第34話 コンラッド⑨
話が長くなるから他に人がいない時がいいというグレンに、コンラッドは翌日の午前に話そうと返事をする。
一瞬、自分がアンジェラに懸想し求婚しようとしていることについてかと思ったが、グレンが知るわけがない。
コンラッドからも、グレンには聞きたいことが色々あった。
懐かしい話もしたいが、今は同じくアンジェラのことだ。
彼女はドランベルの現当主だと言っていた。だから結婚しなかったし、するつもりもないと。
だがコンラッドの記憶が確かなら、グレンはコンラッドと十歳しか離れていない。つまり今年三十歳になるはずだ。ならば当主交代も叶うはず。もし万が一、前当主の遺言で縛られているとしても、何かしら方法はあるだろう。
アンジェラがただのアンジェラに戻れば彼女の懸念はなくなるはずだし、グレン達もそれを望んでくれるに違いない。
メロディの話では、ナタリーはコンラッドとアンジェラを結婚させたいと思ってくれているらしい。旧知の仲だったことを知った今、彼女がどう思っているのかは分からなかったけれど、それでもアンジェラの結婚を阻むものがコンラッド側にはないとナタリーが考えていたことは分かる。
「まだ味方でいてくれるといいんだが」
もしアンジェラを妻にできれば、かつてコンラッドが望んだようにグレンやナタリーが自分の子になる。
(しかも孫までついてくるんだな)
想像しただけでその賑やかさに頬が緩んだ。
一人っ子だったメロディも、沢山の家族や愛情に囲まれることになるだろう。
もし、――もしもアンジェラとの間に子どもが生まれたら、
「間違いなく私もメロディも溺愛するだろうな」
私が世話をすると主張するメロディの顔が浮かぶ。
ナタリーのおかげで、娘は本当に表情豊かに愛らしくなった。
それはアンジェラが、ナタリー達に溺れるほどの深い愛情を注いでいたからだろう。
微かな振動と青臭い匂いに外を覗いてみると、鬱蒼とした森の一部が開けていてコンラッドは唖然とした。もともと泉まで大した距離はなかったが、今は二階の窓から泉までが見渡せるのだ。
エドガーが自分の力がどれほどか、どれだけ制御できるのか試しているのだろう。それが分かっていても、あっというまに倒れていく木々や簡単に整備される大地に唖然とするなというほうが無理だ。
「これは、確かに派手だな」
妙に冷静になって見物していると、あっという間に露天風呂が出来上がる。
その周りに倒した木で囲いを作る気遣いに、コンラッドは思わず吹き出した。あれはメロディの希望かもしれない。
今日の夕食は遅めにし、七時近くまでアンジェラをそっとしておいた。
食事の前に、目を覚ましたアンジェラとメロディ、ライラが先に風呂に入り、男たちは後に入る。誰もが露天風呂に夢中になる、素晴らしい出来だった。
◆
露天風呂ですっかりくつろいだらしいアンジェラは、やはり疲れていたのか早めに就寝した。メロディはもちろん、シドニー達も早めに休ませる。
的確に指示を出すために仕事の前準備をしていると、コンラッドの自室にエドガーが訪れて長い話をした。
「あまり驚かないんですね、閣下。もしかして知ってたんですか?」
アンジェラの秘密を暴露したエドガーは、表情を変えないコンラッドに不思議そうな顔をする。
「いや。知らなかったよ。驚いてもいるけれど――そうだな。納得したと言った方が近いかもしれないな」
前世や来世という概念はコンラッドにもある。
月の女神もそうだし、神話では生まれ変わって人生を繰り返す精霊の話もあるのだ。
アンジェラは確かに月の女神だった。
しかも今の人生より前の人生を、三つも覚えているというのだ。
学生生活でのちょっとした発想の違いも、ヒィズルでの文化に妙に馴染んでいたことも、魔法発動のときの不思議な呪文や今回のタブレットも、きっとそうした記憶の影響なのだと考えると不思議と納得できた。
何か怖い思いをしたかのように苦しみもがいていたのも、前の人生の影響なのだろう。まるでこの世界に前にも来たことがあるかのように、安々とこちらの貨幣を手に入れ、情報を集めたことも。
「アンジェラはもしかして、この世界で生きていた記憶があるんじゃないか?」
そう尋ねるコンラッドに、エドガーの目が丸くなる。
「よくわかりましたね。先生は俺の先祖、つまり先代の勇者の側にいたらしいですよ。一緒に戦った仲間だって昨日教えてくれました」
「そうか」
目を輝かせるエドガーに、アンジェラが何かに助けを求めながら苦しんでいたことは言わないほうがいいだろう。英雄のように思っている女性がつらい思いをしているのは知りたくないだろうし、アンジェラも知られたくないだろうから。
そう思ったのに、エドガーは手を組んであごを乗せると微かに目を伏せた。
「閣下。先生はね、たぶんだけど、いつも早く死んでたんだと思う。話からの推測だけど、せいぜい二十歳くらいまでしか生きられなかったんじゃないかな。おそらく毎回、壮絶な死を体験しているよ」
実際に何かを見たかのような言葉に、コンラッドは瞬間的にエドガーを叱りつけたくなった。憶測で言っていいことではないと。
それでもその言葉を奇妙に納得して受け入れてしまったのは、アンジェラの表情のせいだ。時々彼女は、いつ終わりが来てもいいような、すべてを諦めたみたいな目をする。
今までそれは、コンラッドを遠ざけるためだと思っていた。けれど諦めなのではと分かったとたん、腕が一気に粟立った。
◆
エドガーの憶測が真実だと分かったのは、翌日のグレンとの会話でだ。
【母は多分、近いうちにどこかに消えようとしています。今まで俺たちのために踏ん張ってきたけれど、明日、俺が当主を受け継ぐことになっているので、その後のことを妹と危惧していました】
タブレットに現れたグレンの言葉に愕然とする。
【こんなことを言うのは間違っていると思うし、図々しいのは承知です。でも貴方が暁の狼ならば、今も母を愛してはいませんか? もしそうではなくても、できれば昔のよしみで母を守ってくれませんか? 母を一人でいかせないでください】
コンラッドがスミレを愛していたことは、子どもたちには火を見るよりも明らかだったらしい。スミレには通じてなかったのに、子どもたちは分かってた上で自分に懐いてくれていたのか。
次にナタリーの少し震える字が送られてくる。
【母の前世の話は、いつも十代までしかありませんでした。どうしてか聞いたとき、いつも早くに亡くなっていたと教えてくれたんです。母が今世で長く生きているのはするべきことがあったからだと話してました。でもどうなんだろう? 私の勘では少し違うのではと思ってるんです】
ゆっくり綴られるナタリーのメッセージには、アンジェラには愛する家族が必要なのだと書いてあった。
アンジェラは、どの人生でも血縁に縁がないという。
親を早くに亡くしたり、自分が早く亡くなったり。
【それでも母は愛情深い人で、あふれるほどの愛を注いでくれる人です。もし私が母の立場なら、とても同じことはできないと思います】
「私もそう思うよ、ナタリー」
次にグレンが書き手に変わった。
【俺と妹を育て、当主としての役割も終わった母には愛を注げる対象が必要です。妹はそれが母の命綱だと考えています。そしてそれにメロディ嬢がちょうどいいのではないかと考えたらしい。お嬢さんはうちの母に心酔しているそうです。――おそらく昔、俺があなたに憧れていたのに近いのではないでしょうか】
(キリが私に憧れてくれていた?)
【リンドウさんがよく、狼とスミレが夫婦になりゃあいいって言ってましたし、俺もそう思ってたんですよ。母は笑い飛ばしてましたけどね】
(やっぱり相手にされてなかったのか)
少しだけ落ち込むが、当時の彼女はコンラッドよりずっと年上の別人と振舞っていたからだと思い直す。実際には全く相手にされなかったわけではない。
「スミレにはキラキラ光る思い出の相手がいるらしいけれど、何か聞いたことは?」
そう聞こうとして考え直す。
無駄に落ち込みそうだし、また嫉妬して馬鹿なことをしたくはない。代わりにナタリーに、自分が「暁の狼と呼ばれていたことに気づいていたか」尋ねてみた。
【いいえ、はっきり気付いていたわけではありません。ただ以前一緒に食事をしたときに、旦那様が少しお酒を召し上がりましたよね。その姿がどこかに引っかかっていました。おそらく無意識に重ねたのだと思います。暁の狼は遠い国にいると思っていたので同一人物だとは思っていませんでしたけど、母はたぶん貴方が好きでしたから、そうだったらいいのに、くらいの希望はありました】
その回答が嬉しくて、コンラッドの頬が緩む。
「キリ、ナズナ。あえてこう呼ばせてもらう。私はヒィズルにいた頃スミレを愛していたし、君達とも家族になりたいと思っていた。でも元々アンジェラは、私にとって初恋の人なんだ」
送信した後なかなか返事が来ないので、次のメッセージを書いた。
「学生の時に彼女に出会って、卒業の時結婚を申し込もうと思っていた。すれ違って叶わなかったけれど」
【それは本当ですか? 今は? 今も母を?】
前半はグレン、後半はナタリーだろうか。
「本当だ。再会して、また好きになった。私はもう一度、いや今度こそ彼女に結婚を申し込んでもいいかい?」
【もちろんです! 一日早いですが、ドランベルの当主として二人の結婚を許可します!】
力強いグレンの言葉に安堵する。当主の命令は強いのだから、これならアンジェラもそうそう否とは言えまい。そう思うと小さく笑いがこぼれた。
「さすがにこれは最終手段だけどな」
【母をよろしくお願いします。絶対に捕まえて、誰よりも幸せにして下さい】
ナタリーがメッセージの最後に祈りの印を足してくる。
心強い応援と心からの祈りにコンラッドは力強く頷いた。
「必ず!」