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吸血鬼に口付けを  作者: 梅丸
11/13

【番外編】吸血鬼と僕の初恋・前編

番外編です。3部完結です。よろしくお願いします。

「エバン、どこに行くの?」

「チッ」

 僕はつい舌打ちをしてしまった。厄介な奴に見つかった。師匠の娘のシェリーだ。師匠と同じ榛色の瞳をキラキラさせ、亜麻色の左右の三つ編みをぴょんぴょん揺らしながら小走りに駆けてきた。


 僕の師匠セレン・ボルトはこの街では結構名の知れた薬師で街の外れで小さな店舗を営んでいる。僕は母さんが死んだ後、師匠に引き取られ薬師見習いとして働いている。


 兵士だった僕の父さんは5年前に魔物討伐で帰らぬ人になった。それから女手ひとつで僕を育ててくれた母さんは1年前僕が13歳になって直ぐに不治の病にかかって呆気なく死んでしまった。その時に世話になったのが師匠だ。


 師匠も師匠の奧さんも母さんが病気に倒れた頃からとても心配してくれた。父さんが死んで国から恩給手当は貰っていたから生活出来ない訳じゃなかったけど、平民が貰えるお金なんてたかが知れている。


 高名な治癒師に見て貰えるわけがなく、薬に頼るしかなかった。師匠夫妻はそんな僕らに親身になってくれた。母さんが亡くなって僕の将来を案じてくれた師匠は僕を養子にしてくれたんだ。僕は、その恩を返したいと思っている。それに魔力はそれなりにあるのに魔法が使えなかった僕は師匠のお陰で薬師としての才能が少しずつ開花した。


 今は調薬を学びながら、店舗を手伝ったり薬草採取に励んでいるが、いつかは師匠の様な腕の良い薬師になって多くの人を助けるのが夢だ。


 でも、2つ下のシェリーは何かと僕に絡んで邪魔してくる。どこに行くにも付いて来ようとするんだ。本当に困った者だ。


「はぁ……師匠の使いで薬草を採りに行くんだよ」

 溜息をつきながらシェリーの方に顔を向けた。次にシェリーが言う事なんて検討が付いている。


「私も行く!」


 ほら、やっぱりね。喜々として付いていこうとするんだ。


「あらだめよ、シェリーは今日学校の日でしょ?」

 師匠の奧さんであるマチルダさんの言葉に頬を膨らませるシェリー。

 


 うん、この顔は結構可愛いんだけどね。

 胡桃色の髪に焦げ茶の瞳のマチルダさんの色は受け継いでいないけど、タレ目がちな大きな瞳や小さめな鼻と小さめな口で顔立ちはマチルダさんそっくり。きっと将来はマチルダさんに負けず劣らない美人になるね。


 この国では、7才から12才まで学校に行くことになっている。強制ではないが、文字や簡単な計算は将来の為には必須だ。午前中だけだし殆どの者は行かないという選択肢はなかった。僕はもうとっくに卒業しているけど、12才のシェリーは今年で卒業だからそれまでは学校優先の生活をする予定だ。


 



 そんなこんなで魔窟の森の近くにある湖まで貴重な薬草採取に行く。街の周辺には石造りの塀が巡らされ、門には常に兵士が見張り、往来する人々をチェックしていた。僕は馴染みの兵士に軽く頭を下げて、門を後にした。


 門を出てからいつもの道を景色を楽しみながら30分ほど歩くと見慣れた景色が拡がった。キラキラ光る湖の水面、その奥に鬱蒼と茂る森の木々。早速僕は薬草採取に励んだ。

 

 星を模った様な小さな白い花が特徴のスノーエトワール。目的の薬草だ。この薬草はあらゆる毒を分解してくれる働きがある。でもそんじょそこらに生えてるわけじゃないから此処で見つけた時は歓喜した。もちろんこの場所は内緒だ。僕と師匠しか知らない。とは言え、この魔窟の森に近づくものなんて殆どいないから大丈夫だと思うけど。


 それから何時間経っただろうか? ついつい夢中になり時間が経つのも忘れて予定より遅くなってしまった。


 魔窟の森に近いという事もあり、この辺りは魔獣が出没することもあるから焦ってしまった。

 直ぐに立ち去ろうとしたが、湖と魔窟の間にある小さな丘の上にあるかなり大きな一本のセコイアの木の近くにいる人影に気付いた。


 宵闇で周りの景色がボンヤリしているのに、なぜだかその姿だけがハッキリと見えた。

 穏やかな風が周りの草を揺らす度に、腰まである緩やかなウェーブのかかった漆黒の髪がフワフワと揺らめいていた。


 気がつくと僕はその人影の近くまで来ていたらしい。

 なぜこんな所に1人で立っているのだろうか? 誰かを待っているのだろうか?

 そう疑問が心に浮かんだが、彼女のいも言われぬその容貌に言葉を発するのが躊躇われた。


 いつの間にか、空には下弦の月が浮かび淡い灯りだけが彼女を照らしていた。伏せていた瞳が僕を捉え一瞬驚いたようだった。

 静かな時がまるで世界中に僕たちだけしか存在していないような錯覚を起こさせた。


(何て綺麗なんだ……)


 漆黒の髪が薄明かりの中輝いているようで、赤い唇はその白い肌をいっそう際立たせている。妖艶に赤く揺らめく双眸から目が離せない。それはあまりにも幻想的で、もしかしたら彼女は闇の精霊かも知れない、僕はついそう思ってしまったんだ。


 「こんな所にいたら危険よ。夜は魔獣がでるから」


 彼女の姿に囚われてしまった僕は一瞬意味が分からず、答えることも忘れて彼女を見つめボーッとしてしまっていた。まさか彼女から僕に声をかけてくるとは思わなかったから。僕たちはずっと見つめ合っていた。そこには微かに吹く穏やかな風と沈黙だけしかなかった。


「誰かを待っているの?」

 僕はやっと声を出すことが出来た。でも、本当はもっと他のことを言うべきだったのかも知れない。危ないのは君もだから速く帰った方がいいよ、とか。


 なんて考えていたら彼女が微笑んだ。


「ええ、ずっと待っているわ……もう何年も……」

 そう言った彼女は優しく微笑んでいるのに、何故か泣いているように見えた。僕は何て答えたらいいのか分からなくて、口を噤んでしまった。


 ぐるるるる……


 不意に近くから魔獣の声がした。


 ハッとした表情でその声の方に顔を向けた彼女は、眉間に皺を寄せて顔を顰めた。それでも彼女はその美しさを損なうことは無かった。


「さぁ、ここは危険よ。速く帰りなさい」

 さっきよりも厳しい口調で僕を窘めた。


「でも……君だって」

「いいから早く行きなさい!」

 僕が言葉を発するとそれに被せるように語気を強めた。その迫力に僕は何も言い返すことは出来ないどころか硬直して直ぐに反応することも出来なかった。


 その一瞬、彼女はその場から消えていた。そしてその数秒後、魔獣の唸り声も聞こえなくなっていた。


 本当に彼女は精霊だったのかも知れない…………


 この時から僕の心の中に彼女が住み着いた。


 それからいつも僕はこの湖に行くたびに彼女の姿を探した。また彼女に会いたいと思った。この気持ちが何なのかその時僕は気がついていなかった。


 どれくらい日にちが経っただろうか? 僕は中々彼女に会えることは出来なかった。だからつい思ってしまったんだ。あの時のように日が暮れる頃なら彼女がまたあの丘の上の木の所で佇んでいるのではないかって。僕は意を決してその日は少し遅くまで薬草採取をすることにした。


そしてある日、辺りが薄暗くなるまで丘の上のセコイアの木の傍で、彼女にまた会えることを期待しながら待っていた。


 風が凪いで太陽がその姿を隠し始め、遠くの方に街灯りがポツポツと灯っていく。ボンヤリその灯りに目をやった。


 カサリ。


 草を踏みしめる音の方に僕は振り返った。彼女かも知れない。僕は期待に胸を膨らませゆっくりとその音がした方へ顔を向けた。


 金色に光る獲物を捕らえたような瞳。ハァハァと荒い息づかい。魔獣が直ぐそこまで来ていたことにやっと気付いた僕は目を見開きそのまま為す術がなく立ち尽くしていた。僕は魔法が使えるわけでもないし、武術を嗜んでいるわけでもない。武器だって小さなナイフ1本しか持っていない。そんな僕に何が出来るというのか?


 もはや僕にはその直ぐ未来が嫌と言うほど想像できた。魔獣に食べられてしまうという未来が。魔獣は僕を餌だと認識していることは明らかだ。この至近距離から逃げることが出来ない事は誰にでも分かる。



 ハァハァ……ハァハァ

 荒い息と共に涎を垂らしながら2メートル以上ありそうな熊型の魔獣が徐々に近づいてきた。恐怖で目を開けていることが出来ない。


 ーー万事休す。


 僕は自分の死を覚悟して強く目を瞑った。僕の14年の人生が今幕を閉じようとしていた。師匠、ごめんなさい。そして、もう一度あの人と会いたかった…………

 

 そう思って、死を受け入れたとき、


 グワォォォォッ……

 一瞬の魔獣の泣き声の後、辺りは何事も無かったように静かになった。僕は恐怖に震えるだけで目を開けることも出来ない。


 何が起こった?

 何で僕は食べられていない?

 震えながら思考を逡巡させているのに頭の中は考えが纏まらない。状況が掴めないけどやっぱり怖くて蹲ったまま目は瞑っていた。


「もう大丈夫よ」

 その声が僕の耳に届くと、恐怖が消えて期待感が胸に拡がりゆっくりと目を開けた。蹲ったまま顔を上げると月光の淡い光りの中に立つ僕が待ち焦がれた彼女の紅い双眸と目が合った。


 魔獣はどうなったのだろうか? そう思う間もなくその傍らには切り刻まれた魔獣だったらしい何かが地表を赤く染めていた。その中心に立つ彼女はやはり闇の精霊のように美しい。魔獣を倒したのは彼女に違いないのに何故か彼女は返り血ひとつ付いていなかった。


 そしてやっぱり静かに微笑む彼女は何故か泣いている様に見えたんだ。


「早く帰りなさい」

 そう言って踵を返す彼女を呆然と見ながら彼女に声を掛けることさえ忘れてしまっていた。気がつくといつの間にか僕はその場所にひとりで立ち尽くしていた。何とか家路につきその後は夢遊病のように無意識に動いたいたのだろう。


「あっ、また名前を聞くのを忘れた」

 そう口から溢れたのは自室のドアを開けた時だった。

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