9,皇帝の思惑
第一皇妃ヘレンはイライラしていた。
ディーンの殺害が成功した筈なのにその報告が一晩経ったいまでも上がってこない。
殺されたという事実はそうすぐに発覚されることではないだろうが、ディーンが朝になっても部屋から出てこず、ディーンの部屋がもぬけの殻になっていれば少なからず騒ぎになっているはずだった。
それなのに、いつもと変わらぬ静かな朝はどう考えてもディーンが城から消えていないと言うことを指し示しているようだった。
そんな中、突然皇帝から呼び出しがかかった。
執務室にいたのは皇帝、第一皇子クラウス、第二皇子ディーンだった。
ヘレンは目を見開きディーンの姿を捉えた。
(どういうことなの?ディーンは死んだんじゃなかったの)
従者の言葉を思い出しながら心の中は混乱が渦巻いていた。
「ヘレン、どうしたのだ?」
「いいえ、何でもございませんわ」
皇帝の言葉にハッとしたヘレンは何とか平静を取り繕った。
ディーンは鋭い視線を向けるヘレンに苦笑した。
「それで、私たちが呼ばれたのは何の為でしょうか?」
最初に口火を切ったのはヘレンだった。
「それは、来月のパーティーで皇太子を発表しようと思う。事前に其方たちに知らせておこうと思ってこうして呼び出したのだ」
「皇太子……」
皇帝の言葉にヘレンは言葉を詰まらせた。
「そっ、それで、皇太子はやはり第一皇子のクラウスで決まりなんですよね」
「いや、皇太子には第二皇子のディーンを指名するつもりだ」
「まっ、待って下さい。第一皇子のクラウスだ順当であるはず、なぜディーンなのですか?」
ヘレンは皇帝の言葉に納得出来なかった。
「私の決定に異を唱えるつもりか?」
「…………」
結局、ヘレンは皇帝の決定に逆らうことができなかった。
その間、2人の応酬を静観するクラウスとディーン。
クラウスはいつもの通りどんな事が有っても口を出さずスルーするだけであることはディーンの予想どうりだった。
一方、ディーンは自分が皇太子として選ばれることは以前からの皇帝の言動で大方予測はついていた。
今後、気を付けなければならないのはヘレンの出方だ。
ディーン殺害を失敗してしまったヘレンだったが、今後どんな強硬手段をとって来るのかは分からない。
とは言え、前回の殺害未遂も強硬手段には違いないのだが……。
まぁ、どんな手段をとるにせよ以前のディーンとは違うのだから殺すことは不可能だと言える。
ヘレンが向ける怨恨を含んだ鋭い視線に気がついていたディーンだったが敢えて無視することにした。
それよりもディーンは少し前から抗えないほどの飢餓感を感じていた。
意識が遠のくほどの目眩は普通に立っていることさえ難しかった。
やっとの事で自室に辿り着くとソファーに崩れるように座った。
その夜の事だった。
ディーンは食欲も無く部屋のソファーで苦しいほどの飢餓感に絶えていた際、侍女がお茶の準備をしてソファーの前のテーブルにカップを置いた。
その様子を虚ろな目でゆっくりと目にしていたディーンは侍女の手首を掴んだ。
それは、無意識だった。
ディーンの海のように蒼い瞳が緋色に変化した。
侍女の柔らかそうな白い首だけがやけに強調され瞳に飛び込んできた。
口から鋭いキバが突き出しゆっくりと侍女の首元に食い込んでいった。
気がつくと真っ青になって倒れている侍女を見下ろしていた。
「あぁ、俺は何てことを……」
ディーンは苦渋に呻き頭を抱えてソファーに座り込んでいた。
「ディーン、大丈夫よ」
優しく諭すその声の主はバルコニーの扉を上げながらディーンに近づいた。
妖艶に微笑えみソファーに蹲るディーンの前まで行くと膝をついて頬を撫でた。
「アメリア……」
泣きそうな顔で苦笑するディーンはどこか安心するようにアメリアの名を呼んだ。
「ごめんなさいね、私のせいで。でも、彼女は死んではいないわ。記憶を消して彼女を部屋に運びましょう。2,3日もすれば目が覚めるわ」
「アメリア、俺はこれから先もずっと……」
アメリアの言葉に一瞬は安心したディーンだったが、今後のことを憂いを訪ねようとして言い淀んだ。
「最初だけよ。慣れれば大丈夫。それに徐々に直接血を吸わなくても触れただけで生命エネルギーを取り込むことが出来る様になるわ。死なせない程度にね」
「そうか……」
アメリアの言葉に一抹の不安が消えたディーンはホッと嘆息するのだった。
それから、ディーンは侍女の記憶を消して彼女の部屋に運んだ。
落ち着くと、ディーンは今後の計画をアメリアに打ち明けた。
「アメリア一つ頼みがある。来月皇太子を発表するためのパーティーがあるんだ。そこでパートナーになってほしい。そして、その時全てを明らかにしたい。来てくれるか?」
「もちろんよ」
アメリアはディーンの誘いに破顔した。
ディーンが転生してから初めてアメリアはパートナーとしてパーティーに出席することになる。
堂々とディーンの横に立つことができるのだ。
例えこれが最後のパーティーになろうともアメリアにはこれほど嬉しいことはない。
「ああ、もちろんドレスは俺が贈るよ。」
「ありがとうディーン、もちろん色はディーンの色が良いわ」
アメリアはディーンの首に飛びつくように腕を回した。