8.貴方は誰
男の人がドアを閉めると、体が温かい空気に包まれました。
すると、男の人は上着を脱ぎ、私に被せてくれました。
「服もひどく濡れているしこれを被って、暖炉の前で温まっているといい」
そう言うと男の人はすたすたと調理場の方へ向かいました。
私も男の人の背を追い、部屋の端の暖炉に向かいます。
暖炉を目の端に見つけると居ても立ってもいられず、震える足で暖炉に駆け寄ります。
暖炉の真ん前のカーペットの上に座ると凍えそうだった体が温まっていくのを鈍く感じます。
先ほど被せて貰った上着を掴みぎゅっと体を包み込み、少しでも温かさを逃さないようにします。
体も温まりだんだんと冷静になって来るとまた不安な気持ちがぶり返してきました。
今は少し離れたところにある調理場で、なにかを見している男の人の背を何となく目で追いながら考えます。
まずまず急に家に入れてくださった理由が分かりませんし、きっと優しい方なのでしょうがいつまでも家に居させてくれるかどうかは分かりません。
だんだんと温まってくる体とは裏腹に心は、どんどんと不安で冷たくなっていくようです。
ふと、甘い香りが漂ってきました。
男の人が振り返って手に二つのマグカップを持ってこちらにやってきます。
「ココアを入れたんだけど飲むかい」
そう言って小さめのカップを私の前に差し出して下さいます。
「あ、ありがとうございます」
その気さくな態度に戸惑い自然と受け度ってしまいます。マグカップは冷たくなった手を程よく温めてくれます。
男の人は私の前にあぐらで座りました。
「ん~と、じゃあ乾杯!」
そう言って私の前にカップを軽く突き出したあと、ココアを飲み始めました。
私も慌てて従います。
少しまだ熱くて少ししか飲めませんでしたが、甘さが口一杯に広がり体に温かさが広がります。
「どう?美味しい?」
「はい、とても美味しいです。わざわざありがとうございます」
「ううん、僕が飲みたかっただけだから気にしないで」
男の人は笑顔でそう答えてくださいます。
「うーと、あぁ、名前がまだだったね。僕はフェナリスと言う。ぜひ、フェナンと呼んでくれ。よろしくね」
「えっと、フェナン様?」
「"様"なんてくすぐったい言葉つけなくていいよ。普通にフェナンと呼んでくれ」
「さっさすがに…。では、フェナンさんと」
「まぁ、それでもいいよ。君の名前は?」
「あ、えっと、私はルメリア・ラカルトと申します。よろしくお願い致します」
「ラカルト…?」
フェナンさんは小声で少し考え込むようにそう言いました。
ぼーとしていて、お辞儀をしてご挨拶しなかったからしょうか。
「あ、あの、その申し訳ございません。無作法で…」
「ん?あ、ううん、そういうわけじゃなくて。それよりルメリアならルリィって呼んでもいいかな?」
びっくりして固まってしまいました。
「だめだったかな?」
「いいえ、そんなことは。ただ、私のお母様は私のことをルリィと呼んでいたので」
「まぁ、ルメリアと言ったら愛称はルリィじゃないかい?」
「その、お母様の出身地の習慣でお母様だけがルリィと呼んでいたのです」
「なるほどね…。じぁ、僕もルリィと呼んでもいいかな?」
「はい、もちろんです」
お母様以外で「ルリィ」と呼ばれたのは始めてで少しくすぐったい気がします。
もしかして愛称を使っているということは、フェナンさんはお母様と出身地が同じなのでしょうか。
「それで、もしよかったらどうしてこんなところに来たのか教えてもらってもいいかな?」
フェナンさんはそう私の目をまっすぐに見てそう言いました。
いいのでしょうか?
きっとフェナン様はお母様の言う優しい大人の方だと思うのです。
ですが、またもし違ったらという不安が胸に湧いてきます。
そんな、私の胸の内を悟ったのかフェナン様は私に声を掛けました。
「たぶんだけど大丈夫だと思うよ。ルリィのお母様の名前って"ファリナ"じゃないかい?」
今度こそ本当に驚きました。
何で、知っているのでしょう…、会ったことがあったでしょうか。
「は、はい。私のお母様はファリナと言います。でも、何で…」
「貴方は顔も、髪の色も、瞳の色も雰囲気もファリナさんによく似ている。顔を見た瞬間に分かったよ」
屋敷の人たちにもお母様と似ていると時々言われることはありましたが、それ程までに似ているとは思いませんでした。
「ファリナさんと僕は旧知の仲でね、幼い頃からよく助けていただいたなぁ…。だから今度は僕がルリィを助けるよ。きっとそれがせめてもの恩返しになると思うから」
フェナンさんは思い出すように目を細めた後、私に向き直り安心させるように微笑みました。
それと同時に自分の体から力が抜けていきました。
自分が緊張していたことに今、始めて気付いたのです。
「それで何が起こったの?ゆっくりでも良いから聞かせてくれるかい?」
フェナンさんはまたそう、私に優しく問いかけます。
次は、私の口からもするりと言葉が出てきました。
「急に、誰かが屋敷を壊し始めたんです。その音が聞こえたらお母様が逃げるよっておっしゃって隠し部屋に行って。そしたら、お母様は私達を飛ばすっておっしゃって魔法を使って、気付いたら森の中で、走ったらここに着いたんです」
思い出せる限りを喋ってフェナンさんの方をみると、眉間にシワを寄せ、口を歪めた、そんな苦い表情をしていらっしゃいました。
「フェナンさん?」
どうしたのかと思って問いかけました。
「聞かせてくれてありがとう、大変だったね」
フェナンさんはハッとしたあと、絞り出すようにそう答えました。
ですがすぐ、また黙りこくってしまいました。
そんな沈黙のなか自分の記憶を探っていると、首にあたるひんやりとしたネックレスを思い出しました。
「フェナンさん、あの、お母様からお金にしなさいとネックレスを貰ったんです。今、渡しますね」
そう言ってネックレスを掴み頭から抜き取ります。
お母様のネックレスは長くて思っていたよりもスルリと頭を抜けました。
体温で少し温かくなったそれを手に載せ差し出します。
「いいや、受け取れないよ」
しかし、フェナンさんは頭を振りかぶりそういいます。そして、私の手の上にあるネックレスを見て、目を細めました。
「これは昔からファリナさんが付けていたネックレスだよ。きっと大切なものだから大事にしてあげな。それにそれは、ファリナさんが最後にくれたものなんだろ?それはルリィにとっても大切な物のはずだ」
そう言い聞かせるように言い、私の手からネックレスを取り、私の首に掛けてくださいました。
「ですが、何もせず居させていただくというのは…」
カランは時々優しさには必ずお返しをしなさいと言っていました。ですから、なにか御礼をしたほうが良いと思うのです。
ですが、フェナンさんは頭を横に振りました。
「子どもがそんなこと考えなくていいよ。でもそうだね。それなら、ここに居てくれないかい?一人だと寂しかったし、ルリィが居てくれたら嬉しいな」
「良いのですか?」
「あぁ」
フェナンさんがそうおっしゃるのならいいのでしょうか?
それに、これ以上何か言って家の中に居られなくなるのは怖いです。
私がそんなふうに悶々と考えていると、フェナンさんは明るい声音で私に言います。
「これからよろしくね。ルリィ」
「はい」
私もそんな勢いに押されそう答えました。