人違い
人違いだった。
しかも、「一文字違い」だった。
真っ暗な家の一室。フランス人形の様な格好をした少女が一人佇んでいた。
暗い理由は夜中なのに電気をつけていないからなのだが、少女には暗いままにしておかないといけない理由があった。
暗闇の中で少女はなにやらゴソゴソやりだした。どうやら衣服の――少女の衣服はゴシック風のドレスだった――ポケットから何かを引っ張り出そうとしているらしく、手元が見えにくいので苦戦しているようであった。
やがて彼女は一枚のメモを取り出した。何の変哲もない紙に書かれたそれはビニールに包まれており、表面が何かの液体で汚れていた。少女はその液体を舌うちしながら指でぬぐうと、これまたポケットから取り出したペンライトで照らしだした。
液体の正体は血液だった。メモには『皷野』と書いてある。
――やはり違う。
この現場に入る前に、表札をスマホでとったのと違うと少女は思った。下の野の字は同じだが上が違う。
どうして気づかなかったと少女は考え、同時に思った。しょうがないじゃないと。だって漢字なんて、アメリカ人の自分にとってはペルシャ銃他の模様にしか見えないのだから。
ところでなぜ、電気を付けられないのか。
その理由は――。
少女の周りに、大勢の人が倒れていた。彼らはこの家の住人で、体を切断された格好で絶命していた。そのため床は血液と、切断面から流れ出た内臓から排出された汚物で覆い尽くされていた。
確かにこれでは電気は付けられない。万が一、誰かにのぞき見でもされたら大変だからだ。
とにかく、間違ってたのだからここにいても仕方ない。少女はそう考え、取りあえずホテルに帰ることにした。ただ、その前に血液を大量に吸った服をどうにかしなければならない。少女は滑って転ばないように注意しながら浴室に向かった。そこで彼女はシャワーで流しながら服の裾を絞った。服に染みていた大量の血液が排水溝に流れていく。そうすると服の元の色が見えてきた。
少女が着ていた服は、もとは綺麗な青色のドレスだった。それがいまは黒やら赤やらでまだら模様になっている。浴室にあった鏡でそれを見た少女の顔がすさまじい形に歪んだ。こんなの、クリーニングに出しても元に戻らないではないか!
ドレスは少女のお気に入りだった。仕事の時は必ず着ていくそれ。彼女はそれを、あまり汚さないようにいつも気を付けていた。それなのに。
少女の目が、浴槽に向けられる。そこには、この家で彼女に一番抵抗した人間が、湯船に頭を付けた状態で死んでいた。足と腕が切断されている。少女はその死体にのろのろと近づき、意味不明の絶叫を放った。そして死体のでん部を狂ったように蹴り上げた。その事で死体が浴槽に転がり落ちるまで、少女は蹴り続けた。
やがて死体が浴槽に沈むと、少女は死体に唾を吐きかけてそこを離れた。ホテルに帰る前に電話しなきゃとぶつぶつ言いながら。
間違った、と電話の向こうの相手に告げた少女に返ってきたのは叱責だった。
「またですか。これで何度目ですか?」
申し訳ありませんと少女は詫びたものの、彼女にも言い分はあった。日本人は顔が平坦で、個体の区別がつきにくい上に似たような格好をしていること、その上住んでいる家までどれも同じに見えること。そして何より漢字が難しすぎること。
おまけにこの国は学校教育で教えているにもかかわらず、ほとんど英語が通じない。
「誰かほかの子させてよ。私もうこんな仕事やりたくない」
口をとがらせて言う少女の耳に、電話の向こうの相手がため息をつく音が聞こえてくる。ため息をつきたいのはこっちだと少女は心の中でひそかに毒づいた。
「とにかく、次は失敗しないように。いいですね?」
電話の向こうの人間はそう言って一方的に通話を切った。少女はその事に怒り狂ってまた電話をかけたが、電源を切られてしまったらしく通じなかった。
少女は腹立ちまぎれにスマホを床に叩きつけようとしたが、これがないといつも使っているタクシーを呼べない。少女は近くに転がっていた死体に当たり散らした。
ゼイゼイ息を弾ませながら少女は思い返していた。この仕事を命じられたのはひと月前のことだ。上司は簡単な仕事だと言っていた。上司曰く、日本人は殺すのが簡単な人種である。男がマシュマロの様に弱いだけでなく、自分より強い相手には靴をなめんばかりの勢いで媚び、弱い相手にはかさにかかっていじめにかかる。そんな人種だと。
ちなみに少女は最初、いろいろと面白がっていた。白人である自分におどおどした態度をとる彼らの姿に。ハエのように揉み手をしてくるこいつらに。ことに自分が正体を現した途端、慌てふためいて逃げ回る様子がおかしくておかしくてたまらなかった。まるで昔みたアニメに出てくるネズミのようではないか。
でもそれは本当に最初のうちだけで、いまや少女は正直うんざりしていた。まるでルーティンワークでもこなしているかのようだと彼女は思った。先ほども申し述べたがどいつもこいつも同じ顔、同じ格好、同じ家。そして反応までハンコを押したように同じなのである。こんな連中を始末するのをルーティンワークと呼ばずしてなんと言うのか。
だから間違ってたと分かったらさっさと終わらせたいのである。そのため、抵抗してくる相手に対しては、少女は簡単には殺さなかった。さっきの浴室の死体も、脅してそこまで追いつめ、顏を湯船の水に突っ込ませた上で両手両足を切断したのだ。
もがいている姿は少女にとって滑稽そのものだった。溜飲が下がるとはこのことだと少女は思った。さっさと済ませて帰りたいのに邪魔するからだ。
でもまだ足りない。ホテルに帰る前に、もっとストレスを発散させなければ。少女は耳を澄ませた。
何か重たいものが、床を這うような音が聞こえてくる。
少女は今いる場所――応接間の様な場所――から玄関に続く廊下を、そーっとした仕草でのぞいた。その口が、嬉しそうな形に歪む。
少女がのぞいた先にいたのは、まだ小さな子供だった。半ズボンをはいているところを見ると男の子と見られるその子は床を這いずっていた。両足を負傷している。その傷は深かったが致命傷ではなかった。その事を少女はよく知っていた。だってそうしたのは他ならぬ彼女なのだから。
死なない程度に傷つけておいたのだ。後々の楽しみのために。
男の子は必死で玄関に向かっていた。その後ろから少女がわざと聞こえるように足音を立てて近づく。子供が後ろを振り返る。声にならない悲鳴を上げた子供の股の辺りは、血とはまた別の液体でぐっしょりと濡れていた。
くーっっっっっヒッヒッヒッ、と少女は笑いながら、接近するスピードを上げ、血まみれのスカートの間から何かを取り出した。
それは斧だった。薄暗い家の中、刃が鋭い光を放つ。
「バァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァカ!」
嘲りの声とともに、少女は子供の頭に向かって斧を振り下ろした。子供は悲鳴を上げる暇も無く動きを止めた。子供の、頭をたたき割られたときのショックで飛び出した眼球を、青白い月の光が冷たく照らしていた。