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吸血鬼に口付けを  作者: 梅丸
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【番外編】吸血鬼と僕の初恋・後編

「赤ちゃん、赤ちゃんが……」

 顔を顰めながら僕の腕を強く握るシェリーの瞳から涙が零れていた。


「私の事より、お願い、赤ちゃんを助けて…………お願い……」

 その言葉を譫言のように吐き出すとシェリーの意識が途絶えた。


 遠くの方で誰かが衛兵を呼ぶ声が聞こえた。

 また、他の誰かが治癒師や貸馬車を呼んでいるようだった。

 でも、それは僕にとってまるで人ごとのようで、全く耳に入っていなかった。


 いつの間にか家に戻って、意識が戻らないシェリーを椅子に座って見下ろしていた。

 それはまるで夢の中のような出来事で全然現実感がなかった。


「ほら、しっかりせんか!」

 そう叱責したのはシェリーが視て貰っている産婆のメラニーさんだった。年配の彼女はあの事故の現場近くの産院で仕事をしている。騒ぎを聞いて直ぐに駆けつけてきたのだ。


 僕は、シェリーの手を握りながら目から溢れる涙を拭うこともなく呆然としていたようだ。


「残念ながら、母子とも助かる見込みは薄いかもしれん」

「そんな! 何とかならないんですか? せめてどちらかだけでも……」

 僕はメラニーさんの両腕を掴み懇願した。


「すまないなぁ。どちらにせよ今夜が峠じゃろう」

 そう言って、苦渋に満ちた顔を僕にむけた。良く見るとメラニーさんの双眸には涙が滲んでいた。


 僕はうなだれたままもう何も言うことはできなかった。


 (シェリーもお腹の子供も失ったら僕はどうやって生きていけばいいのだろう。僕はこのまま何もできずにシェリーを失ってしまうのか?)


 今朝まであんなに幸せいっぱいだったのに、今では一気に地獄に突き落とされてしまったようだった。


『もし貴方や貴方の大切な人に自分ではどうしようもないことが起こったらこの箱の中の物に貴方の血を少しだけ垂らしてね。』


 エバンの頭の中にアメリアの言葉が(こだま)した。

 もう既に思考し尽くした僕は夢遊病の様に立ち上がり、寝室の引き出しの中から以前アメリアさんから貰った四角い箱を取りだした。

 箱を開けると紙で出来た黒い蝶が現れた。ナイフで指先を切り、僕は血を一滴その蝶に垂らした。


 すると、蝶が舞い上がり黒い霧に変わると霧散した。



 それから、数分程経っただろうか?


「エバン、大丈夫? いえ、大丈夫ではないわね。」

 声のする方に顔を向けると、眉尻を下げ悲壮感を携えて立つアメリアさんの姿を目にした。


 何で咄嗟にアメリアさんの言葉が浮かんだのか分からない。でも、僕にはもうどうすることも出来なくて、誰でも良いから縋りたかったのかも知れない。


「シェリー…………」

 アメリアはシェリーが寝かされているベッドに近づいて行った。


「エバン、今からシェリーの時を戻すわ。事故に遭う前の状態に」

 僕はその言葉を聞いても何を言っているのか理解できなかった。


「私の言うことが理解できないのは分かるわ。貴方が放った蝶は私の所まで貴方の状況を運んでくれたの。そして、私は時の奏者。貴方の状況を遡って見る事ができる。シェリーの身体の時を戻すことが出来る。でも、シェリーはこの時点で命を落とす宿命。私は、その宿命を帰ることは出来ない。シェリーの身体の時を戻しても命を留めておけるのはせいぜい3日なの」


 アメリアさんは真剣な目で僕を見つめた。


 全部を理解できた訳ではない。でも、シェリーはもう助からないと言うことだけは理解できた。


「シェリーは……もう……助からないんだね」

 流れる涙を抑えることもなく途切れ途切れに何とか言葉を押し出した。


「そう……ね。血の契約をして生まれ変わらない限りは……」

 伏せ目勝ちに言葉を続けるアメリアさんは僕から目を逸らした。


「血の契約……それをすればシェリーは助かるの?」

 シェリーが助かるのなら何だって良い。僕は小さな希望に縋るようにアメリアさんを見つめた。


「血の契約とは人間ではいられなくなること。身体が作り替えられ吸血鬼(ヴァンパイア)になること。身体に負った傷は直ちに修復され歳を取らなくなる。異能は授かるけど魔力は消滅して魔法が使えなくなるの。私の血で作られたこのカプセルを飲んで血の眷属である吸血鬼(ヴァンパイア)になるのよ。だから万が一私がこの世から消えたときあなたも一緒に消えることになるの」


 僕はアメリアさんの言うことに息を呑んだ。そして、アメリアさんがいつまでも初めてであったときと変わらないことに納得していた。

 

「アメリアさん、それでも良い。シェリーを失いたくない。僕もシェリーと同じように血の契約をしてシェリーとずっと一緒に生きるから……」

 拳を握りしめたまま僕は少し震えた声で言った。


「只、シェリーのお腹の中の赤ちゃんはどうなるか分からないの、前例がないから……」

「どっちみちこのままじゃシェリーも子供も失うかも知れないなら、選択の余地はないよ」

 僕は苦渋に満ちた顔で言葉を続けるアメリアさんに僕は呟くように言葉を発した。


「シェリー、薬だよ、これを飲んで」

 そう言って、虚ろげなシェリーに血のカプセルを飲ませ、カプセルを飲んだ後は暫く意識を失うと言うことだったので僕もベッドの上でカプセルを飲んだ。


「大丈夫よ、貴方たちが起きるまでここで見守っているから」

 アメリアさんは優しく微笑んで僕を安心させてくれた。



 

 ーー僕は僕の背の倍ほどもある大きな門の前に立ち豪奢な邸を見上げていた。



『黒霧の蝶が貴方の目で視た情報を運んでくれたわ。私は時の奏者だから前後に目にしたものも見る事ができるの。貴方たちを轢いたあの黒い馬車の門、あれはクレドグラン侯爵家の馬車だったわね』

 僕が目覚めるとアメリアさんはそう教えてくれた。



 シェリーは目覚めると直ぐに産気づいた。すぐに産婆のメラニーさんを呼んで無事に出産することができた。子供は男の子だった。僕の錆色の髪も深緑の瞳もシェリーの麻色の髪も榛色の瞳も受け継いでいたなかった。


 黒髪に紅い瞳、それがシェリーが産んだ僕たちの子供だ。僕もシェリーも思い出す限り先祖にもそんな色の人物はいなかった。もしかしたら、血の契約を結んだ後に生まれてきたせいかもしれない。この子が今後どんな力を所持しているのかそのうち分かるだろう。恐ろしい力かも知れない。でも、2人の子供には変わりないので僕たちはこの子の誕生に心から喜んだ。

 

 リゲル。僕たちはそう名付けた。

「あぁ、リゲル。私達の可愛い子。貴方に会えて嬉しいわ」

 シェリーは愛おしそうにリゲルを抱き頬ずりした。



 僕たちは、それからアメリアさんのお城で落ち着くまで暮らすことになった。漆黒に輝く黒曜石(オブシディアン)の居城はこの世の物とは思えないほど美しく、僕たちは足を踏み入れるのに躊躇してしまった。


 お城に向かうまでは、アメリアさんが立派な馬車を用意してくれた。普通の馬よりも一回り大きい黒馬が轢く馬車は、全然揺れることもなく僕たちを連れて行ってくれた。


『この馬はね、お父様の眷属なの。ある貴族の馬で怪我をして殺されそうな所をお父様が引き取って眷属にしたのよ』

 アメリアさんの言葉の意味を僕は直ぐに理解した。だって、僕はアメリアさんの血の眷属になったのだから。


「シェリー、ごめん。直ぐ戻るから、だから待っていて」

 僕はシェリーにそう言い残し、お城を後にした。このお城にいる限りはシェリーや子供に危険はないだろう。



 目の前の門を飛び越え、邸内に侵入する。目指すは執務室。

 僕はアメリアさんに習って、2羽の小さな黒鳥を眷属にした。その黒鳥の視た物を見る事ができた。だから事前調査は完璧だった。


 僕はアメリアさんと血の契約を交わしたことによって、人外の力を手に入れた。だから、誰の目にも止まらぬ速さで動くことが出来る様になった。だから、邸内にいる使用人の目にも止まらず目的の部屋の前に到達した。


 ドアを開けると短い茶髪で口髭を生やした小太りの男が正面にある机で書類を捲っていた。多分、この男がクレドグラン侯爵なのだろう。


「お、お前は誰だ? 新しい使用人か? 急にドアを開けるとは何という無礼な!」

 ガタンと音を出すほ勢いよく立ち上がり、怒鳴った。


「僕を覚えてる?」

 僕は構わず男に質問した。


「何を言っている? 何故私がお前の様な者をいちいち記憶してねばならん。誰か? 誰かおらぬか?」

 クレドグラン侯爵は徐に声を上げて使用人達を呼んだ。


 その声を聞いて、執事を始め数人の使用人達が駆けつけてきた。

「旦那様、いかがなされました?」

 始めにそう言ったのは、白髪の交じった亜麻色の髪を後ろに撫でつけた壮年の男だった。服装からしてみるときっと執事なのだろう。


「こやつを外に放り出せ! 使用人の躾がなっておらぬぞ!」

 クレドグラン侯爵は執事らしい男に向かって荒い声を上げながら僕を指さした。


 僕の腕を掴もうと執事は近寄ったが、それを素早く躱した。


「あなた、何事ですか?」

 その声に振り返ると煌びやかなドレスを身に纏った僕より少し年上位の金髪の女性が立っていた。クレドグラン侯爵夫人だろうか? 高価な装飾品でこれでもかと言うくらい飾り立てた姿はあまり品が良いとは言えない。


「あぁ、丁度良かった」

 僕はそう言うと、素早くその夫人に近づき首に牙をたててその血を啜る。


 クレドグラン侯爵と使用人達はあまりの驚愕に微動だにしない。夫人は次第に力が抜けて床に崩れ去っていった。


「ごちそうさま」

 僕は口端から零れる血を拭いながら、口角を上げそう呟いた。


「バッ、バケモノ!」

 顔面蒼白で叫ぶクレドグラン侯爵は後ずさった。執事や使用人達も真っ青な顔で徐々に距離を取っていく。


「「「ひっぃぃ!!」」」

 僕が顔を向けると執事と使用人達が声にならない悲鳴を上げた。


 「ああ、心配しなくても大丈夫ですよ。貴方たちにはなにもしませんから」

 僕はニヤリと笑って彼らに安心するように声を掛けた。とは言え、こんな僕が何を言ったって安心するとは思えないけど。


「さて、お前! お前には罰を与えなければならないよね。僕の愛すると妻と子供を傷つけたのだから。普通だったら今頃2人とも命を落としていた筈だからね」

「なっ、何を言っている? 何の事だ?」

「あれ? もう忘れたのか? お前のあの黒い馬車が身重の妻を轢いたじゃないか!」

 最初は、直ぐに思い出せないようだったクレドグラン侯爵は僕の言葉にやっと思い当たったらしい。


「さて、じゃあもう良いよね」

 僕はそう言うとクレドグラン侯爵に向けて右手を翳した。すると、どこからともなく黒い霧が現れてクレドグラン侯爵を覆った。


 あまりの恐怖に執事や使用人達は部屋から逃げ出した。


「なっ、何だこの霧は!」

 クレドグラン侯爵は慌てて霧を払うように両手を振り回した。それでも、黒い霧は暫くクレドグラン侯爵に纏わり付いていた。


 黒い霧が消えたとき、クレドグラン侯爵は床にペタリと尻を着いたまま呆然としていた。


「何が起こったんだ? あの黒い霧は何だったんだ?」

 独り言のように疑問を呟いたクレドグラン侯爵の目は焦点が合ってなかった。


「僕はね。吸血鬼(ヴァンパイア)として生まれ変わって、素敵な力を手に入れたんだ。僕の異能は、万物の解除師。あらゆるものを取り除くことができる。本当は、毒を取り除いたりできる素晴らしい力なんだけど、もっと他のことも出来るんだ。だから、お前からは喜怒哀楽の喜と楽を取り除いた。僕は優しいでしょ? これだけで済ませてあげたんだから」

 そう言って僕はクレドグラン侯爵にクスリと微笑んで見せた。ポカンと呆けているクレドグラン侯爵は今一意味を掴めていないようだった。


「あれ? どういうことか分かってないみたいだね。つまり、お前はもう喜ぶことも楽しむことも出来なくなったと言うこと。食べる事が好きなら何を食べても美味しいとは感じないし、女が好きなら抱くことも出来ない。寝て疲れを癒そうと思っても寝る事も出来ない。死ぬまで」

「なっ、何を言ってる?……そんな馬鹿な、そんな事が有るわけがない……」

 クレドグラン侯爵は僕の言葉を頭の中で反芻して徐々にその意味が分かると目を見開き、驚愕した顔になった。


「うん、そうだといいね。でも、きっとその苦しみはこれから徐々に実感していくことになるよ。喜びも楽しみも楽することも出来ない人生をね」

 そう言い残すと僕は踵を返した。


 


 それから、僕たちは暫く黒曜石(オブシディアン)の居城でアメリアさん達のお世話になることにした。僕たちが人外となった事に不安があったことと、どう見ても僕たちの子リゲルは普通の子ではなかったからだ。成長が他の子に比べて著しく早い様に感じた。だから、暫く様子を見ることにした。今後どうするか考える時間も欲しかったしね。


 アメリアさんもアメリアさんの家族も優しく僕たちを迎えてくれた。


 そうそう、やっぱりこの前アメリアさんと一緒にいた銀髪の青年はこの国の第二皇子ディーン殿下だった。驚いたけど、もう皇子ではないから家族のように接して欲しいと言われた。僕みたいな平民育ちは皇族に関わることなんて絶対になかったから恐縮しっぱなしだった。


 でも、暫くすると普通に話せる様になった。ディーン様は結構気さくな方だったので話しやすかったこともある。まぁ、流石に呼び捨ては出来なかったから様はつけてるけど。


 落ち着いたら、また薬師として店をやりたいと思っている。とは言え、色々制約があるのは分かっている。僕たちはもう普通の人間ではないし、それこそ僕たち自身今後薬が必要なことはないだろう。でも、やっぱり普通の家族としてささやかに暮らしたいと思ってします。シェリーも僕と同じ考えだから何れこの城を出て3人で暮らすことになるだろう。


 願わくは、出来るだけ普通の人生を送れるように…………


 

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