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夜釣り 四

「うおぉ! 大物きた――!」


 叫んだ元気がいきおいよく竿をふりあげる。

 ぴぃんと伸びたラインの先に姿を現したのは、元気のハリにかかった別の仕掛け。ぽたりぽたりと雫を落とす仕掛けが続く先にあったのは、元気の左隣。七海の竿だった。


「あちゃー、七海釣っちゃったよ。大物? 小物?」

「大物に決まってるだろ」


 釣り上げられた自身の仕掛けを見つめながら、七海は静かにリールを巻く。


「オマツリってやつだな。まあ、よくあることらしい」


 手元に来たところでリールを巻く手を止めた七海は、絡まりあったハリを外していく。ついで、とばかりに二人分のハリにアオムシをつけて、七海は立ち上がった。


「オマツリする原因は、緒方井が近すぎること。俺、移動するわ」


 餌のアオムシを半分ほどつかんでビニール袋に移すと、七海は竿を立てて持つ。竿を持つのと反対の手でハリをつまんだ七海が背を向けたのに、元気は「え。行っちゃうの?」と瞬いた。


「なんだよ。ひとりは寂しいって?」


 肩越しに振り向いて茶化そうとする七海だが、元気は茶化されない。


「俺、まだ七海の話を聞いてない。塾のこと、なんか話したかったから誘ったんでしょ。それとも、俺がエサもつけられないから嫌になっちゃった……?」


 眉を下げる元気に、七海はちいさく笑う。


 はじめに噛まれたせいで、元気はアオムシ相手に完全にビビっていた。

 また噛まれるかも、と警戒して触れない元気に代わり、エサをつけるのは正直に言って面倒臭くはあったが、嫌ではなかった。


 のんびりしているくせに、察しが悪いわけではないところが憎めないのだ。


「別に、話すほどのことじゃなかったみたいだ。釣りも案外、悪くないな」


 言って、七海はまた歩き出す。


 実際、夜中に家の外で遊ぶという解放感は七海の心を軽くしてくれていた。

 誘いに乗ってついてきて、話まで聞く気でいてくれた元気の存在は、正直に言ってありがたかった。けれど、それを伝えるには気恥しさが勝って、七海は肩をすくめるのみ。


「そう? なら良かった!」


 素直になれない七海の様子に、元気はあっさり頷いて返す。

 その素直さがうらやましいような、馬鹿らしいような、どこか照れ臭い心地で七海は前を向いたまま誤魔化すように口を開く。


「明かりは持ってくから、お前はそこから動くなよ。声は聞こえる範囲にいるから、用事があったら呼べばいい。エサがつけられないよぉ、とかな」

「うん。便りにしてるよ、相棒!」


 からかったつもりがにっこり笑顔で返されて、七海は振り向けなくなった。

 照れ臭さとなんとなく悔しい気持ちを持て余し、岩場を進んで行く。


 沖に近づくごとに磯の岩は大きくなり、足元を覆っていた石ころたちは姿を消した。

 積み重なり身を寄せ合う大岩の足場は不安定で、ひとつひとつペンライトで確かめながら移動する。


 七海の竿は元気のものとは違ってリールに巻かれたラインのぶんだけ長く伸ばせるけれど、初心者が投げたところでそう遠くへは跳ばないだろう。

 投げたあとに波に流されるだろう距離を考えても、そこまで遠く離れる必要はないはずだ、と七海は進んで行った。


「このあたりでいいか」


 七海が足を止めたのは、大きな岩をいくつか越えたあたり。

 前方に見えるひときわ大きな岩の向こうに、誰かの竿の先が見えていた。

 元気と距離を取るために、別の釣り客と鉢合わせては元も子もない。

 

 振り返った七海は、闇のなかにうすぼんやりと浮かぶ元気の姿を見てとった。

 小刻みに身体を動かしているから辛うじて人間だとわかる程度には、離れている。けれど二人の間に障害物はなく、声をあげれば十分に届くと思えた。


 波はおだやかで、風も覚悟していたよりも冷たくない。

 元気の祖父が用意してくれたジャケットのおかげだろうか、と思いを巡らせながら、七海は竿を揺らして仕掛けを海へと投げ入れた。


 一方、元気は置いて行かれたことにしょんぼり、してはいなかった。


「おーっし、今のうちに大物釣るぞ! それで、七海をびっくりさせてやるんだ」


 大物どころかエサさえつけられないのに、やる気に燃えていた。気合十分、元気が「おりゃあ!」と掛け声とともに竿を振りかぶる。


 びゅっ、どぼんっ。


 オモリの重さと勢いよく振りかぶる動作に振り回され、さほど長くないラインが宙を舞う。その勢いに引かれて竿が大きくしなり、仕掛けは元気のすぐ足元の波に飛び込み、飛沫をあげた。


 素人目にもわかる、あきらかな失敗であった。


 七海や、元気の祖父が見ていたなら「竿が傷む」と咎めただろう。

 元気自身、投げた直後に腕を襲った衝撃に「あ、やばい」と感じていた。そう思った瞬間に竿をきつく握っていなかったなら、今ごろ竿は波間に沈んでいたことだろう。


「やばいやばい。壊れた? 壊した?」


 慌てて竿を立て、仕掛けを確かめる。

 とはいえ暗くてよく見えはしないから、竿の先から指を這わせていった。


 リリアンの結びこぶの先にライン。ラインの途中に丸いウキと、オモリの役目をする金属板。塗れた金属の冷たさをさらにたどれば、丸カンの輪から一段細くなったハリスが指を濡らし、むき出しのハリが指先をかすめる。


「全部ついてる」


 ほっと息をつく元気だったが、ハリがむき出しだった。

 それすなわち、そこに刺さっているはずのアオムシがいないということである。


 振りかぶった衝撃で飛んで行ってしまったのだろう。仕掛けが飛ばなくて良かったと喜ぶべきか、どうせならアオムシも残っていてほしかったと恨むべきか、悩ましい。


「俺、魚のエサやりにきてるんじゃないんだけどなあ」


 今のところ、元気の竿に魚がかかった様子はなかった。

 それは七海も同じだったが、むやみやたらと竿をふりまわして失敗している元気と、動画でも見てイメージトレーニングをしてきたらしい七海とでは所作が違う。


 かくなる上は、せめてエサを自分でつけられるようにならねば、と元気はジャケットの胸ポケットからアオムシの入ったパックを取りだした。

 祖父曰く「エギも入れられるんだぞ」というジャケットは、水に浮くだけでなく物入としての機能も充実している。七海に止められなければ、元気はジャケットのポケットというポケットすべてに詰められるだけ釣り道具を詰めていたことだろう。


「エギが何かは知らないけどさ。海老の仲間かなあ」


 つぶやきながらパックをあけた元気は、しかし指を差し出した姿勢で動きを止めた。


 パックの土の間で、にょろりもぞりと動いたアオムシが、タイミングよく牙を剥いていたのだ。

 うごめくアオムシをつまめば、噛まれてしまうに違いない。


 だったら噛まれないように首のあたりを持てば良いんだ、と冷や汗をかきつつ元気は凝視するけれど、ミミズめいたクリーチャーは頭と尻の見分けがつかない。


 だらりだらりと滴る汗を背中に感じながら意を決して、一匹のアオムシの胴の真ん中をつんと指で突いてみた。けれど、牙を見せることなくもにょりと身をよじり、土の上を這うばかり。


 それでいて、つまめばきっと牙を剥くのだろうと元気は確信していた。

 つまり、ビビっていたのだ。


「な、七海ぃ……」


 顔をあげた元気は、頼れる親友の姿を探す。

 七海が移動する姿をしっかりと見送ったわけではなかったけれど、移動していく方向くらいは覚えていた。

 波打ち際に沿って沖の方向に向かった背中を思い出して、元気は沖に目を向ける。

 

 たぷん、とぷんと波が鳴る海辺に明かりは見えない。

 そんなに遠くへは離れない、何かあったら大声で呼べと言っていたけれど、さっきの今で「助けて、七海ぃ!」と叫ぶのは、元気としても恥ずかしい。

 それも手元が見えないという理由ではなく、アオムシに触れないからなどと泣きつくのは、さすがに憚られた。


 かといって、元気が自分でアオムシをつまめるわけでもない。


「こうなったら……」


 意を決した元気は立ち上がり、歩き出す。

 かくなるうえは七海の元へ向かい、しおらしくお願いするしかないと腹をくくったのだ。

 

「七海さん、どこですか~。七海さん、俺はここだよ~」


 七海を探すにはペンライトの明かりを見つければいい。

 小さな明かりを探して、元気はあたりをぐるりと見回した。


 闇がさっきよりもぐっと濃さを増したように感じるのは、ペンライトの明かりが案外、明るかったためか。それとも一人きりの心細さがそう思わせるのか。


 暗さが気になれば、次は波の音も気になってくる。


 こんなにも近くで鳴っていただろうか。さっきまではもう少し静かではなかったろうか。

 元気の不安にちりりと火がついて、腹のなかでじわじわと燃え広がっていく。


「うえぇ、明かりがほしいよう……」


 気持ちを紛らわせるために独り言ちるけれど、視界が明るくなるわけもない。

 あまりにも濃くなりすぎた闇に、岩も波も輪郭を溶かされてしまったようだった。


 祖父が用意してくれた懐中電灯、電池を探すのが面倒だからと置いてくるのではなかった。そんんな後悔を元気が抱いたとき。


 ポゥ、と暗闇に浮かぶちいさな光が見えた。


 淡く、かすかな青白い光だ。

 けれど元気には、救いの光に見えた。


「あ! そっちにいたのか、七海」


 うれしくなった元気は明かりに向かって大股で踏み出す。

 ぴちゃん、と足元で水音が鳴るけれど、元気は潮だまりでも踏んだのかな、と気にしない。


 靴がじわりと濡れたのを感じたけれど、それよりも揺れる光のほうに気持ちが持って行かれていた。


 ――行かなきゃ。


 強い使命感に従って歩を進めれば、靴のなかにじわりと水が入り込んでくる。

 春先の夜、日本海の水はまだ冷たい。

 けれど元気の思考は不思議にぼんやりとして、冷たさを感じたことへの警戒よりも、波に拒まれているような寂しさが募る。


 ――どうして……俺は行っちゃだめなの? そっちに行きたいのに。


 その想いがどこから湧くのかすら気にもとめないまま、にじんだ悲しみに元気が足を止めそうになったとき、風が吹いた。


 どうっと陸から海に向かう風が、立ち止まりかけた元気の背中を押す。

 それはまるで元気を誘っているようで、元気は逆らわずもう一歩、光に向かって足を踏み出した。どうして足を止めかけたのかなんて忘れた元気は、もはや水の温度も意識の外。


 ゆるく押し寄せてはぐうっと力強く引く波を太ももでかき分ける。


 ぱちゃん。

 光のほうで波が跳ねた。


 ぱちゃん、ぱちゃん。

 姿は見えないけれど、誰かが波を叩いているような音。

 

 ――ああ、手招きしてるんだ。


 そう思ったのはなぜだったのか。


 ぱちゃん、ぱちゃんと呼ぶ音に吸い寄せられる元気をふと波がさらう。

 静かな、そして強く速い波が元気の身体を沖へと誘う。


 もはや足はつかない。足下には暗い暗い水底が広がっていて、そこで明滅する光が待っているのだと、元気は波をかく。


 ――あの光のそばに行きたい。


 その一心で腕を振り、波に爪をたててもぐろうとする。なのに。

 意思に反して元気は波に浮いてしまう。

 祖父の持たせたジャケットが、水中へと向かいたがる元気の身体を引き留めていた。


 ――なんで、なんで行けない。行きたいのに、行かなきゃいけないのに。待ってるのに!


 なぜ。どうして。誰が待っているというのか。


 もはやそんな思考を巡らせる余裕すらなくなった元気は、それでも水底へ向かわねばとがむしゃらに腕を振った。

 そして、ジャケットのジッパーに指先がかすめる。


 ジッパーが引き下げられ、ジャケットのすき間から元気の身体がずるりとこぼれた。

 腹まで浸かっていた波が、元気の首までとぷりと呑み込む。

 やわらかく迎え入れてくれる海に頭まで沈もうと、もがいたそのとき。


「……まんだなんまんだ」


 低い声が波を這う。

 声は流れこもうとしていた海水をかきわけて、元気の耳にも滑り込んできた。


「あ……」


 はた、と動きを止めた元気の耳元で波が砕け、脱げかけたジャケットをだぱりと打つ。


「なんまんだなんまんだなんまんだ」

 

 低い読経が響くたび、水底の光が弱まっていく。誘う力が弱っていく。向かわねばと焦る思いが打ち消されていく。


「元気!」


 ひときわ大きな声に意識をゆすぶられ、振り仰いだ元気は友の顔を見た。


「あ……七海……」

「馬鹿野郎! はやく上がって来い、それに掴まれ!」


 暗がりでもわかる、蒼白な顔で膝まで水に浸かった七海はどこで拾ってきたのか、長い流木を元気に差しだす。

 元気が必死でしがみついたのを見て、七海は全力で陸を目指した。

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