番外編・届いた手紙(後編)
マチダ・スミレと言えば、リンドウにとっては町田純玲と書く。
この名前の女性は、前世のリンドウが書いた小説「ヴァイオレット・アイズ」シリーズの主人公なのだ。そしてアンジェラの振る舞いは、どんどんそのヒロイン、スミレらしくなってくるのだ。
(これは偶然か? それとも俺が小説の世界に転生した?)
当時のリンドウがそう考えたのも無理はないだろう。
とはいえ、ここと小説の世界観はまるで違う。ヒィズルはどことなく、日本の明治維新前後に似た国だが、小説は二十一世紀の架空の日本を舞台にしたアクションファンタジーだ。
(だから小説世界転生説は消した)
そんなある日のことだ。
珍しく狩りに同行したリンドウが魔獣討伐に加わった。
リンドウの剣は一般的なそれよりも細身で反りがある。それを二本同時に使うのが特徴だ。
剣をふるう姿を見たスミレが、「二刀流?」と小さくつぶやいたのを、リンドウは聞き逃さなかった。こちらに刀なんてものはない。当然二刀流なんて単語もない。しかも聞き間違いでなければ、スミレのつぶやきは確実に日本語だった。
次いで「宮本武蔵かしら」なんて言葉が聞こえてくれば、もう間違いないだろう。
スミレは日本からの転生者だ!
そして、その後細かく観察した結果、生きてた時代もおそらく同じくらいだと結論付けた。
そのことに、リンドウがどれだけ感動したか彼女は知らないだろう。
一人だけだと思ってた、この世界において異質なものである自分。余計な記憶を抱えていることに違和感を持ち続けていたリンドウは、一人じゃないことに肩の荷が下りた気がしたのだ。実際身が軽くなったように感じ、妻からも顔色がよくなり若返ったと言われた。
「ま、俺も当時まだ二十二だったけどな」
スミレ同様年上のふりをしているが、実際は彼女と三歳しか年は違わない。
死んだ兄の跡を継ぐためにそうしてきた。妻が年上だからということもある。
だから表向きは何も変らないよう振舞っていたけれど、スミレ達のことは殊のほか気にかけた。
もしこの地に根を下ろすなら、最大限の援助もするつもりだった。
この国に来てからの七年間、自分の倍ほどの年のふりをし、傷ついた子供たちの心のケアや、帰国しても問題ないよう彼らに教育も施したスミレ。
いっそ男の一人もあてがおうかと思ったくらいだが、彼女に近づけた猛者はいない。
「暁の狼を除いて、な」
暁の狼はあだ名だ。
金色の髪をした外国人の男。仕事の関係で一人やってきた彼の名は、本名も仮の名もヒィズル人には難しく、結局あだ名で呼ばれることになった。
スミレに彼の世話を頼んだのは、同じ大陸を超えたもの同士だということもあったが、彼女はそのことを狼に打ち明けることはなかったらしい。
「狼の方はスミレにべた惚れだってのに」
立ち上がって窓の外を眺めると、日が落ちた風景はそろそろ夜色に変わるころ合いだった。
スミレが急に消え、暁の狼はショックを受けていた。
二人が同じ国の出身であることをリンドウだけは知っていたが、守秘義務の関係でどちらにも教えていない。
狼は、スミレを見た目通り十五くらい年上だと思っていたが、彼がキリとナズナの父親にもなる覚悟だったことにリンドウは気づいていた。
もしあと半年ほど時間があれば、もしかしたら二人は夫婦になっていたのでは――。
そう思うと残念だ。
慌ただしくスミレが旅立つ前、リンドウは着いたら便りをよこすと言う彼女に頷いた。
「暗号を使ったほうがいいわよね?」
首をかしげるように言うスミレに、思わずニヤリとする。
この国で字が読めるものは少ない。スミレは書くこともしっかり習得していたが、便りには秘密が含まれることが多くなるだろう。今後彼女は、仲間ではなく仕事相手になるからだ。
「日本語で書いてよこせばいいさ」
くくっと笑うリンドウに、目を見張ったスミレは「ああ」とも「おお」ともつかないような声を漏らす。完全に絶句している彼女に向け、日本語で町田純玲と書いてやると、途端に彼女の表情が輝いた。
「スミレ、知ってるか? この紫の目のヒロイン」
「っ! もちろん。大好きだった小説の主人公よ。リンドウも?」
「ああ。俺もだ」
今まで見せたこともない子供のような笑顔のスミレに、リンドウも大きく微笑んだ。
「もっと早く教えてくれたらよかったのに」
「こっちにも事情があるんでね。ま、いいじゃねえか。日本語なら暗号の必要がない」
「――それもそうね」
あっさり頷くスミレは、次いであきれたような表情をした。
「前世の記憶があって、魔獣狩りの棟梁で、その実態はこの地の総督なんて。リンドウってば、いくつ顔を持ってるのよ」
妻を除き、スミレと暁の狼しか知らない秘密に、つい肩が揺れた。
「遊び人の実態が、実は将軍だのお奉行だのってのは、日本人の美学だろ? 元日本人としては外せないよ」
実際はもう少し複雑な事情があるが、今はそれを語る時ではない。
「もしかして剣が刀風なのもわざと? 二刀流なんて、他の人はしていないでしょう?」
「あれは偶然。剣も技も、師匠から譲り受けたものだ」
「えっ? まさかその師匠も……」
「いや、多分それはない。こんなおかしなの、何人もいてたまるかよ」
さらっと「おかしなの」に含められたスミレは怒ることなく、むしろ安堵したように、「そうね」と頷いた。
「スミレ。お前がスミレじゃなくなっても達者で暮らせよ。ここに味方がいることを忘れるな」
「ありがとう。心強いわ。――本当に」
かすかに浮かんだ涙を拭ってやりながら、今後の約束を素早くかわす。
「本当に誰にも内緒なんだな」
狼にも? と聞きたいのを我慢して確認すると、彼女は意志の強い目で頷く。来た時と違って、今度は守るべき子供が二人もいるのだ。その子供たちもすでに十代とはいえ、生半可な覚悟ではないだろう。水先案内人がいるとはいえ、この世界で旅は楽ではない。
「いつかヤマブキを連れて会いに行くよ」
そう約束して別れ、半年近くたった今日、ようやく無事の連絡をもらいホッとした。
「いずれ、本当に会いに行かなきゃな」
その時のためにヴァイオレット・アイズの新作でも書いておこうかなどと、いたずらめいた気持ちが沸き上がる。また小説をまた書きたいと思う日が来るなんて、自分でも驚きだ。
スミレ、いやアンジェラは驚くだろうか。それとも「いくつ顔があるのよ!」と呆れるだろうか。
「その日が楽しみだ」
17年後の嬉しい知らせに、一番喜んだのはリンドウだったことでしょう。
今度こそ妻を連れ、新作をどっさり携えてアンジェラたちに会いに行きます。
新しい事業が開拓されるかもしれませんね。
番外編までお付き合いいただき、ありがとうございました。
いいね、お星さまもありがとうございます。