悪い予感は良く当たると申しますけどそもそもの原因はあなた自身です
「レノア、お前との婚約を破棄させてもらう!」
王太子殿下であるアーカス様の招待を受けて王宮へやってきた私を待っていたのは婚約破棄の通告でした。
アーカス様の傍らで勝ち誇ったように薄ら笑いを浮かべているのはこの国では王家に次ぐ権力を有しているデラバッド公爵家のご令嬢であるダミナ様です。
私は生まれつき勘が鋭い。
招待を受けた時点で嫌な予感がしていましたが案の定でした。
地方の有力貴族のひとつであるローレンシア侯爵家の長女として生まれた私は国王陛下たっての希望もあってアーカス様の婚約者となりました。
しかし家格が劣る生まれである私がアーカス様のお相手に選ばれた事を妬んだダミナ様はその美貌でアーカス様を誘惑し、その結果単純なアーカス様は簡単に籠絡されてしまいました。
実際にその現場を見た訳ではありませんが、これだけあからさまな状況でしたら疑う余地はありません。
「話はそれだけだ。もう帰っていいぞ」
アーカス様はしっしっと手を払った後、すぐ隣に立っているダミナ様に向き直った。
「ダミナ、退屈な話は終わったよ。今日は一緒に中庭の花を見にいかないか。今が一番綺麗に咲いている時なんだ」
「まあそれは楽しみですわアーカス様」
アーカス様とダミナ様は私に見せつけるように身体を寄せ合いながら中庭に向かって歩いていく。
私はそんな二人を尻目に帰り支度をする。
その時、悪い予感がして思わず口に出してしまった。
「この後雨が降りそうね。本降りになる前に急いで帰らなくちゃ……」
それを聞いたアーカス様は足を止め、肩を震わせながらゆっくりと私の方を振り返った。
「レノア! お前は私が何かをしようとする度に決まってケチを付ける。本当に癇に障る奴だ」
「あなたが嫌われるのはそう言うところですわよレノアさん。しかもあなたの悪い予感は良く当たると評判ですわね。いいえ、むしろあなたがそのようなネガティブな事ばかり仰っているから周りの運気が下がって悪い事が起きるんですわ」
「ダミナの言う通りだ。今まで私の周りで悪い事ばかり起きていたのはレノア、全部お前のせいだったんだろ、この疫病神め!」
別にアーカス様たちへの当てつけで呟いたのではない。
完全な言いがかりだ。
早く帰りたい。
私がうんざりしながら二人からの罵倒を聞き流していると外からしとしとと雨が降る音が聞こえてきた。
アーカス様は大きな溜息をつきながら言った。
「あーあ、レノアのせいでダミナと楽しく過ごすはずの時間がパァになってしまった。お前と一緒にいると悪い事ばかり起きる。さっさと王宮から失せろ」
ただの小娘である私に天候を操る力なんてある訳ないでしょうにこの人は本気で言っているのでしょうか。
「……承知致しましたアーカス様、ダミナ様。それではごきげんよう」
失せろと言われたのをこれ幸いにと私はぺこりと頭を下げてその場を後にした。
そもそもアーカス様は人格に問題があり、それが原因でトラブルを招く事が多い。
当然アーカス様と一緒にいると四六時中悪い予感ばかりします。
私は悪い予感がする度にトラブルを事前に回避できるようその事をアーカス様に伝えていました。
しかし傲慢なアーカス様はご自身に原因があるとは露ほども思わず、悪い予感が当たる度に私のせいだと決めつけました。
そんな仕打ちにもずっと耐えてきたのは将来の国母として私を見込んで下さった国王陛下への恩義に報いる為でしたけど、王太子であるアーカス様から婚約を破棄されてしまった以上もうそんな事を気にする必要はありません。
私はもう二度とアーカス様と顔を合わせる事はないでしょう。
「これはレノア様、もうお帰りですか?」
王宮の出入口に差し掛かったところで私に声をかけたのはアーカス様の弟である第二王子のリュート様です。
聡明で心優しく民衆からの人望も厚いリュート様はアーカス様からは疎ましく思われ、国王陛下の見ていないところでずいぶんと不遇な扱いを受けていたと聞きます。
王族であるリュート様が私に対して敬語で接するのは、私がアーカス様と結婚すれば彼にとっては義理の姉になるからです。
私は苦笑いをしながら答えた。
「レノア様だなんてお止め下さいリュート様。私はたった今アーカス様に婚約破棄を申しつけられました。今では単なる侯爵家の娘に過ぎません」
「え? 兄上がそのような事を? 一体何があったのですか?」
突然の話にリュート様は目を丸くして驚き私を問い詰める。
私としても丁度誰かに愚痴を聞いて欲しいところだったので一部始終をお話しするとリュート様はふぅと大きな溜息をついて言った。
「我が兄上ながら情けない限りです。父上が決められた婚約を勝手に破棄するなんて言語道断です。こんなことがまかり通っては王室が立ち行かなくなります。今から兄上に一言物申してきます」
「お待ち下さいリュート様。そのような事をされる必要はありません」
「止めないで下さいレノア様……いや、ちょっと待って下さい。ひょっとして何か悪い予感がするという事でしょうか?」
聡明なリュート様は私が「私などの為に」という理由を付けなかった事への違和感に忽ち気が付き、私の言いたい事を察知して下さった。
「悪い予感という程のものではありませんけど、何もする必要が無いと申し上げましょうか……」
リュート様は小首を傾げて少し考えた後答えた。
「レノア様がそう仰るのならそうなのでしょう。分かりました。それでは今日のところは何もせずに成り行きを見守る事にしましょう」
「宜しいんですか? そんなに簡単に私の言う事を鵜呑みにして」
「鵜呑みにするのとは少し違いますが、変に私がしゃしゃり出て掻き回すよりは静観していた方が事態が好転する可能性が高いと思いましたので」
リュート様は私と違って直感で動くタイプではなく、物事を理詰めでよく考えてから行動に移るタイプだ。
今の僅かな時間でご自身が動いた場合と動かなかった場合、それぞれで起こり得るあらゆる可能性についてシミュレーションを行っていたのだ。
「さすがリュート様。一瞬でそこまで考えられるなんて」
「いえいえ、レノア様の一言があってこそです」
どうやら私の虫の知らせの的中率もリュート様の計算式の中に入っている様です。
「お陰で無駄な労力を使わずに済みそうです。それでは私はこれで」
「はいリュート様、ごきげんよう」
お互いぺこりと頭を下げ、お別れの挨拶を交わしてその場を離れた。
それにしてもリュート様とお話をしていると心が安らぎます。
それはアーカス様と違って、リュート様を見ていると悪い予感がする事が全くと言って良いほどないからです。
結局人の運勢なんて本人の日頃の行い次第なんですよね。
私はこの後アーカス様が迎える悲惨な末路と、リュート様を待っている輝かしい未来を感じながら帰りの馬車に乗りこんだ。
◇◇◇◇
「この馬鹿者が!」
玉座の間に国王陛下の怒号が響き渡った。
アーカス様が私との婚約を勝手に破棄して代わりにダミナを妻に娶ると国王陛下に報告に現れたからだ。
アーカス様は私との婚約破棄でここまで叱咤されるなんて思いもよらなかったらしく、驚き慌てふためきながら反論する。
「父上、私が一体何をしたというんですか? いつも何の裏付けもない直感だけで動いているレノアなんかよりも、深慮遠謀に長けたダミナの方が次期国王となる私の相手として相応しいでしょう。それに家柄だって……」
「黙れ! いくら出来が悪いといってもお前は嫡男だ。いずれはこの国を背負う事になるだろう。だからこそお前が過ちを犯さないように物事の本質を見抜く才能に長けたレノア嬢にしっかりと手綱を握って貰おうと考えて彼女を伴侶に選んだのだ。話を纏めるのに私がどれだけ苦労したと思っているのだ! それを私に何の相談もなく勝手に決めおって!」
「いくら父上と言えどもお言葉が過ぎます! あのような女の力に頼らなくても私は立派にこの国を治めて見せます!」
「ほう、申したな。それではお前の手腕を見させてもらおう。お前には一年間ドームズデイの町を貸し与える。どこまで統治できるか見せてみよ」
「有難うございます父上。王都以上に繁栄させてご覧にいれましょう」
アーカス様は準備を整えるとダミナ様を連れて意気揚々と任地へ赴いた。
ドームズデイの町は王都の東にある王室直領のひとつで、交易の要所として昼夜問わず活気にあふれている町だ。
支配者が特に何もしなくても勝手に発展していくので、為政者にとってはイージーモード全開の町である。
余程の事が無ければ統治に失敗するはずはない。
国王陛下と言えども人の親、どれだけ出来の悪い息子が相手でも情はある。
アーカス様に甘すぎる程のチャンスを与えたのでした。
しかし私がいなくなった事で諌める者がいなくなったアーカス様は私利私欲ばかりを考えるダミナの言いなりになり、打ち出す政策全てが民衆の事を顧みない悪質な物ばかり。
やがて町からはひとりまたひとりと民衆が去っていき、半年と経たない内に町全体がゴーストタウンになってしまいました。
さすがの国王陛下もこれには激怒。
ついにはアーカス様は廃嫡となり、彼を唆していたダミナ共々国外追放。
更には責任を取らされる形でデラバッド公爵家は急速にその力を失いました。
そんなある日私の実家であるローレンシア侯爵家に大勢の騎士に守られた一台の馬車がやってきました。
何か良い事が起こりそうな予感がした私は屋敷の誰よりも早く外に出て彼らを出迎えた。
馬車が屋敷の入り口の前に停車すると、その客車の中から一人の男性が降りてきました。
そのお顔には見覚えがあります。
「リュート様、どうしてこちらへ?」
「レノア嬢、この度私はドームズデイの町を復興させるよう父上に仰せつかりましてね。ご存知の通りあの町は兄上に滅茶苦茶にされてしまったので私一人では荷が重く、どうかあなたにもお力添えを願いたいのです」
「はい、行きます」
「色々とご都合もありましょうが前向きに検討を……えっ?」
あまりの即答ぶりにリュート様と周りの騎士たち全員が呆気に取られている。
私には考える理由すらありませんでした。
私がリュート様についていく事に対して悪い予感など何一つ感じ取れない。
感じるのは今まで経験した事が無い程の胸の高まりのみ。
少し間をおいてリュート様が口を開きました。
「レノア嬢、あなたの決断の速さにはいつも驚かされます。私などいつも色々と余計なことまで考え過ぎてしまって決断が遅れてしまうんです。あなたのような方がいつも傍らにいて私を先導してくれればこれ以上ない幸せです」
リュート様の口から出てきたのはやや変則的とはいえプロポーズの言葉に他ならなかった。
「いえ、私の方こそいつも深く考えもせずに直感だけで結論を出してしまって、いつか取り返しのつかないような失敗をしてしまいそうで怖いんです。リュート様のように物事を熟慮される方が近くにいて下さいますと安心できるのですけど」
私も思わず変則的に了承する意味と同等の言葉を返した。
私とリュート様はお互いの顔を見て笑ってしまった。
大凡ロマンチックな雰囲気とはかけ離れた告白の言葉。
しかしお互いを必要とし合っているという嘘偽りない本心からの言葉であるからこそ誰ひとりとして二人の気持ちを疑い反対をする者はいませんでした。
そして二人で手を取り合いながらドームズデイの町へとやってきた私とリュート様はお互いの欠点を補い合いながら町の復興に尽力しました。
リュート様の名声も手伝って瞬く間にドームズデイの町はかつての繁栄を取り戻し、その結果に満足した国王陛下によりリュート様は正式に王の後継者と定められました。
その後も私は王となったリュート様を支え続け、王国はかつてない繁栄を遂げる事となりました。
完