セッキン
真夏日の続く本格的な夏が始まり
世間も夏休みモード全開だった。
この日も例に漏れずかなりの猛暑で
学校が休暇に入った俺は朝からアイスを齧り
冷蔵庫のように冷えた部屋で怠惰に過ごしていた。
「━━━━━くしゅんっ」
傍で眠っていた香織が小さくくしゃみをする。
まだ眠いのか目は閉じたままだが
腹部までに留めていた夏用の掛け布団を
眉間に皺を寄せながら首辺りにまで引き上げている。
「ごめん、寒い?」
「うん…寒すぎだよ。こんなん風邪ひく。」
俺は急ぎめにエアコンの温度を上げると
ごめんな、と笑い香織の頭を軽く撫でた。
しかしそんな穏やかな時間は
たった一つの音によって奪われる。
ドン……ドン……ドン……ドン……
これは以前にも聴いた音だと
ハッとして思わず壁の方を凝視する。
ドン……ドン……ドン……ドン……
前回はこの程度でおさまったはずだが
途切れず延々と鳴っている。
音が大きくなることなどは無く
同じリズムで同じボリュームで鳴り続けている。
音がおさまらないことに加え
前回と大きく違っていることがあった。
それは現在隣が空き部屋ではなくなっているということだ。
心地よく寝返りをうっていた香織だが
初めてではないこの音に気づき飛び起きた。
明らかに動揺する香織を落ち着かせる為
隣りの人かもしれない、と口にはしたものの
俺自身も得体の知れぬ嫌な予感に支配され
また、その考えから離れられずにいた。
例の菓子折りの件もまだ記憶に新しく、
彼女の穏やかなはずの寝ぼけ眼には
一瞬にして恐怖が広がっていくようだった。
━━━━━ピンポーン
俺と香織の肩がビクリと大きく跳ねる。
「ちょっと待ってて。」
そう香織に声を掛けると
玄関に向かった俺はまずドアスコープを覗いた。
━━━━━あの女だ。
認めたくはないが俺は今
ドアの向こうに立つ女に怯えている。
しかしこの際だから菓子折りのことも言ってしまおうかと、微量強気な自分も頭の隅に現れた。
香織がいたことも影響したのかもしれない。
俺は意を決して目の前の重く分厚い扉を開けた。
「は………え?」
いない。ドアスコープを覗いて
ドアを開けるまでたかが2、3秒だ。
それに物音一つしなかった。
俺は未だ自分が寝ぼけているのかと
ドアを開けた状態のまま目を擦って
もう一度視界に入る全ての部分を見渡した。
当然、急に何かが現れることはなく
さらには平日の午前10時だ。
静まり返っているのが普通である。
ドアを開けたまま
動きのない俺を見て変に思ったのか
後ろから香織が小走りでやってくる。
「誰だったの…?」
顔を見ずとも分かる程に不安げな声色。
一旦ドアを閉め
俺の腕を掴む香織の方を振り返る。
違う、香織じゃない。
何でここに居るんだ?
俺の腕を掴む女。
長くて黒い髪、長くて黒いワンピース、
そしてあの顔。
俺は離せと叫びながら虫を払うように
必死で腕をぶんぶん振り回した
「え?達也?達也…!ねえ!!」
情けない悲鳴、というか
叫びに近い声を上げ床にへたりこむ俺を
泣きそうな顔で見つめているのは
いつもの香織の顔だった。