東マギーアの老婦人
その後も東マギーアの街を回るエヴリン。
東マギーアの様子を目に焼き付けていた。
すると、急に雲行きが怪しくなり、ポツポツと空から水滴を感じた。
(嘘……!? 雨……!?)
エヴリンは漆黒に染めた髪を守るようにフードを更に深く被る。
しかし雨はどんどん強まり、エヴリンが被っているフードは濡れて雨水が髪まで染み込んでくる。
エヴリンのフードは段々と黒く汚れてしまった。
漆黒の染料が落ちて来ており、エヴリンの蜂蜜色の髪が露わになり始めているのだ。
(どうしよう……!?)
このままではエヴリンが西マギーアの人間であることが知られてしまう。
東マギーアと西マギーアは敵対している。
西マギーアの人間がこの場にいることがバレたら危険な目に遭うことは間違いないだろう。
そう感じたエヴリンは急いで人気のない裏路地に入り、逃げ込むのであった。
(……この姿では、人通りの多い場所に出ることが出来ないわ……。これからどうしよう……? まだルビウス公爵家にいるであろうギルバート様にも連絡することは出来ないし……)
エヴリンは人通りのない裏路地でうずくまり、困り果てていた。
その時、人の足音が聞こえたので、エヴリンはハッとする。東マギーアの者達に姿を見られるわけにはいかないので、エヴリンはその場を急いで離れた。
しかし、ギルバートと合流出来ない中、エヴリンには行き場がない。
エヴリンは途方に暮れながら人目を避けて裏路地を歩いていた。
すると、エヴリンの体に軽い衝撃が走る。
髪色を見せないよう下を向いて歩いていたので、人とぶつかってしまったのだ。
(しまった! 前から人が来ているだなんて、気付かなかったわ!)
道は狭く一方通行である。後方からも人の気配があり、エヴリンは来た道を戻るわけにもいかない。この場をどう切り抜けようか、エヴリンは頭をフル回転させるが何も思い付かず途方に暮れるばかり。
「ごめんなさいね、大丈夫かしら?」
穏やかで上品な老婦人の声だ。
「あ、その……」
エヴリンは髪色がバレないよう、俯いたままフードを押さえる。
お願い、放っておいてとエヴリンは願う。
「貴女、ずぶ濡れよ。このままでは風邪を引いてしまうわ」
しかしエヴリンの祈りは虚しく、老婦人は心配そうにエヴリンを傘に入れて顔を除きこんだ。
「まあ……貴女の髪色……!」
老婦人はエヴリンの蜂蜜色の髪を見て驚いていた。
「あ……!」
西マギーアの人間だとバレてしまったのだ。
エヴリンの呼吸は浅くなる。
(逃げないと……!)
しかし後方からも人が近付いている。
絶体絶命のエヴリン。
「大丈夫。こっちよ」
「え……?」
「このままだと貴女、危険な目に遭うわ。私は安全な場所を知っているから、来てちょうだい」
エヴリンは老婦人に手を引かれ、どこに連れて行かれるのか不安なまま裏路地を歩くのであった。
᪥ ᪥ ᪥ ᪥ ᪥ ᪥ ᪥ ᪥
エヴリンが老婦人に連れて来られた場所は、東マギーアの王都郊外、小高い丘にある小さな屋敷だった。恐らく老婦人の家だと思われる。
「さあ、入って」
老婦人はニコリと穏やかな笑みを浮かべている。
老婦人の白髪が少し混じり始めた赤毛は間違いなく東マギーアの貴族の特徴。そしてシトリンのような黄色の目からは悪意を全く感じない。
老婦人はエヴリンの祖父と同じくらいの年代に見える。
「……お邪魔しますわ」
エヴリンは恐る恐る老婦人の屋敷に足を踏み入れた。
小さい屋敷だが、中の家具などはエヴリンの生家であるサフィーラ公爵家に負けない程に高級感があり精巧なものが多い。
やはりこの老婦人は貴族なのだろうとエヴリンは思った。
すると、エヴリンの足元にふわふわとした何かが触れる。
足元を見てみると、二匹の猫がいた。白猫と黒猫である。
猫型魔獣ではなく、普通の猫だ。
二匹共「みゃあ」と鳴き、エヴリンの足元に体を擦り付けている。
「まあ……」
エヴリンは少しだけ表情を綻ばせた。
ゆっくりと腰を下ろしてから二匹を撫でてみると、白猫も黒猫も気持ち良さそうに喉をゴロゴロと鳴らしている。
「あらあら、ニャターシャとレオニャルドはすっかり貴女に懐いたみたいね」
老婦人はエヴリンと二匹の猫の様子を見てふふふっと笑っていた。
「ニャターシャとレオニャルド?」
「その子達の名前よ。白猫がニャターシャ。黒猫はレオニャルドよ。ニャターシャは雌で、レオニャルドは雄なの」
「そうでしたか」
エヴリンは白猫ニャターシャと黒猫レオニャルドを交互に撫でる。
「さあ、体を拭いてちょうだい。そのままでは風邪を引いてしまうわ」
「……ありがとうございます」
エヴリンは恐る恐る老婦人からタオルを受け取った。
ふわふわと触り心地が良いタオルである。
エヴリンはフードを被ったまま体を拭く。
「そのフードも脱いで良いわ。ここは安全よ。貴女に攻撃をしたりする人はいないわ」
老婦人は優しく微笑んでいる。
西マギーアのエヴリンに対して敵意が全くなさそうである。
エヴリンはやや警戒しながらフードを脱いだ。
「やっぱり綺麗な蜂蜜色の髪ね。東にはない特徴だわ」
やはり老婦人は穏やかだった。
「……私のこと……敵視しないのですか? 私、西マギーアの人間ですよ……?」
「東マギーアの全員が全員西マギーアを敵視したり、憎んだりしているわけではないわよ。それに、ニャターシャとレオニャルドが懐くのだから、貴女はきっと悪人ではないわ」
戦々恐々という感じのエヴリンに対して、老婦人はふふふっと上品に笑っている。
(あら……? 何と言うか……このお方、誰かに似ているような気がするわ……)
老婦人の表情に、エヴリンはどこか既視感を覚えつつも、「そうですか……」と答えた。
老婦人が誰に似ているのか、すぐには思い出せなかった。
「さあ、そのフード付きの服を貸して。染料が落ちて真っ黒に汚れているわ。私、これでも洗濯は得意な方よ」
「……ありがとうございます」
サフィーラ公爵家の令嬢であるエヴリンは当然ながら洗濯をしたことがない。
ここは老婦人の言葉に甘え、汚れたフード付きの服を渡した。
「それから、濡れた服のままでは風邪を引いてしまうわ。ちょっと待っていてちょうだい」
老婦人はエヴリンからフード付きの服を受け取った後、そう言って少しだけその場を離れた。
数分もかからないうちに、老婦人は戻って来た。
「はい。これなら貴女のサイズにピッタリだと思うのだけど」
老婦人から渡されたのは、少し古いがかなり上質なドレスだった。
「良いのでしょうか……?」
まさか着替えのドレスを渡されるとは思っていなかったので、エヴリンは思わず目を見開いてしまう。
「ええ。このドレスも貴女に着てもらえたらきっと喜ぶわ。もう何年も日の目を浴びていなかったのだもの」
エヴリンとドレスを交互に見て、老婦人はクスクスと明るく楽しそうに笑っていた。
「では、お言葉に甘えて」
「着替えを手伝うわね」
「ありがとうございます」
どこか楽しそうな老婦人に対し、エヴリンの表情も柔らかくなっていた。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私はバーバラよ。貴女のお名前は?」
「エヴリンと申します」
「そう、エヴリンちゃん。素敵なお名前ね」
老婦人ことバーバラはエヴリンにそっと手を差し出す。
「ありがとうございます」
エヴリンはクスッと笑い、バーバラと握手を交わした。
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