孤児院へ
ヴィッツは目を覚ました。
「4時か……」
部屋に置いてあった時計の針は4時を指していた。昨日の就寝が12時なので大体4時間の睡眠だ。
「……不味い、ちょっと眠いな。爺さんの護衛の時はなんだかんだ昼寝してたしなぁ」
ドワーフの老人の護衛をしていた時は寝台などはなく、常に夜襲や魔物について警戒をしていた。しかし、馬車を動かしていた昼は仮眠を取れていたこともある。一方、今は寝台があるとはいえいつ来るかも分からない襲撃者がいるし、ぐっすり眠る訳にもいかない。街に入ったのに旅の最中より睡眠の質が落ちていることを自嘲しながらヴィッツは寝台から出た。
「っ、思ったより冷え込むな……」
外の空気を吸うべくバルコニーに出てきたヴィッツは呟いた。彼の口から出た息が白く染まり天へと昇る。肌を刺すような寒さは避暑地の早朝特有のものだった。彼は寒さを振り払うように体と尾を震わせた。市場が活発になり始めるまでまだ1時間程あるため街は鎮まっている。
「流石は避暑地、空気が澄んでる」
何度か空気を吸っては吐いた。口から白い息吐く様は息吹を放つ直前の火竜のようにも見える。
そして。
「よく見えるな…………」
彼が見据えるのは、神嶺。澄んだ空気のお陰で全体像がハッキリ確認できた。魔雲を纏い、頂上は見えない。
「待っていろ。そこに何があるか暴いてやる」
やってみろ、と言わんばかりに魔雲から雷光が走った。
「おい、起きろ」
ヴィッツが何度か時計屋の寝室の扉を叩く。
「なによお前……まだ6時じゃないの……」
今寝台から這い出した来たと言わんばかりの時計屋が扉を開けて顔を見せた。艶やかな紫色の髪結われておらずボサボサだ。
「もう6時だ。お前暗殺者集団に狙われてるとは思えないな…………朝食の材料を買いに行くがここを離れても問題ないか?」
「……分かった、ついて行くから。起きて準備するから30分待ちなさい……」
「応」
時計屋が扉を閉めた。ヴィッツは扉を守るように背を預け、瞑目した。
時計屋はきっちり30分後に部屋から出てきた。今日は兎のぬいぐるみを抱えている。
「お前、待たせたのに文句を言わないのね」
二人は金属の震える音を鳴らしながら階段を降りていく。
「俺は護衛でお前は依頼主だ。金で雇われている以上お前の行動に文句は言わんよ。それに……」
「それに?」
時計屋が問うた。
「女の身支度は待つのが男さ」
親父の受け売りだがな、と付け足す。
「ガキが何言ってんのよ」
25の長命種基準ではガキが言う。
「淑女の扱いをしろって言ったのはお前だろう」
24のやはり長命種基準でのガキはそう返した。
時計屋は気だるそうに頭を振る。
「普段は朝は摂らないのよ……」
「お前がちんちくりんな理由が分かったぞ」
ヴィッツが足を止めて振り向いた。時計屋も足を止める。彼が先に階段を降りているのに目線は時計屋と変わらない。それは、大柄な事が多い龍人であることを加味しても大きな身長差がある事を示していた。
「バカね、わたしは成長が遅いだけよ」
「だとしてもその言い訳もそのうち使えなくなるぞ……ちゃんと栄養バランス考えて食ってるか?」
ヴィッツは前を向き、二人は再び歩き出した。
「お前はわたしの何のつもりよ……外食中心だし足りないものは錬金術で作ったサプリで補ってるわよ」
「料理はできるのか?」
「錬金術で果汁を凝縮して飴玉が作れるわよ」
当然、錬金術は料理をするための術理ではない。
「出来ないんだな……苦手な物やアレルギーは?」
「ピーマンが嫌いよ」
再び足音が止まった。
「……………………」
「絶句するのはやめなさい、冗談よ」
この街は一部を除いて輸送されてきた食材に頼っているだけあって市場の物は割高だったが、財布がいるだけあってヴィッツはコストを考慮せずに食材を買えてご満悦だった。
「出来たぞ」
朝食は、時計屋が保温の魔法を使っていたので焼きたてと言って差支えのないパンと野菜が柔らかくなるまで煮込んだスープだった。普段は朝食を食べない時計屋に合わせて軽めのメニューだ。
「いただきます」
「いただきます」
二人とも食事の時は無言で食べていた。行儀が良いのか、単純に話題がないのか。
「ご馳走様」
パン、と軽く音を鳴らして手を合わせてヴィッツが言った。量はヴィッツの方が多かったが食べるペースもヴィッツの方が速いようだ。
「ご馳走様、軽めとはいえお腹いっぱいよ」
しばらくしてから時計屋が食べ終わった。お腹を擦りながら息を吐く。
「お粗末さん、お味の方は?」
「さぁ?美味しかったと感じたけど舌が肥えている訳じゃないもの。わたしはわたしの体を信用してないわよ」
「ならよし、昼も作るがリクエストは?」
ゆらゆらと地面スレスレで尻尾が揺れる。彼は案外チョロいのかもしれない。
「お前の作るものなら多分美味しいでしょうし任せるわ……出来れば背が伸びるメニューで」
時計屋も簡単に胃袋を掴まれたようだ。あと案外朝の事を引きづっているあたり身長はコンプレックスらしい。
「手記を開けに行くわよ」
時計屋が仕事を済ませ、昼食(パンと肉汁たっぷりのハンバーグ、朝の残りをちょっと味変した野菜スープ)を摂り終わってから彼女は言った。
「何処にだ」
「まぁついて来なさい」
「ここは……」
時計屋は周囲と比べてると大きめの建物の前で足を止めた。
「託児所兼孤児院よ。この街の子供は大体ここに集まるわ」
庭の方を見ると子供たちが遊んでいる。
「あら、時計屋さん、今日も来てくださったんですね」
子供たちが遊んでいるのを監督していた老婆が時計屋に気づいた。
「時計屋ー!」「時計屋のねーちゃん!」
老婆の視線に気づいたのか遊んでいた子供達も寄ってるくる。
「はいはい、飴ちゃんね。食べ終わったら勉強しなさいよ」「「「はーい!」」」
時計屋は慣れたように人形の体内から飴玉の入った包み紙を複数取り出した。
「いつもありがとうございます。それで、そちらの方は?」
老婆はヴィッツに目を向けた。
「ちょっと物騒な事になってね、護衛よ」
「よろしくお願いします」
ヴィッツは軽く頭を下げる。
「りゅーじんー?」「かっけー!」「いけめーん」「はじめてみたー」「しんちょーたかーい!」「でもはねがなーい!」
「こら!すみません……」
ある種、亜人への『禁句』を口にしてしまった子供を老婆は叱りつける。
「いえ、構いませんよ」
「なんではねがないのー?」
しかし、子供の好奇心と言うものはその程度では止まらなかった。
「あっ!?こらっ!!」
「俺の母親は龍人じゃないし、父方の祖母……ばあちゃんもエルフだ。ほら、俺の耳は尖ってるだろう?たまたま龍人っぽい特徴が多いだけで純粋な龍人じゃないんだよ。俺は気にしないが種族の特徴が欠けてたり多かったりするのを気にする人もいるから口に出すもんじゃないぞ。わかったか?」
朗らかに、諭すようにヴィッツは言う。全く気にして居ないようだ。
「「「はーい!」」」
「よろしい」
「おいおまえ、いつまで油を売ってるつもり?マザー、ウィリティスは?」
「年少組の相手をしていますよ」
「わかったわ。行くわよ」
時計屋はそう言うと勝手知ったる他人の家と言わんばかりに孤児院兼託児所へ踏み込んだ。
「おい、ウィリティス、来たわよ」
目的の人物は直ぐに見つかった。ちょうど年少組と子供たちは昼寝の時間だったようで布団で寝ている子供たちを見守っている女性に時計屋は声をかけた。
「あ、時計屋さん……そちらの方は?」
「護衛よ」
「気にしないでくれ、必要なら席を外すが?」
「いえ、護衛でしたら構いません……私はウィリティス・クライマーと申します」
「ヴィッツだ……『クライマー』って言ったか?」
「はい、一応、ヴォルテールの子孫をやらせてもらってます……」
偉大なる冒険家の子孫は自信なさげにぺこりと頭を下げた。
「手記が開かなかった理由はそいつが持ってる物に書いてあったわ」
時計屋は説明する。
「あ、どうぞ……破かないでくださいね……?」
ウィリティスは懐からそこそこ使い込まれた手帳を取り出すとヴィッツに手渡した。
「拝見する」
ヴィッツは表紙を開き何度かページをめくる。
「これは……日記か?」
「はい、ヴォルテールは冒険の詳細を記した手記とは別に個人的な出来事を記した日記も書いていました」
「最終頁を見なさい」
「『子供たちを残してこの世を去ることを許して欲しい』『最後にもう一度あの景色を見たくなった』『手記は私とその血族によってしか開かれない』?……肝心のなんで開かないかは書かれてないのか」
「それは手記に書かれてると思われるわ、ウィリティス、手記よ」
時計屋は歴史的文化財を借りてた安物を返すように放り投げた。
「わわっ、本物……!」
「開けなさい」
感涙しているウィリティスに対して時計屋が命令する。
「は、はい!……あ、開きました……!」
数百年間開かれる事の無かった手記は数百年の時を経て子孫の手に渡り、ヴィッツがいくら力を入れても開かなかったのが嘘のように簡単に開いた。
「じゃあ神嶺について書いてある所を探しなさい」
「はいぃ……!」
パラパラとページを捲っていく。
「あ、ありましたぁ!」
「読むわよね?」
「一応読もう。ここ数百年の間に失伝している情報もあるかもしれないしな」
ヴィッツはそう言うと手記を手に取った。
補足:亜人への禁句
種族特徴を褒めるのならまだしも、種族特徴が『ない』ことを指摘してはならない。種族特徴に(鬼人や鹿系獣人、龍人の角、龍人や翼人の翼、魚人の背鰭など)に誇りを持つ種族も多く、先天的、後天的を問わずそれがない亜人はそれがコンプレックスになりやすいため、基本的に禁句とされる。
ヴィッツは別にコンプレックスの欠片も存在しない。