たとえそれが婚約者という鎖に縛られた関係であっても、社交界で孤独を感じていたエステラにとって、一人の技術者として自分を認めてくれるグレンが何よりも心の支えとなっていたのだから……


 だからこそこの時、メディアナが思い出したようにつけ加えた言葉が胸に深く突き刺さったのだ。


「そういえば、グレン様も先日我が家の工房にお見えになりましたわよ」

「え?」


 エステラは一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。

 グレンがスルー伯爵家の工房に行った? 何のために?

 

「ど、どういうことでしょう……?」


 エステラがようやく絞り出した震え声に、メディアナは愉快そうに笑った。


「嫌だわ、メンテナンスに決まっているじゃない。グレン様はこれからは我がスルー家でメンテナンスを行うと仰っていたけれど……あら、まだお聞き及びではなくて?」

「そんな、嘘よ……」

「もしかしてあなたにはまだ秘密だったのかもしれないわ。ごめんなさい、聞かなかったことにしていただけないかしら」


 崩れ落ちそうになる膝を、エステラは必死にこらえていた。

 メンテナンスだなんて、嘘に決まっている。グレンはエステラにしか義腕を触らせないはずだ。

 しかし必死に否定しようとしていたエステラに、メディアナが続けた言葉は容赦なくそれが現実であると突きつけた。


「それにしてもあの手の甲の傷……あなたが付けたのでしょう? グレン様も気になっていたらしくて、今度消して差し上げるお約束をしたわ。まったく、あなたも技術者ならどうにかしようと思わなかったの?」

「――っ!」


 メディアナの指摘した手の甲の傷――それは初めてグレンの義腕の調整に当たったエステラが、緊張で工具を落としてしまった時にできた傷だ。場所が悪く、傷を消すには義腕そのものを取り換える必要がある。「動きに影響はなさそうだし、さほど気にならないからそのままで良い」というグレンの言葉に甘え、結局その傷は数年間そのままにされてきた。

 そして、エステラにとっては二人だけの秘密のはずだった。


(あの傷、グレン様は消したかったのね。私が勝手に二人の絆のように思っていただけ……)


 突きつけられた真実に、何も言えず立ちすくむエステラを見たメディアナは、満足そうに笑みを浮かべた。


「そうそう、グレン様とあなたの婚約はルベルシュ子爵が強引に結んだものだそうね。グレン様もお可哀そうに、断り切れなかったのでしょう」


 そしてそっとエステラの耳元に唇を寄せ、毒薬を流し込むように囁いたのだった。


「グレン様に必要なのは我が家の技術よ。あなたじゃないわ」



 翌朝、王都の外れ、ルベルシュ子爵邸の庭に設けられたエステラ専用の工房には、朝早くから金属音が響いていた。


 煤まみれの作業着に身を包んだエステラは、自身の愛機である通称スチームホース、蒸気駆動式馬型ビークルの車体の下にもぐり込み、何かを忘れようとするかのように作業に没頭していた。


「エステラお嬢様、あまり根を詰めると身体に毒ですよ」


 エステラの侍女ブリジッタは、昨晩から工房にこもりっぱなしの主人を心配そうに見下ろした。しかしエステラは手元から視線を外さず、淡々と答える。

 

「それでも良いわ。機械を触りながら死ねるなら本望ですもの」

「またそんなことを仰って……」

 

 しかしブリジッタはそれ以上は何も言えなかった。

 昨夜、夜会から帰ってきたエステラの消沈ぶりは見ていられないほどだった。グレンがスルー伯爵家にメンテナンスを頼むことにしたとはにわかに信じ難い内容だ。しかし否定するだけの材料もないのは、ルベルシュ子爵家の現状を知るからこそ……。


 投げやりなエステラにどう次の声をかけるか迷いながら、ブリジッタはせわしなく動くエステラの手元を覗き込んだ。細い指先が精密な部品を寸分違わず配置していく。その様子はまるで魔法のようで、いつ見ても見事だった。この丁寧で緻密な作業こそルベルシュ家の技術の神髄。そしてエステラがこれまで磨き上げて来たかけがえのない財産なのだろうが……


「スルー伯爵令嬢の仰っていたことを、お気になさっているのですか?」


 ブリジッタはぽつりと尋ねた。

 そこでようやくエステラの手が止まる。


「……そういうわけじゃないわ。誰しも、優れた技術を選ぶのは当然よ」


 エステラは長いため息とともに、機体の下からゆっくりと顔を上げた。顔にかかる髪を避けた指先の油が、エステラの頬に黒い線を残した。


「機械に罪はないわ。悪いのは、グレン様の期待に応えられなかった私……」


 考えれば考えるほど、メディアナの指摘は正しいと思わざるを得なかった。

 親の決めた婚約者というだけで、グレンとの関係がずっと続くと思っていたのだ。グレンはただ縛られていただけだというのに。


「だから……悔しくて、悲しくて仕方がないの」


 エステラがグレンに抱く思いは、技術者として認められたいだけではなかった。いつしか、婚約者としても愛されたいと願っていたのだ。


(そんなの、願っても叶うはずないのに……)


 ふっと苦笑いを漏らし、そっと目の前の機体に触れる。ひんやりと冷たい金属は、悲しみに覆われた今の自分の心のようだった。


 その時だった、突然工房の扉が叩かれた。

 エステラは思わずブリジッタと顔を見合わせる。こんな朝早く、工房を訪ねて来る相手に心当たりはない。


「誰かしら」

「朝食の報せにしては早すぎますけれど……」


 そう呟きながら対応に向かったブリジッタだったが、すぐに「あ」と小さな声が聞こえて来た。


「ブリジッタ、どうしたの?」


 慌てて工具を手にしたまま向かうと、引きつった顔のブリジッタと目が合う。その背後に立っていたのは――


「グレン様……」 

「エステラ。朝早くにすまない」


 銀色の髪を揺らし、わずかに焦ったような表情のグレンが立っていた。

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