小説に書かれた内容は、作者の内面の表出か──
先入観をもって読もうとしている時点でおかしいと気づかないのかな。そんなふうに思う感想をもらうことって結構ある。
よく言われる「作者の知能以上のものを書くことはできない」といったこと。
まあ確かにそうだよね。
作者の知識が無ければ、それ以上のものなんて(単純に考えれば)書きようがない。
けどある程度なら、自分で調べて知識を付け足すことはできるでしょう。昔はそうしたことを図書館なんかで調べたりしたわけで。
いまならネットで調べれば(誤った情報も多いけど)それっぽい内容のものを書ける。
それに「取材」っていうのが昔からある。──とくにノンフィクション作品ではこれの有無でリアリティが大きく変わる。
……まあ結論は、確かに作者の知識が無いと書けないものもある、ということになるのかな。
さて、少し違った視点のことを。
何か勘違いしている人をたまに見かける。
それは物語に書かれたものが、作者の投影(妄想)であるかのように言い立てる人。
あるいは作者の考えをその登場人物にやらせている──など。
いや、もちろんそうした面もあるよね。
けどそれは「全部」がそうじゃないし、「絶対」でもない。
さっき言った「取材」で得た知識などもある。
それはつまり、キャラクターの人間性についてもそう。
キャラクターの性格などは、その作者自身のことだけじゃなく、作者の経験した他人(交遊関係)の姿から得たり。
たぶん一番多いのは、ほかの作品を読んだり見たりしたことから得た、情報としての「キャラクター」を参考にしているということだと思う。
(昨今あふれている極端化されたキャラクターはマンガとかの影響だろう)
なにより物語は「想像力」から生まれたお話だからね、フィクションだよ。──だからこそ作者の内面の一部だ、みたいに言うんだろうけどね。
なんか「こんなキャラクターを書いているから、この作者はこんなやつ!」みたいに決めつけている人がいて呆れた。
自分で物語を書いたことがないか、想像力がなさすぎる人の発言だ。
もしこのような発言が正しいのなら、いろいろな性格のキャラクターを書いている作者は、極端に言えば「多重人格者」ってこと?
ミステリー作家は総じて人殺しばかりなの?
『殺戮にいたる病』を書いた我孫子武丸さんは猟奇殺人犯だとでも? ──そんなわけがない。
創作の内容によっては、キャラクターの性格は現実的な範囲のものになるのに、マンガやラノベばかり読んでいる人からは、そうした作風(リアリティを求める作品)への理解が得られないこともある。
読み手の知識や読書歴によっても、作品から得られるイメージは変わるんだと、肝に銘じてほしい。
❇ 我孫子武丸。ミステリー作家。ゲームソフト「かまいたちの夜」のシナリオを書いたことでも知られる。
『殺戮にいたる病』はかなりハードな内容なので注意。もっとソフトな内容の本も(『人形はこたつで推理する』とか)あるので、そちらを勧めます。